ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

あのゴジラが最後の一匹だとは思えない

1954年公開の映画『ゴジラ』より


 日本特撮映画史に燦然と輝くゴジラシリーズ第1作の『ゴジラ』の台詞より。東京を壊滅状態に追い込み、日本国民を恐怖のどん底に叩き落としたゴジラ。防衛隊の決死の抵抗むなしくゴジラの侵攻を止めることはできなかった。ゴジラを倒すための最後の希望は、若き天才科学者・芹沢博士が生み出したオキシジェン・デストロイヤーのみであった。しかし、オキシジェン・デストロイヤーを表に出してしまったら、原水爆以上の脅威を世界にもたらしてしまうと芹沢博士は苦悩する。そして、ゴジラを殲滅すると同時に、全ての研究資料の破棄と自分の死をもってオキシジェン・デストロイヤーを封印するという悲壮な覚悟をもって東京湾の底で眠っているゴジラに対してオキシジェン・デストロイヤーを使用する。

 そして――目論見通り、芹沢博士とともに、ゴジラは死んだ。

 マスコミ関係者などをのせ、ゴジラ殲滅作戦を見守っていた船上では、歓喜の声が上がる。その中には何種類かの人間がいた。大多数の人間は、ゴジラの死を大いに喜んでいる人たち。そして、ゴジラの死を喜びながらも芹沢博士の死を深く悲しみ悼んでいる人たち。恵美子や尾形、新吉といった芹沢博士の身近な人たちである。そして、芹沢博士の死を悼みながらも、ゴジラの死に対しても深く悲しんでいる人物。恵美子の父であり古生物学者の山根博士である。

 ゴジラの最初の発見者であり、ゴジラを貴重なサンプルとして徹底的に調べるべきと考えていた山根博士にとっては、ただ脅威が去った――だけではすまない感情があったのではないだろうか。今自分の手元には2004年にちくま文庫から刊行された原作者の香山滋の『ゴジラ』がある。この中には、ゴジラのノヴェライズとともに、G作品検討用台本が収録されている。これらの中では映画版よりもより偏屈で研究狂に近い様相をもった人物をして描かれている。G作品検討用台本のなかでは、ゴジラを助けるために、ゴジラ撃退用の電気柵の放電を止めるために作業員を鉄棒で打ちすえるシーンまである。

 山根博士だけは、水爆実験にも耐えた強靭な生命力をもつゴジラが死ぬことなど微塵も考えてはいなかったのではなかろうか。芹沢博士の新兵器がどれほどのものかは知らないが、ゴジラを倒せるはずもない。ところが不死身だと思っていたゴジラは自分の目の前であっさりと死んでしまった。芹沢博士は自分の研究成果を証明し、それを表に出さないという信念も貫き、さらに(映画の中の)世界に自分の名前を永久に留まらせる栄誉を手に入れて死んだ。同じ科学者として、芹沢博士の死を悼みつつも、ある種の羨望のようなものも感じていたのではないだろうか。ゴジラは骨も残さず死んでしまったのだ。山根博士は、ゴジラの死体を調べることさえできないのに……。

 ラストに山根博士が呟く「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかもしれない……」という台詞によって、映画『ゴジラ』はただの娯楽作品に留まらない反原水爆実験反対の強いメッセージをもった作品として記憶されることとなった。しかし、山根博士の内心を勝手に想像しながら聞くと、この台詞が全く違った意味に聞こえてくるから不思議だ。このまま、原水爆実験が続くなら、再び新たなゴジラが出現するかもしれない。これは、再びゴジラに出現してもらいたいという山根博士にとっての慰めであり希望なのではないだろうか。

 この台詞の後に、だからどうするべきだと、という言葉は続かない。何故勝手に死んでしまったのかと芹沢博士をなじるでもない。自衛隊(作中では防衛隊)の戦力を増強すべきだ、とも言わない。原水爆実験を停止するように働きかけるべきだ、とも言わない。ただ憂うだけで終わるが、もしかしたら、さすがにこの先は口にしてはいけない言葉だ、という意識があったのではないかと思えて仕方なくなってくる。

創作物のセリフから