ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

青竹事件


 1957年2月5日夜、広島県賀茂郡八本松町(現東広島市)陸上自衛隊原村演習場にて、夜間行進演習が行われた。これは10sの装備を着用し、80qを行進するという訓練であった。この日は、真冬の寒さに加え、強い雨が降っており、行進に参加した隊員たちの体力を否応なく奪っていった。その結果、翌6日に、第7普通科連隊所属の24歳の隊員が行軍中に急性心臓衰弱で、25歳の隊員が到着後に急性心臓マヒで、帰らぬ人となった。

 当初は、2名の隊員の死は訓練中の「殉職」とされ、当時の陸上自衛隊幕僚長は、この2名を「全自衛隊隊員の鑑」と称えた。しかし、調査が進むにつれ、この行進演習の衝撃的な事実が明らかになっていく。その行進演習の過酷さについていけなくなる隊員が相次ぐ中、上官は暴行を加え、行進の継続を命じていた。この暴行は、訓練に参加したほぼすべての隊員が受けていたという。この時の暴行に青竹が使われたことから、この事件は「青竹事件」と呼ばれたりする。事件は、国会でも追及されることになったため、3月12日に防衛庁(当時)は陸上自衛隊の幹部10名を処分した。

「死の行軍事件」などとも呼称されることもあるこの事件は、1902年1月に旧大日本帝国陸軍の第5連隊が青森から八甲田山へ向かう途中で、強風と降雪の中210名の参加者の内198名が死亡するという大惨事となった「八甲田雪中行軍遭難事件」と並べて語られることもある。状況を無視し、精神論を根拠に、危機管理を軽視する上官に率いられた戦闘部隊という点で、やはり陸上自衛隊は旧大日本帝国陸軍の悪しき伝統を受け継いで生まれたのではないかという気がしてならない。

自衛隊事件簿