ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

日本の発展の負の遺産

ヘドラ――1971年『ゴジラ対ヘドラ』より


 1971年に公開された『ゴジラ対ヘドラ』。ゴジラシリーズに登場した怪獣の中でも、そのグロテスクさにおいて上位を誇るであろう怪獣ヘドラが、ゴジラの敵であった。第2作の製作も検討されていたそうだが、白紙になったのはそのグロテスクさも要因のひとつだろう。名前のとおり、ヘドラはヘドロの怪獣である。宇宙から飛来した鉱物を起源とする生命が、汚染されたヘドロや煤煙など公害物質を吸収し、怪物化した存在という設定である。

 18世紀半ばに産業革命という形で始まった工業化の流れは、公害問題という深刻な副作用をもたらした。日本でも、明治期以降の工業化の中で、工業化により発生した有害な副産物を無害化する処理やその影響に対する考慮もないまま垂れ流した結果、19世紀後半に問題化し日本初の公害事件と知られる渡良瀬川(栃木県、群馬県)流域で発生した足尾鉱毒事件や、1910年代にはその存在が確認されていた富山県の神通川流域で発生したイタイイタイ病などを皮切りに、様々な公害が社会問題化する。戦争が終わり1950年代の高度経済成長の時代が始まって経済活動が拡大するにつれ、汚染物質が大量に発生し、それらが土壌や大気に大量に投棄された結果、数々の重大な環境問題を引き起こした。その結果、原因企業や行政に対する責任の所在や賠償を求める訴訟や、それらを通じて起こった市民活動、国や行政による法整備や指導、企業の自主的な努力などがあり、かつてのような大規模公害は減ってきている。しかし、今も公害病に苦しんでいる人たちが大勢おり、また土壌の汚染が残っていたりといった影響が残っている場所もある。

『ゴジラ対ヘドラ』では、特に、静岡県富士市の田子の浦港で1960年代から1970年代前半に発生した田子の浦港ヘドロ公害がモチーフになっている。富士地域は豊富な水資源を活かして製紙産業が盛んであったが、製紙工場からの汚染された排水が直接河川に流されることによって稲が腐る問題が発生し、今度は専用通路を作って海へ放水すると漁獲量が激減した。田子の浦港にはヘドロが堆積し、大型船の立往生を招くなど港の機能を低下させるばかりでなく、悪臭が蔓延し――さらには人体に有害な硫化水素の発生など生活環境の悪化を招いた。この当時の富士市は、公害のデパートと称される有様だったという。地元からも抗議の声が上がり、富士市内の4つの製紙会社が告訴された。排水の規制を行い原因物質の流入の防止とともに、堆積した底泥の除去が行われ、田子の浦港のヘドロ公害は終息した。しかし、回復するまで長い年月と多額の費用が掛かったことは言うまでもない。

ゴジラとゴジラの敵たちの時代