ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

赤衛軍事件(1971年8月21日)


 1971年8月21日22時30分ごろ。陸上自衛隊朝霞駐屯地(埼玉県朝霞市)で歩哨任務に就いていた一場哲雄陸士長(当時21歳)が交代時間になっても現れなかったため駐屯地内を捜索したところ、機材置き場で血まみれになっているのが発見された。ただちに病院に運ばれたが、死亡が確認された。現場には「赤衛軍」の名称が入った赤ヘルメットやビラなどが散乱しており、一場陸士長の「警衛」の腕章が無くなっていた。遺留物の内容から銃火器を奪うことが目的だったと推測されたが、一場陸士長の小銃は近くの側溝から発見された。

 埼玉県警は朝霞警察署に捜査本部を設置。新左翼の過激派による事件として捜査を開始した。しかし、「赤衛軍」という名の過激派はこれまでに事件を起こしたことがなく、公安にも情報がない存在だった。ところが、その後「朝日ジャーナル」に赤衛軍幹部との単独会見の記事が載った。その中には、真犯人にしか知りえない情報……一場陸士長の警衛の腕章が無くなっていたことが語られており、警察はこの記事に注目。その結果、日本大学と駒澤大学の学生3人が逮捕されるに至った。さらに「朝日ジャーナル」と「週刊プレイボーイ」の記者が犯人に情報を流したり逃走資金を渡していたことが明らかになり、2人のジャーナリストが逮捕されている。首謀者とされた京都大学助手は無実を訴え地下に潜んだが、10年後に逮捕され、強盗致死の謀議は否定され幇助で有罪となった。懲役5年の判決が確定したが、拘置所での未決勾留期間が量刑を上回っていたため、即日釈放されている。

 死亡した一場陸士長には2階級特進となる2等陸曹に任ぜられた他、勲七等青色桐葉章、防衛庁長官2級賞詞、2級防衛功労章が授与されている。再発防止策として犯人たちは幹部自衛官の制服を入手して侵入しており、それ以降は制服を着用した幹部自衛官であっても営門を通行する際には身分証明書を提示することが義務化された。

自衛隊事件簿