ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

立川市による自衛官転入拒否事件


 1973年1月6日から2月7日にかけて、東京都立川市に配属される予定だった陸上自衛隊東部方面航空隊の隊員65名の転入届を、立川市が不受理とするという人権侵害事件が発生した。在日米軍立川基地の業務を引き継ぐ形で開庁予定だった立川駐屯地の業務開始にあわせて転入してきたものだった。

 当時の立川市議会は、社会党・共産党の勢力が弱く、保守派が多数を占めていた。そんな中で、1971年8月に市長になったのが社会党・共産党の統一候補だった阿部行蔵氏であった。自衛隊に批判的だった阿部市長は、庁舎に自衛隊移駐反対の垂れ幕を掲げたり、市議会に自衛隊移駐反対の決議を出させるなどした。この決議はその後保守派の巻き返しによって撤回された。その後も在日米軍立川基地が共済するイベントの運営などを巡って、市長と市議会主流の保守派との対立は皿に深まり、イデオロギーの対立は深まっていった。

 そんな中で発生したのが、この集団転入拒否事件だった。2月10日、弁護士3名により阿部行蔵立川市長と市民課長が刑法193条違反で東京地方検察庁に告発した。これを受けて東京地検特捜部が捜査を開始。その結果、2月26日から翌日の転入届の受付開始を決めた。その判断を不服とした反戦グループら20名が市長室へ乱入するような一幕もあったという。

 3月5日には東京地検特捜部は阿部市長の任意出頭を求めた。そして3月26日に、犯情は軽くないとしながらも、すでに受付は再開され不利益は少なく、自衛隊側からも処罰を求められなかったとして、起訴猶予の処分が下された。

 いわゆる55年体制における保守政権が続く中、社会党・共産党の革新勢力が力を持った地域では、自衛官の募集が妨害されたり、教育の現場で自衛官や警察官の子弟が公然と差別されたりといった自衛官は人に非ずがまかり通る時代が続いた。町ぐるみで自衛官の転入を拒否する事例は、返還直後の沖縄などでも見られたという。

自衛隊事件簿