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沖縄の守り神を蘇らせる歌が……キングシーサー――1974年『ゴジラ対メカゴジラ』より
1972年6月。沖縄の日本本土復帰が果たされた。『ゴジラ対メカゴジラ』が公開された1974年はそれから2年後。沖縄がひときわ注目されていた時期の映画である。ゴジラ生誕20周年という記念の年に登場した全身武装のロボット兵器メカゴジラは人気怪獣となり、『ゴジラ対メカゴジラ』の後も度々、スクリーンに登場した。『ゴジラ対メカゴジラ』では1975年に予定されていた日本本土復帰記念事業である『沖縄国際海洋博覧会』に絡めて、沖縄が舞台となった。沖縄でのロケは観光地やホテル、フェリーと大々的なタイアップを行ったとのことで、沖縄観光の様々な景観が作品に彩りを添えている。
朝鮮戦争、台湾海峡での中国と台湾との軍事的緊張と、1950年代の極東を巡る情勢の中、沖縄の極東における軍事拠点としての重要性は高まることになった。さらに1960年代のベトナム戦争でも、アメリカ軍の戦略に重要な役割を果たした。この頃のアメリカの歴代大統領は、日本への返還など考えていなかったとされる。沖縄本島では米軍兵士による暴行事件や事故などが相次ぎ、多くの死傷者が出るに至り、「島ぐるみ闘争」と呼ばれる抵抗運動が繰り広げられた。沖縄のアメリカ軍基地がベトナムでの惨禍に手を貸している事実は、復帰運動に反米・反戦色を強めることとなった。同時にアメリカ軍関係の需要があった土木建築業や飲食業、娯楽業の関係者とは、復帰に反対したり、アメリカ軍基地移駐に反対するなど、沖縄の世論も二分されることになったが、1968年11月の選挙で復帰派の知事(当時はアメリカの施政下であるので琉球政府の行政主席)が当選した。1969年の日米首脳会談でニクソン大統領が沖縄返還を約束したが、安保延長が交換条件であった。1971年6月に沖縄返還協定が締結されるも、膨大なアメリカ軍基地は沖縄の願いとは裏腹に、ほとんど規模が縮小されないままでの返還であった。 |