ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

沖縄の守り神を蘇らせる歌が……

キングシーサー――1974年『ゴジラ対メカゴジラ』より


 1972年6月。沖縄の日本本土復帰が果たされた。『ゴジラ対メカゴジラ』が公開された1974年はそれから2年後。沖縄がひときわ注目されていた時期の映画である。ゴジラ生誕20周年という記念の年に登場した全身武装のロボット兵器メカゴジラは人気怪獣となり、『ゴジラ対メカゴジラ』の後も度々、スクリーンに登場した。『ゴジラ対メカゴジラ』では1975年に予定されていた日本本土復帰記念事業である『沖縄国際海洋博覧会』に絡めて、沖縄が舞台となった。沖縄でのロケは観光地やホテル、フェリーと大々的なタイアップを行ったとのことで、沖縄観光の様々な景観が作品に彩りを添えている。

 沖縄が舞台ということで、作中、本土に対する複雑な思いがキャラクターのセリフを使い、ほんの軽く触る程度ではあるが、語らせている。また、本土側である映画作成側にも遠慮のようなものがあったようで、自衛隊や在日米軍は出てこない。太平洋戦争時アメリカ軍との地上戦で多大な被害を受け、敗戦による占領統治、アメリカによる軍政下で苦難続きだった沖縄に対する配慮だったそうだが、それなら今度は宇宙人が侵略を仕掛けてくる話というのはどういうものなのだろう。

 この映画の中で、琉球の守り神としてキングシーサーという怪獣が出現する。琉球の怪獣なのにキング(KING)なんて英語の名前を付けるのもどうかと思うが、シーサー自体は沖縄県などで見られる伝説の獣として有名である。シーサーの像を門や屋根などに魔除けとして据え付けられており、名前の語源は獅子を現地の言葉で呼んだもの。古代オリエントに端を発し、世界各地に類似する存在(日本の狛犬など)があるという。琉球王国の正史によれば、最初にシーサーの像が作られたのは17世紀のことらしい。キングシーサーを眠りから覚ますため、ベルベラ・リーン(台湾の歌手「鄭秀英」の『ゴジラ対メカゴジラ』出演時の芸名)演じる国頭那美が「ミヤラビの祈り」を歌うのだけれど、これが昭和の歌謡曲で、これを古来より守り続けてきた歌と言われても首をかしげてしまう。本土復帰を果たした沖縄の高揚感を感じられる映画に感じただけに、もっと沖縄の文化的な側面も練り込んで作ってほしかったなぁと思う。



 朝鮮戦争、台湾海峡での中国と台湾との軍事的緊張と、1950年代の極東を巡る情勢の中、沖縄の極東における軍事拠点としての重要性は高まることになった。さらに1960年代のベトナム戦争でも、アメリカ軍の戦略に重要な役割を果たした。この頃のアメリカの歴代大統領は、日本への返還など考えていなかったとされる。沖縄本島では米軍兵士による暴行事件や事故などが相次ぎ、多くの死傷者が出るに至り、「島ぐるみ闘争」と呼ばれる抵抗運動が繰り広げられた。沖縄のアメリカ軍基地がベトナムでの惨禍に手を貸している事実は、復帰運動に反米・反戦色を強めることとなった。同時にアメリカ軍関係の需要があった土木建築業や飲食業、娯楽業の関係者とは、復帰に反対したり、アメリカ軍基地移駐に反対するなど、沖縄の世論も二分されることになったが、1968年11月の選挙で復帰派の知事(当時はアメリカの施政下であるので琉球政府の行政主席)が当選した。1969年の日米首脳会談でニクソン大統領が沖縄返還を約束したが、安保延長が交換条件であった。1971年6月に沖縄返還協定が締結されるも、膨大なアメリカ軍基地は沖縄の願いとは裏腹に、ほとんど規模が縮小されないままでの返還であった。

ゴジラとゴジラの敵たちの時代