ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

自衛隊機 UFOと交戦


 1974年6月9日。接近してくる不明物体に対処すべく航空自衛隊百里基地のF-4EJファントムが飛び立った。複座型の機体に搭乗するのはナカムラ二等空佐とクボタ三等空佐だった。時は米ソ冷戦の真っただ中。接近してくるのはソ連の爆撃機の可能性もあると、搭乗する2人の航空自衛官は考えていた。しかし、レーダーが捉えたのはそのようなものではなかった。UFO――そのように呼ばれる存在だったのである。

 F-4FJは高度3万フィート(約9000メートル)上空にて不明飛行体を捉えた。それは赤く光る円盤状の物体であった。クボタ三佐はそれを「知的な存在によって作られ、飛ばされたものだ」と感じた。UFOは2人の乗る機体を追い回し始めた。ナカムラ二佐は何とか引きはがそうと機体を激しく操縦し続けたが、ついにUFOと接触した。ナカムラ・クボタ両隊員は緊急脱出を図り、クボタ三佐は何とか脱出に成功したが、ナカムラ二佐は殉職した。パラシュートに火が付いたため、の墜落死であった。

 自衛隊は4年の調査の後、当該のF-4EJ(機体番号17-8307)は「航空機または未知の物体と接触し、墜落した」と発表した。

 この話を聞いて、皆さんはどのように感じるだろうか。

 この事件は、邦訳されている海外のUFO研究本であるチャールズ・バーリッツの『魔海のミステリー』、ジョン・スペンサーの『UFO百科事典』、コールマン・S・フォンケビュツキーの『UFO軍事交戦記録』などにも取り上げられており、海外では有名な事例なのだという。初出は、アメリカのUFO誌『サガ・UFO・リポート』に1978年に掲載されたものだという。記事を書いたのはアメリカ人の通信記者リチャード・ドレイバーだとされる。

 記事の中に、有用な情報として墜落したとされるF-4EJの機体番号が記載されている。機体番号には一定のルールがある。最初の1は製造年(この場合は1971年)、2桁目の7は登録順(F-4EJは7。機種ごとに違う。)、ハイフンの後の8は戦闘機を意味し、301〜は製造順である。つまり、1971年に製造されたF-4EJ戦闘機の7番目の機体、ということになる。余談だが、F-4EJは。1971年7月に2機を完成輸入。続く11機(3〜13号機)を三菱重工業でノックダウン生産、127機(14〜140号機)をライセンス生産された。つまり、1971年の機体は2機しかないのである。307が出てくるのは1973年。つまり、機体番号17-8307という機体は存在しない、のである。

 自衛隊はUFOと衝突しての墜落や隊員の殉職は認めていない。空自の元高級幹部がUFOとの遭遇を暗に認めたことがあるとかいう話はあるものの、航空自衛隊がUFOと遭遇したという客観的な証拠はない。この記事をどう受け取るかは、それこそ「あなたの自由です」のレベルの話だろう。

自衛隊事件簿