ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

全面核戦争の脅威に怯えた時代

スーパーX――1984年『ゴジラ』より


 1984年12月に公開された『ゴジラ』は、1975年の『メカゴジラの逆襲』以降、途絶えていたゴジラが久方ぶりに復活した映画だった。1984年版では、1975年までの昭和ゴジラシリーズはなかったことにされ、1954年に出現してからゴジラは現れていないという、世界観をリセットした作品になった。ゴジラは人間の敵として猛威を振るい、台風や地震のような自然災害のメタファーとして再構築された。その為、災害パニック映画としての側面も強い。実際にゴジラが出現したとしてのシミュレーション映画として、政府や関係機関の専門家に協力を要請し、また、当時の冷戦構造を巡る日本の安全保障体制への言及、全面核戦争への懸念が描かれるなど、ゴジラ映画として一つの異色作であった。

 この1984年版『ゴジラ』で、日本政府は核戦争を想定した首都防衛戦闘機――「空飛ぶ要塞」ことスーパーXの投入を決定する。正式名称「陸上自衛隊幕僚監部付実験航空隊首都防衛移動要塞T-1号 MAIN SKY BATTLE TANK スーパーX」。名前の通り、陸上自衛隊所属のVTOL(垂直離着陸機)である。チタン合金とセラミック製耐熱タイルで構成する装甲は、劇中初めてゴジラの熱戦に耐えた自衛隊の兵器となった。さらに、原子炉の制御に使われるカドミウムを兵器に転用したカドミウム弾を搭載し、一度はゴジラを行動不能に陥らせるほどの戦果を挙げた。

 自衛隊が初めて手に入れたゴジラに対抗しうる武器として観客の印象に残ることになったこのスーパーX。ソ連が放った核ミサイルをアメリカの迎撃ミサイルが迎撃したことで高高度核爆発が発生し、その結果生じた電磁パルスによって戦闘不能に陥るという、核戦争を想定した兵器としてはありえない状況になってしまう。やはり、まだ研究段階の機体に過ぎなかったのだろう。当時の映画パンフレットには公開当時の技術で建造可能とあったそうであるが、閣僚にもその存在を知らない者がいたような兵器なので、乏しい予算の中で研究を続けてきた実験機を無理やり実戦に送り出したのだとすれば、殉職した6人の乗員の無念はいかばかりだろうか。

 東西冷戦下において日本という国は、核攻撃に対してあまりにも脆弱であった。というより、想定すらしていなかっただろう。日本は唯一の被爆国として核兵器をはじめとする大量破壊兵器を嫌悪し、遠ざけてきた。しかし、その結果、いわゆるNBC(核・化学・生物)兵器に対する研究も忌避されることになり、日本の防御を大きく遅らせることになった。わずかな予算の中で、自衛隊化学学校などが研究の道を絶やさずにいた結果、1995年3月に東京で地下鉄にサリンがまかれ死者12名、負傷者5500名を出した事件で、除染を行うことが出来た。しかし、犯人側が使用したのが35%という比較的純度の低い化学兵器だったり、その使用法がサリンの入った袋に穴をあけるという大規模な拡散には不適当な方法であったという僥倖であり、本格的な大量殺戮を狙ったテロ事件であったならばどうなっていたか。また、都市への化学兵器テロを全く想定してこなかった行政は混乱し、化学兵器に十分な知識がないまま被害者を救おうとした多くの警察官、消防・救急隊員、医療関係者、一般市民に二次被害が発生した。大量破壊兵器は想像を絶する恐るべき兵器であり、都市機能というのが大量破壊兵器にいかに脆弱であるかは忘れてはならないと思う。

 局地的な核や化学兵器の使用のみならず、1962年に起こったキューバ危機など、東西冷戦下で全面核戦争の危機も何度かあった。この映画が公開される前年にも一歩間違えば全面核戦争に陥りかねない事件があった。1983年9月のことである。5発のミサイルがアメリカからソ連に発射したことを、監視衛星が確認し、警報を発したのである。この3週間前に、大韓航空機撃墜事件が発生しており、米ソ関係は悪化している中での出来事だった。ソ連はアメリカからの攻撃があった場合即時反撃の準備を整えていた。モスクワのセルプコフ-15バンカーの当直将校だったスタニスラフ・ペトロフ中佐は、アメリカからの攻撃を認めた場合、これを速やかに上司に報告する義務があったが、ペトルフ中佐はミサイル攻撃を誤報と判断した。その判断は経験則に基づくものであり、合理的な根拠はなかったらしい。もしも、これが本当にアメリカからの攻撃であったなら先制攻撃を受けたソ連が対処できる時間はわずかなものだったし、アメリカからの攻撃という誤報を信じたままで攻撃を行った場合、アメリカからの核報復は必至であった、という。この行動の結果、ペドロフ中佐は「信頼できない将校」として左遷されることになったという。ソ連の軍事機密や外交政策に関係上、この事実が公になったのは1998年のことである。中佐のこの判断が、実際のところ核戦争の回避につながった英断であったのか、それともただの命令違反であったのか、その評価は定まっていないという。しかし、冷戦時代、全面核戦争は、そんなぎりぎりの状況のもとで、かろうじて回避され続けたのだった。

ゴジラとゴジラの敵たちの時代