ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

12.9警告射撃事件(1987年12月9日)


 1987年(昭和62年)12月9日10時30分ごろ。ソ連の大型偵察機TU-16(パジャー)4機が、沖縄に接近したため、那覇基地所属の第302飛行隊のF-4要撃機2機が緊急発進(スクランブル)を行った。当時はベトナムのカムラン湾から頻繁にソ連機が飛び立っており、当時はソ連機に対する緊急発進は珍しい出来事ではなく、要撃機が接近すると日本の領空から離れていくのが通常だった。しかし、同日は緊急発進した要撃機に対し、3機は北へと転進したのに対し、1機はそのまま直進し、日本領空にさらに接近した。

 要撃機は無線による警告、機体信号(相手の機体の前方に進出して翼を振る。要撃されたことを意味する。)を送り、進行を変えるように促したが。ソ連機はそのまま直進続けた。要撃機は、懸命に機体信号を送り航路を変えるように促したが、ソ連機は警告無視し続けた。午前11時20分。ソ連機は北へ転進。それは、沖縄本島へ直進するコースへと変わった。要撃機は南西航空混成団司令に警告射撃の許可を求め、団司令はこれを許可。午前11時24分、ソ連機がついに日本領空を侵犯した。

 眼下には沖縄本島、在日米軍各基地があった。在日米軍基地は偵察を警戒し、全無線交信を中断した。要撃機は地上への被害が及ばないよう領空侵犯機が海上に出たことを確認してから警告射撃を実施。これは、戦後自衛隊が初めて警告射撃を行った事案である。警告射撃が効果があったのかは分からない。午前11時31分、一旦領空の外に出たパジャーは再び転進。午前11時41分、再び日本領空を侵犯した。今度は45分までの4分強。この時2度目の警告射撃が実施されている。この後、2度に渡って領空侵犯を繰り返したソ連のパジャーは、その後北朝鮮の平壌に着陸したことが確認されている。

 この事件に対し、政府・外務省は当日のうちにソ連に対し抗議の意思を示し、翌日には外務省は駐ソ連大使を外務省に呼び出し抗議文を渡し関係者の処罰を求めた。ソ連側は悪天候による計器の故障による偶発的な出来事であると主張。翌年2月15日までに機長の降格と搭乗者の搭乗停止の処分を行ったことが大使館経由で報告された。また、翌年1月14日に退任した在日米軍司令官(兼第五空軍司令官)は、その退任のあいさつにあたって、本件が事件発生当初から在日米軍の厳重な監視下にあり、状況が把握されていたことを明かした。

自衛隊事件簿