ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

航空自衛隊 F-15僚機撃墜事件


 1995年(平成7年)11月22日、8時40分ごろ。石川県小松市の航空自衛隊小松基地に配備されている、第6航空団第303飛行隊所属のF-15Jが、空中戦闘機動(ACM)訓練中に、僚機のミサイルの誤発射により墜落した。

 訓練は29歳の一等空尉と、30歳の二等空尉とで行われた。このとき両機は緊急発進の予備機だったため、ミサイルを2発装填していた。

 模擬戦闘機動訓練は3度行われ、3度目に事故は発生した。敵役の二等空尉の背後についた一等空尉が空対空ミサイル(AIM-9L)を誤射。ミサイルはF-15Jの右水平尾翼の付け根付近に着弾した。

 二等空尉は緊急脱出し、漁船に救助された。同日15時ごろ、当時の村山内閣総理大臣に、事故の質問がなされたが、村山総理は、このとき初めて事故のことを知ったという。ただし、官邸への報告は、もっと早くになされていた、とされる。

 当初、一等空尉は発射ボタンを押したか押していないか分からない、と供述していたが、24日になって発射ボタンを押したことを認めたとされる。帰還時に火気管制主スイッチが入っていなかったため、火気管制トラブルが疑われたが、後にヘッドアップディスプレイ(HDD)には発射準備完了の表示が出ており、火気管制装置は正常に動作していたことが確認された。三菱重工の調査でも異常は発見できず、ヒューマンエラーの疑いが濃厚となった。つまり、一等空尉が本来オフにして訓練に臨まなければならない火気管制主スイッチを無意識にオンにして発射ボタンを押したため、サイドワインダーが発射されたものであるということになる。

 この事故によって航空自衛隊は全戦闘機の緊急点検を行った後、順次任務は再開されていった。当時は、緊急発進の予備機がミサイルを装填したまま戦闘訓練を行うこともあったが、この事件をきっかけに、ミサイルを装填しての訓練は廃止されることになったという。

 翌年6月に防衛庁(現防衛省)は杉山統幕議長(現統合幕僚長)、小泉航空総隊司令官、早瀬中部航空方面隊司令官など8名が処分された。ミサイルを誤射した一等空尉は停職10日・パイロット資格の剥奪の処分が下され、過失航空危険罪の疑いで金沢地検へ書類送検された。10月25日、金沢地検は、すでに操縦資格剥奪などの制裁を受けていることを理由に起訴猶予とした。11月11日、航空自衛隊は、事件は一等空尉が無意識のうちにミサイル発射が可能な状態にしたことで発生した、一等空尉の全面的な過失によるものと発表した。

 日本海に墜落した機体は、事故から5日後の11月27日に発見され、翌1996年2月25日に引き上げが終了した。

自衛隊事件簿