ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

ゴジラの役割は終わったか

バーニングゴジラ――1995年『ゴジラVSデストロイア』より


 1984年(昭和59年)の『ゴジラ』から、1995年(平成7年)の『ゴジラVSデストロイア』まで十余年にわたり世界観を同じにする所謂「平成VSシリーズ」が7本制作された。『ゴジラVSデストロイア』は“ゴジラ死す”“シリーズ最終作”ということを前面に押し出してファンの期待を否応なく高め、観客動員400万人・配給収入20億円と、1996年の邦画で配給収入第1位を記録するヒットとなった。最終作での敵は1954年(昭和29年)の『ゴジラ』において東京湾でゴジラを倒したオキシジェン・デストロイヤーによって蘇り異常進化を遂げた恐るべき生物デストロイア。デストロイアは無酸素状態で生きてきたために迂闊に火器を使うと異常な進化を誘発してしまいかねない。ゴジラは体内の核エネルギーの暴走によって無闇に物理攻撃を加えると核爆発してしまいかねない状況になっている。自衛隊は厄介極まりない二つの敵との戦いに冷凍兵器を用いて戦うことになる。

 平成VSシリーズでは東京をはじめとして日本の多くの大都市の破壊が描かれた。ゴジラは高層ビル群をはじめ、橋梁や鉄塔、空港など、各地の象徴的な近代建築物を次々破壊した。ゴジラが破壊したのは古い伝統や文化といった日本的な価値を意味ないものと一方的に切り捨て、命すら金で買えると嘯き、目先の金のために自然や古い景観、遺物などを破壊してきた日本の戦後ではなかったか、とも思える。

 平成VSシリーズが制作された十年余りの間に、日本は1985年9月のプラザ合意による超円高への移行、指標の上では1986年1月に始まったとされる後にバブル景気と呼ばれることになる不動産価格や株式価格の上昇と好景気、1990年3月に大蔵省が行った総量規制と呼ばれる行政指導や日本銀行の金融引き締めなどによってバブル景気は崩壊、景気の後退局面に突入する。政界では1993年7月の衆議院議員選挙において自民党は単独過半数を取れず、新党ブームによって生まれたた新生党、新党さきがけ、日本新党が100議席を獲得し、社会党、公明党らとともに8会派による連立政権が生まれた。自民党は戦後初めて下野し、所謂55年体制は終わりを告げた。しかし、1994年6月、自民党はイデオロギーで対立関係にあった社会党と連立を組んで与党に復帰する。初めての社会党の首相の誕生だったが、無節操な野合にも見えるこの連立政権発足は有権者の政治不信を加速させ、無党派層を増やすことになった。そして、その社会党政権の下、1995年1月に阪神大震災、3月に新宿地下鉄サリン事件が立て続けに起こり、安寧や平穏は災害やテロリズムによって簡単に覆されてしまうものだという現実が、国民に突き付けられることになった。ゴジラにぶっ壊してもらわなくても、日本は確実に変化を余儀なくされる、そんな十余年であった。

 そして、その間に、世界の在り方も大きく変化した。1989年12月のマルタ会談で東西冷戦の終結が宣言され、1990年10月に東西ドイツの統一、1991年12月のソビエト連邦の解体・独立国家共同体の発足によって共産主義陣営の敗北が決定的になった。世界はイデオロギーの対立の構造から、唯一の超大国としてアメリカ合衆国が君臨する中、宗教や民族の対立の時代に移行するものと思われた。大量の人口を抱える中国をはじめとする途上国が豊かさを得ていくにつれ、食料・資源をめぐる争いも熾烈なものになっていくことが予想された。日本とて危機とは無縁ではいられなかった。1994年の北朝鮮の核開発や金日成総書記の死によって起こった危機において、アメリカは開戦の可能性も想定していたとされる。アメリカから「どこまで協力ができるか」と問われた日本の時の政権は極秘裏に検討を始めたというがほとんどの一般国民はその事実を知る由もなかった。アメリカの当時のクリントン政権は米韓合わせて100万超の戦死者という試算に断念したと言われる。

『ゴジラVSデストロイア』の最後で、メルトダウンを起こしたゴジラは崩壊していく。それを見ながら、平成VSシリーズの6作品にレギュラーで出演していた小高恵さん演じる三枝未希は「私の役目は終わった」と呟く。何となく「ゴジラの役目は終わった」と言ったようにも聞こえた。戦後の東西冷戦の中、西側の最前線であった日本にも再軍備が求められた。警察予備隊という日本の警察力を補う存在としてスタートした自衛隊は、世界でもトップクラスの予算を付けられた。しかし、自衛隊の存在意義は、強力な正面装備を多数備えることで、他国による侵略の意思を挫くことにあったとも思える。実際に戦争をすることを想定することには国民の戦争アレルギーもあり仮想敵をもとに現実的な脅威に対抗するための議論すら消極的なものにとどまった。ゴジラは時に戦争の、時に大災害のメタファーとして、自衛隊の前に立ちはだかった。しかし、時代が変わり、現実の脅威を突き付けられた日本国にとって、ゴジラという仮想敵の役割は終わったのではないかと思えるのである。メルトダウンを起こして崩壊していくゴジラに対し、自衛隊はありったけの冷凍兵器を叩き込む。これは、急激に冷却をすることで核の暴走を少しでも食い止め、放射性物質の拡散を防ごうという行動だったが、ゴジラの苦痛を少しでも和らげようという措置にも見え、自衛隊とゴジラの関係の一つの象徴的な場面だと思っている。もっとも、平成VSシリーズの終了からわずか4年後、ゴジラは再びスクリーンに戻ってくることになるのだが。

ゴジラとゴジラの敵たちの時代