ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

テポドン・ショック


 1998年8月31日午後12時7分頃、北朝鮮の東海岸よりロケット推進の飛翔体が発射された。防衛庁・自衛隊は、アメリカの偵察衛星からの情報や、自衛隊の独自の情報によって何かしらの発射が近いとの感触を得ており、8月半ばから舞鶴基地のイージス艦「みょうこう」を日本海上に配備させていた。また、アメリカもミサイル追跡船や、ミサイル追跡機を展開させていた。その中での発射であった。アメリカの早期警戒衛星は即座に発射を察知し、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のコンピュータが割り出した飛翔経路は防衛庁にも通告された。

 後に西側諸国では発射地点付近の地名を取り、これをテポドン1号と呼称した。テポドン1号は真東に発射され、上昇しながら1段目を切り離し、1段目は日本海に落下。さらに高度を上げながら頭部の空力覆い(フェアリング)を切り離した。フェアリングは高度160kmで日本列島を飛び越え、三陸沖80qに落下。高度200q〜300qを飛翔するテポドン1号は第2段目を切り離して、さらに飛翔した。切り離された2段目は三陸沖600qの太平洋上に落下した。

 日本海上に落下するものと考えていた防衛庁は13時30分に北朝鮮が日本海に向けてミサイル実験を行ったことを発表した。その後、アメリカから太平洋上に落下という事実が伝えられ日本政府は難しい対応を迫られることになる。さらに15時ごろに韓国国防部が太平洋上への落下を発表。発表の内容やタイミングをめぐって防衛庁と外務省の綱引きが続く間に政府の立場は悪くなっていき、事実を公表したのは発射してから半日近くが経過した23時過ぎであった。

 さらに9月3日になると北朝鮮は発射は人工衛星の打ち上げであったと主張。人工衛星「光明星1号」が軌道周回入りし、地上に向けて27メガヘルツの短波で発信していると発表した。アメリカは衛星軌道上の物体を捜索したものの発見には至らなかった。日本も、「みょうこう」が観測したデータを分析し、飛翔経路の解析に努めるとともに、郵政省などの観測所も使って、「光明星1号」が発しているという電波を捕えようと試みたが、日本の観測所でも、アメリカの観測所でも、他の国からも観測したという報告は得られなかった。

 最終的にアメリカ、韓国、中国、ロシアといった国は、北朝鮮が人工衛星の発射を試み、失敗したと結論付けた。日本としては、あくまでも弾道ミサイル実験であったという立場である。もっとも弾道ミサイルか人工衛星打ち上げのロケットかの違いは、先端に乗っているのが爆弾か衛星かでしかなく、それが日本列島に向けて無警告で発射され、大気圏外とはいえ日本の上空を飛び越えたという事実は、日本社会に冷水を浴びせ、日本人の安全保障に対する意識を大きく揺さぶった。それからすぐに、長年世論の動向や予算の関係で二の足を踏んでいた偵察衛星(情報収集衛星)の導入と、アメリカが推進するミサイル防衛構想(TMD)への参加が決定した。

自衛隊事件簿