ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

全国の自衛隊には「防衛出動待機命令」を発動します

漫画「代紋《エンブレム》Take2」より


 1990年から2004年にかけて「週刊ヤングマガジン」にて連載されていた原作・木内一雅、作画・渡辺潤による「代紋《エンブレム》Take2」。末端のチンピラに過ぎなかった主人公・阿久津丈二が事故によって死亡し、十年前にタイムスリップしたことをきっかけにヤクザの世界でのし上がっていく、ヤクザ物とSFを融合させた作品で人気を博した。

 舞台となっているのは1979年から1989年の10年間。ヤクザ世界の複雑な社会体系や内部事情を事細かに描き、ヤクザの抗争の中で勝ち抜いていく丈二のサクセスストーリーは、秀逸なヤクザ漫画の一つとして名前が挙がる。しかし、最終話で明かされる物語の世界の真実は多くの読者に衝撃を与え、15年かけてちりばめられた伏線に感嘆する声もあれば漫画史上に残る最悪のラストと扱き下ろす声もあり賛否が分かれた。

「代紋《エンブレム》Take2」に対する評価は、最終章が始まった頃から大きく揺らぐことになる。千葉統一を果たし、関東で一目置かれるヤクザとなった丈二だが、最大のライバル・江原がその前に立ちはだかる。江原は丈二の恋人を殺害し、関西最大のヤクザ組織の内部抗争に乗じて東京に傭兵を引き入れる。警視庁を攻撃し、東京タワーや高速道路を破壊し、機動隊の一個部隊を壊滅に追い込んだ傭兵の前に、東京は混乱し、治安は悪化していく。そこに関東のヤクザの内部対立も加わり、ディストピアへと変わっていく東京。これまでもヤクザの抗争で人が死ぬ場面は多くあったものの、ヤクザの抗争を遥かに超えた武器の数々によって人の命が無造作に刈り取られていく描写の数々は、明らかにヤクザ漫画の域を超えており、多くの読者を戸惑わせる結果となった。

 しかし、46巻から最終62巻にかけて描かれた傭兵との抗争や江原との決着に至る一連のストーリーは、それ以前のストーリーと切り離し、これ単体で読めば優れたポリティカル・フィクションだったと思う。表題に挙げたセリフは、劇中の総理大臣・安倍信太郎が、自衛隊に治安出動を命じる場面のもの。次々と攻撃を受け、東京が機能不全に陥っていく中、もはや警察力のみではこの事態に対処できないと、自衛隊の治安出動の議論が活発化する。しかし、自衛隊の出動には閣内からも野党からも反対意見が根強く、調整は難航する。しかし、治安出動にもっとも反対しているのは、当の自衛隊であった。治安出動では武器は警察比例の原則でしか使用できず重火器を持った傭兵には到底太刀打ちできない。そのような状態で出動しても自衛隊も警察の二の舞になってしまう。警察としては、自衛隊を出動させるにしても警察の指揮の下で運用させたいため、治安出動でなければ困る。

 現場で流れる血を無視した官僚的な主導権争いが続く中、傭兵が外国人であることが判明する。しかし、だからといって即座に防衛出動というわけにはいかない。防衛出動をするためには、武力攻撃の主体が国または国に準ずる組織でなければならないからだ。傭兵を雇ったのが外国政府であることが分からなければ、防衛出動はできないことになる。自衛隊と警察のトップの前で、安倍総理大臣が下した決断は、自衛隊への治安出動の下命であった。しかし、安倍総理は自衛隊はあくまで東京の治安回復のための出動であり、傭兵の逮捕や原発などの重要施設の警備は警察が行うようにと命じた。そして、これ以上の傭兵の破壊工作が行われるときは、自衛隊に防衛出動を命じるとも。そのために、「防衛出動待機命令」の発動を宣言する。

 劇中ではこの対応を「慎重な判断」と閣僚からも称賛されるが、防衛出動を下命する前提やハードルが変わったわけではない。国民を守るための超法規的な措置である。舞台となっているのは昭和最後の年であり、今のように警察と自衛隊との間での国民保護のための協定や共同訓練などもない時代の話である。戦争が終わってまだ45年ほどであり警察と自衛隊の相互不信も今より根強かった。現在ならまだまともな法体系や省庁間での協力体制になっていると思いたいところだが、それらの整備は幾度かのクライシスを経験し、時に多くの血が流れ、命が失われた上で構築されたものである。法令の想定する事態を遥かに超えた現実が出た場合、超法規的措置を取るか既存の法を現実に合わせて拡大解釈するしかないのだろう。

創作物のセリフから