ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり(2015年,2016年)

DATE

2015年7月〜9月、2016年1月〜3月 TOKYO MX TVアニメ

監督  京極尚彦  原作  柳内たくみ

キャスト  伊丹耀司:諏訪部順一  テュカ・ルナ・マルソー:金元寿子  レレイ・ラ・レレーナ:東山奈央  ロゥリィ・マーキュリー:種田梨沙  ピニャ・コ・ラーダ:戸松遥 他

内容にはネタばれを含んでいます。  解説・感想  ストーリー  映画の中の自衛隊



【解説・感想】

 原作は元自衛官の柳内たくみが別名義で投稿小説サイト「Arcadia」で連載していたWeb小説。2010年にアルファポリスより加筆訂正が行われて単行本が刊行された。突如開いた門の向こう側の異世界を舞台に、自衛隊と異世界の住人たちとの交流や異世界の軍勢や、モンスターとの戦いを描くファンタジー作品。

 近代兵器で固めた自衛隊が、中世レベルの文明・戦力程度の国を相手に無双する話、という意味ではファンタジー版「戦国自衛隊」と言えないでもないようにも思うが、自衛隊と敵部隊との戦闘後の交渉や、自衛隊が実際に異世界に行ったときに現地とどのように関わるかとか、日本と帝国の戦後処理の交渉など、政治劇のような面もあり、リアルに見える作品になっていると感じる。

 放送された2015年から2016年頃は、安倍内閣の下で集団的自衛権の議論が活発に交わされていた時期であった。その為、政治的な意見も含めた批判に晒されることもあった。もっとも、アニメを通して見た感想としては作品内容そのものにはそんなに政治的な意図はなかったように思う。……大小さまざまなツッコミどころは満載のアニメであるが。第3期を期待する声も根強いアニメだが、個人的には原作は未読だし、すっきりした終わり方だったと思うので、このアニメはこれで十分かな、と思う(この後かなり殺伐としたストーリーが展開されるようだし)。

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【ストーリー】

 銀座に突如として異世界からの門が開いた。その向こうからやってきた、中世を思わせる鎧の兵士たちやモンスターを思わせる風貌の化け物たち。不意を突かれた東京は混乱し、多くの犠牲者を出した。警視庁機動隊の奮戦や、皇居の門を開き被災者を収容するという宮内庁の英断によって、被害は最小限に収められるが、異世界の侵攻部隊は国会議事堂に迫ろうとしていた。しかし、自衛隊に出動命令が下され、本格的な反攻作戦が開始されると異世界からの敵は一掃され、多くの敵を捕虜とした。全ての発端となったこの戦闘は、後に銀座事件と呼ばれることになった。

 その日、コミケに参加するために銀座にいたオタク自衛官の伊丹耀司の奮闘は大きく評価され、銀座事件の英雄と呼ばれることになった。日本政府は、門の向こう――「特別地域(特地)の調査や、銀座事件の首謀者の逮捕や被害の補償を求めるべく、自衛隊に特地派遣方面隊の編成を指示し、派遣することを決定する。

 門の向こうには帝国と呼ばれる国家があり、自衛隊が展開し陣を敷いた門の周辺はアルヌスの丘と呼ばれ、帝国の聖地だった。帝国は同盟を結んでいる諸王国に兵を出させ、アルヌスの丘へ攻撃させるが、自衛隊の暗視装置と射程の長い砲火による応戦によって、10万の軍勢は自衛隊の姿を見ることなく壊滅した。それは帝国皇帝の計算通りであった。これによって諸王国は戦力・指導者の多くを失い弱体化した。帝国は自衛隊に対して長期戦を挑む腹積もりであった。第3皇女ピニャは、自らが指揮を執る薔薇騎士団とともに偵察のためにアルヌスの丘に向かう。

 銀座事件での行動を評価され一等陸尉に昇進した伊丹は、第三偵察隊を率いて現地の調査を行っていたが、その最中に巨大な炎龍に襲われたエルフの村を発見し、エルフの少女テュカを救出する。さらに、近隣の村人たちは炎龍から逃れるために村から離れることになり、彼らの護衛をすることになった。その中で賢者の弟子であるレレイや、亜神で見た目は少女のロゥリィなどと知り合う。避難中の村人たちが炎龍に襲われ、第三偵察隊はわずかな戦力で対抗し、少なからぬ犠牲者を出しつつも撃退する。そしてテュカやレレイたち生き残りは避難民として自衛隊の保護下に置かれることになった。

 その頃、ピニャが率いる騎士団はイタリカの街で盗賊軍と化した諸王国軍の敗残兵たちの襲撃を受けていた。幼い領主に代わって指揮を執るピニャも、初めての実戦に加え、味方の兵力は少なく、敵は経験豊かな元兵士の大軍とあって劣勢を強いられていた。そこに、イタリカの街と通商を行いたいと第三偵察隊がやってくる。避難民の自立のために交易のルートを確保したいという目論見だったが、成り行きでイタリカの街の防衛に協力することに。第三偵察隊を信用できないピニャは最も危険な場所を守らせ捨て駒にしようとするがそれが裏目に出て敵の侵入を許してしまう。遅れて駆け付けた第三偵察隊が盗賊軍と交戦になり、同時に攻撃ヘリ部隊に救援を要請。ワーグナーを響かせながらイタリカの街に到着した攻撃ヘリ部隊は、あっという間に盗賊軍を殲滅する。その圧倒的戦力を目の当たりにしたピニャは、自衛隊の底知れぬ能力に戦慄する。

 伊丹たちは一旦帰国し、国会で特地について報告をすることになった。そのことを知ったピニャは、帝国の代表として日本を知るために、伊丹たちに同行することを申し出る。同時に、特地での状況を証言するためにテュカ、レレイ、ロゥリィの3人も日本に来ることに。しかし、門のこちら側でも、特地での利権を目論む各国が独自の動きを進めていた。

 アニメでは、異世界の住人と自衛隊が接触する第1部「接触編」、炎龍討伐が描かれる第2部「炎龍編」、帝国の権力闘争と日本の帝国への介入が描かれる第3部「動乱編」で構成され、イタリカの街での帝国政党政府樹立宣言が為されるところまでが描かれている。

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【映画の中の自衛隊】

 前述したとおり、放送された頃は、集団的示威権の行使容認や安保法制を巡り、紛糾していた時期であった。その為、自衛隊が少なからず制作に協力しているこのアニメも、政治的な視点からも批判の対象とされた。もっとも、Web小説として発表されたのは2006年4月とのことであり、作者に政治的意図があって執筆された小説ではなかったものと思う。圧倒的な戦力を有する主人公や主人公が所属する組織が、愚かな小悪党たちを力でねじ伏せていく話にカタルシスを感じる人間は決して少なくない。それこそ時代劇の『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など何度も続編が製作された人気シリーズであるが、水戸光圀の印籠が内政干渉だとか、徳川吉宗の行為はただの大量虐殺だとか、そういった批判はあんまり聞いたことがない。フィクションはフィクションと誰もが割り切って視ているからで、今作はそれが自衛隊と日本国だったというだけの話であり、作中に出てくる自衛隊はフィクションの自衛隊や日本という国家でしかない。エンターテイメントを盛り上げるためにの“演出”を現実の自衛隊に当てはめて批判するのはおかしな話だと思う。もちろん、アニメのストーリーやその演出を批判すること自体を否定する気はないが……。

 とはいえ、自衛隊の装備品の数々は精緻に描かれており、後で映像と実際の装備品の写真を見比べると、戦車やジープなどの車両に小銃・火砲ばかりでなく、野外炊具や野外入浴セットなどに至るまでよく描けているなぁ、と感心する。また、小銃の持ち方など自衛官らしい動作も研究した上で描かれたそうで、そのこだわりある描写のおかげで、陸上自衛隊の一方面隊に相当する兵力を有している架空の組織である特地派遣方面隊や情報がほとんど公開されていない特殊作戦群の描写に、強いリアリティを与えている。

 逆に作中に登場してくる自衛官が無双しすぎるのは作品の質を下げてしまっているように思う。銃剣格闘で多勢を相手に圧倒する女性自衛官や、いくら自衛隊の精鋭部隊とはいえデルタフォース相手に圧勝する特殊作戦群。自衛隊の組織や兵器が圧倒するのはとにかく、自衛官個人まで無双してしまっては作品の緊迫感や手に汗握る展開など全く期待できなくなってしまう。ついでに主人公の伊丹二尉も「仕事よりコミケを選ぶ」という筋金入りのオタクとして描かれており、政治的なやり取りには無関心、基本ヘラヘラしているのが日常というキャラクターである。レンジャー徽章を持っているとか、ことあるごとにフォローは入っているものの、この上司に命を預けられるかと言われると……。ただ、自衛官にはオタク的(何か特定のことに強いこだわりや知識を持つという意味で)な人材が多いのは事実らしい。

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