鳥取県ホッケー協会の概要

設   立     昭和51年10月20日    

 昭和60年のわかとり国体の誘致が表面化したのが昭和48年頃であり、そのころから日本ホッケー協会、鳥取県教育委員会体育保健課などのうしろだてを受けながら、昭和51年の協会創設に至った。その後は智頭農林高校、鳥取農業高校、岩美高校で同好会や必修クラブでの普及活動を続けた。
 昭和53年には第40回「わかとり国体」ホッケー競技開催地として郡家町(現 八頭町)が決定し、郡家町の国体開催に向けた取り組みも始まった。同年夏には智頭農林高校、鳥取農業高校で女子ホッケー部が誕生した。また、昭和54年春に成年男子チームが、夏には中央中ホッケー部も創部した。国体開催が郡家町に決定したことから、地元八頭高校にも部ができ国体に向け強化を始める。わかとり国体の前年の昭和59年には国体のリハーサル大会として実業団大会を開催、同年秋にはついに八頭高校女子が県勢として初めて本国体(奈良県 わかくさ国体)に駒を進めた。
 昭和60年、第40回国民体育大会(わかとり国体)では成年男子が3位、成年・少年女子が4位に入る健闘を見せた。その後も女子を中心に、沖縄、福岡、愛知、広島、高知、山口等の国体に出場している。また国体の翌年(昭和61年)には郡家町で全日本社会人大会を、そして平成8年には全日本中学生ホッケー選手権大会を開催した。
 平成15年4月に八頭高校に念願の人工芝グラウンドが完成し、今後のさらなる発展が期待される。これを機会に、平成17年には全国スポーツ少年団ホッケー交流大会が行われた。さらに平成18年度には初の国際試合となる日・韓・台Uー18男子ホッケー大会を開催した。
 長年県内チームは、小学校1(郡家西小)、中学校3(中央中・船岡中・倉吉東中)、高校2(八頭高校・倉吉西高校)、成年男子チームと女子チームで推移してきたが、少子化の影響で平成15年夏の大会をもって船岡中の廃部が決定した。しかしながら全国大会を契機に、スポーツ少年団が少しずつ増えている。15年現在は鳥取市初のチームとして津ノ井スポーツ少年団が結成され公式戦にも出場した。また、郡家東ホッケースポーツ少年団、若葉台ホッケークラブも誕生し、県内の小学生競技者は約100名ほどになってきている。
平成18年には新たな創部活動が実り、鳥取市立桜ヶ丘中学校にホッケー部が誕生し、中学校が従来の3校になった。しかしながら、平成20年に倉吉東中学校が休部(事実上の廃部)となり中学校が2校に減った。
平成19年に、県内のホッケー愛好者が中心となり、湖山エレンシアホッケークラブが創設され、生涯スポーツとしてホッケーを楽しむことができるようになった。顔ぶれも豊かで、30年以上ホッケーをやってなかった同志社大OBや京大OBの公務員、など県内でホッケーをやっていなかった人なども集まって和やかにやっています。
平成22年には県内5番目のスポ少として、米里ホッケースポーツ少年団が立ちあがり、一進一退ながらも盛り上がりを見せている。しかし、少子化の影響は大きく小学生の競技人口の確保が大きな課題である。