聖宣神学院・院報から 「若い同労者への折々のメッセージ」(復刻版)


神学院・院報シリーズ:その5

「2000年度の新学年開始]

「私たちの資格は神からのものです。」
( 第二コリント3:5)

  年会前の3月13日(月)、第52期生の入試が行われ、3名の兄弟たちが受け入れられた。
     ・岡  信男(IGM) 加古川教会
     ・吉野  実(IGM) 四日市教会
     ・柏木  渉(IGM聴講)横浜教会
  また、昨年通学で聴講していた寺村達雄兄も今学年度から入寮して、聴講生としての学びを継続する。半年間、神学院に籍を置いた蔦田就子姉は、医療宣教師としての奉仕につくために、年会直後ケニアへと旅立っていった。年会において「単身の婦人牧師を交わりの少ない遠隔地へ派遣しないでほしい」という声が聞かれた中に、、、である。   3名の新入学者を受け入れ、今年の神学生数は、男子12名(うち聴講生3名、休学2名)、女子6名(うち聴講生1名、委託生3名)の総勢18名となった。これらの神学生のための祈りを乞うものである。ここ数年、神学生数はこのレベルを保っているが、姉妹方の献身者が興されないことに危機感を抱いている。原因を究明して、早急に解決を図らなければならない。
  さて冒頭に掲げたように、第二コリント3:5には「私たちの資格は神からのものです」とある。人は誰であっても、神に仕える者、福音に仕える者、そして、教会に仕える者を決める権限はない。それは唯、召したもうた神にのみ属する権限である。
  しかし同時に、伝道職は人さまを相手にする仕事であるので、人々とどのように関わってゆくかは非常に大切なこととなる。資格が神から来ることのみを心に留めて、人を無視する愚かさを演じてはならない。資格は人からは来ない。しかし、奉仕の対象は人々なのである。人々が受け入れてくれなければ、彼らに福音を語ることさえできない。教会員の兄弟姉妹が協力してくれなければ、教会は成り立たないのである。教会とは建物ではなく、兄弟姉妹自身なのだからである。
  欠けの多い私たち人が、神から資格を与えられて、伝道者としての務めを全うするためには、主のあわれみを必要としている。そのあわれみによって、私たち罪人のかしらが「主と同じかたちに姿を変えられてゆ」くのである。

■  神学院・院報シリーズ:その4

■  神学院・院報シリーズ:その6

.                                     聖書の写本:日本聖書協会・前総主事の佐藤氏の提供


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