■ 今日の「井戸掘り」
. . 「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。」. 詩篇39:1〜13
■ 井戸を掘りましょう:
. .詩篇37篇に語られている、悪者たちに直面して正しい者が取るべきいくつかの態度に加えて、この詩篇39篇は「沈黙を守」ることを教えています。悪者の前で口を開くと、悪者はそれを全然異なった意味に曲解して「あの人はこういった、ああ言った」と、あることないことを意図的に噂として流すことがあるからです。悪の者の前では、沈黙することのほうがしばしば賢いことなのです。
. .さて、聖書で「悪者」と言うとき、常識的に考えた「悪者」が含まれることは勿論ですが、更に広い範囲の人々が含まれています。常識的には「悪者」はその人の法律や道徳に反した行為との関係において判断されますが、聖書では、それは宗教的な概念が中心となっています。すなわち、その人の創造主である神に対する態度が、その人が「悪者」であるかどうかの判断基準なのです。一見、世の中での悪と無関係に見える人々でも、神を無視して生きているその人の人生のゆえに、その人は「悪者」に分類されます。
. .真の神を否定すること、また、無視することは道徳の絶対的な基準を見失うことになるわけですから、宗教的な意味合いでの「悪者」の中には、法律的・道徳的な悪人が多くいるのも当然です。「悪者」との語を後者に限定して、宗教的・霊的な意味で捉え損なうことは、聖書を真に理解していないことになります。
. . 悪者の前で沈黙を守ることは必要なことですが、それは苦痛なことでもあります。「私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。」(3節)。沈黙がもたらす苦痛から救われる道は、主に語ることによって見出されます。日本の諺に「物言わざるは、腹膨るるのわざ」とありますが、沈黙を守りつつ、心が爽快であり続ける道は、神に語り掛けることです。祈ることです。
. .「主よ。お知らせください。ご覧ください」(4節以下)。