. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第1講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「イエス・キリストの使徒ペテロから、、、」         ペテロの手紙1:1〜2 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ペテロが、もしナザレのイエスと出遭なかったなら、また、イエスと出遭っていても、ぺテロが、他の多くのユダヤ人のように、その方がメシヤ(キリスト)であると信じなかったなら、ペテロの生涯は、ガリラヤの漁師シモンとしての一生で終わっていて、こうして同信の友に手紙を書き送ることもなかったでしょう。そうすれば、シモン・ペテロの名が歴史の中に残って、後代の人々の目に留まることもなかったでしょう。

   しかし、ペテロはイエスと出遭い、その足跡に従って、その人生を生きることを決意したのでした。こうして、ガリラヤ湖畔で漁を営む平凡なひとりの男が、「イエス・キリストの使徒」としての人生を歩み始めたのでした。それ以来、ペテロの名刺に記された肩書きは「イエス・キリストの使徒」となりました。

   ペテロは、どのような思いで、自分を「イエス・キリストの使徒」として紹介したのでしょうか。きっとそれは、感謝と誇りをもって、、、であったに相違ありません。自分のような、学問もない、また、社会的な地位もないごく普通の男が、主イエスに従ったことのゆえに、多くの人に(ペテロは、その時は意識していなかったでしょうが、実際は幾世代にも亘って、全世界の人に)影響と感化を与えるようにされたことへの驚きの想いもあったことでしょう。

   「イエス・キリストの使徒」! 私たちは「使徒」と呼ばれないかもしれません。また、私たちが与える感化・影響は、ペテロのように、幾世代にも亘って、全世界の人々に、、、ではないかもしれません。しかし、自分を紹介する時、「イエス・キリストの弟子」、「イエス・キリストの信者」とイエス・キリストの御名と結びつけて、自己紹介することができることは、この上ない名誉、また、幸せなことであることを自覚して、そうしたいものです。

   願わくは、自らを「イエス・キリスト」に結びつけたことによって、その御名が汚されませんように。「あの人がクリスチャンなら、私は決してキリストを信じない」といった否定的なことばを聞くことがありませんように。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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