こちらの「Q&A」は、アーカイヴとして記録してある過去の「質問・回答」です。
2004年2月14日:「原罪」について
Question/0004:
前の質問に答えてくださりありがとうございます。今度は「原罪の定義」に関する神学的な質問ですけど、ジョン・ウエスレー説教53(下)、原罪の欄に訳者ノートとして、「原罪の教理はいわばキリスト教の救済論の出発点であり、ここを誤ると 行き着くところは十字架の贖罪の意義が消失する。すなわちキリスト教の中心をうがつことになる。」と書かれていました。
「原罪の定義」を 教えてもらいたいんです。恐縮なんですけど、ウエスレアンの立場を教えてください。

 
Answer/0004:
「原罪」と言う時、2重の意味があるようです。
1.アダムの犯した最初の罪、即ち、神の命令に背いて、善悪を知る樹の実を食べたという罪。これを「原罪」、元もとの罪と呼びます。
2.更に、アダムの罪の結果、その子孫の凡てに、即ち、私たちひとりひとりの心に、生まれつき巣 くっている神に反逆する性質=即ち、罪の性質、罪性、聖書の用語では「肉」=を指して「原罪」と呼びます。

 この原罪の理解においては、改革派もウエスレアンアルミにアンも違いはありません。相違があるとすれば、「アダムの罪から生じた咎」に関してで、
1.改革派では、選ばれていない人は、赤ちゃんでも、アダムにおいて生じた罪咎を持っているので、断罪に値する、それゆえ滅びに、値すると考えます。
2.ウエスレアン・アルミニアンの立場では、赤ちゃんのような、まだ、道徳判断ができない年齢の幼児の場合は、その罪咎は、キリストの十字架によって既に解決されていて、赤ちゃんは、例え、死ぬことがあっても、先行的恩寵のゆえに罪に問われないと考えます。罪に問われるのは、善悪の判断が可能な年齢(The Age of Accountability)を過ぎた人々、すなわち、自分の行為に責任を持つ年齢に達した人々です。

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