風姿(ふうし)花伝(かでん)   世阿弥(ぜあみ)


この本は、どうして若い時に、育児の前に読まなかったのかと、悔やまれてならない書物であった。芸のみでなく、人間形成、物事の発育過程の自然な姿、過程を心情的に亦、実に本質を突いたもので、圧倒的な名著である。
先ずは、「風姿花伝の名言」から抜粋しご披露することとする。  

平成246月   岫雲斎圀典

1日  言葉卑しからずして姿幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべき哉」。    (風姿華伝) 世阿弥は、芸格・人格の融和した気品の香気す る花やかさを到達目標とした。

岫雲斎
「物の言い方が卑しくない、身の佇まいが、
いかにも華やかで、優雅な気韻のある人。これは天性の人格より醸しだす気品や香気の融和した人物像である。

2日 『風姿花伝』の第一章が「年来稽古条々」。年齢に応じた稽古教育方法を述べたもので年齢に応じた対処方法、歳を経ていく 自分を後世に伝えようとしている。
教育者として親として、どのように子供(若年者)に対応したら良いかの観点

年齢を経て成長していく子供の対処法であり、世阿弥の教育論、人生論である。
人間の成長過程を凝視した極めて示唆に富んだ内容である。

3日 稽古は強かれ、情識はなかれと也」。(風姿華伝) 我意を張れば芸域が狭くなる 岫雲斎
「稽古は厳しく、我意を立てて固執すれば芸
域が狭くなる、柔軟にだ」。
4日 人生哲学の書 世阿弥が書き記した珠玉の言葉には、自らの芸と人の世に対して鋭い洞察が見てとれる。

それは一般人の人生哲学としても、時を超えて、現代に生きる我々の心をも強く打ち、社会を生き抜く知恵を授けてくれると確信する。

5日

世阿弥の珠玉の言葉の中から、代表的なものを紹介すする。

随時に詳しく述べることとする。

@初心忘るべからず、
A男時・女時
B時節感当
C衆人愛敬
D離見の見
E家、家にあらず。次ぐをもて家とす。


F稽古は強かれ、情識はなかれ
G時に用ゆるをもて花と知るべし
H年々去来の花を忘るべからず
I秘すれば花
J住する所なきを、まず花と知るべし
Kよき劫の住して、悪き劫になる所を用心 すべし

6日 非道を(ぎょう)ずべからず 勝れた芸を身につける為の実に厳しい言葉である。純粋に明けても暮れても専心に芸のことを考えよとしている。芸人の掟を掲げている。

一、好色・博奕・大酒。 三重戒。是古人の掟也。

二、稽古は強かれ、情識はなかれと也。
稽古は、みっちりと納得ゆくまでやれ。我意を立て頑固に固執すると言う情識を忘れ個性を磨けという。

7日 七歳(年来稽古条々) (この)(げい)において、大方、七歳をもて、(はじめ)とす。此比(このころ)の能の稽古、必ず、その者自然とし出す事に、得たる風体(ふうてい)あるべし。舞・働きの間、音曲、(もし)くは怒れる事などにてもあれ、風度(ふと)()ださんかかりを、

うち(まか)せて、心のままに、せさすべし。さのみに、善き、悪しきとは、教ふべからず。
あまりに痛く諫むれば、(わらべ)は気を失ひて、能、物くさく成りたちぬれば、やがて、能はとまる也。ただ、音曲・働き・舞などならでは、せさすべからず。さのみの物まねは、たとひ、すべくとも、教ふまじきなり。大場(おおにわ)などの脇の申楽(さるがく)には、立つべからず。三番・四番(よばん)の、時分のよからむずるに、得たらむ風体をせさすべし。
 

8日 岫雲斎 「教えは数え七歳、芸事始めの習慣である。いかにも無理のない、子供の自然な心の動きを大切にしている。好きだと思わせるように誘導する配慮であろう。 「子供が自然としだす事の中に、自ら天性として備わっている風体がある」あたりの洞察に深い感銘を覚える。天稟の資質に対する謙虚な接し方は教育の基本である、見事な親とか教師の態度である。
9日 風度(ふと)()ださんかかりを、うち(まか)せて、心のままに、せさすべし。」、ここなどは、

何という優しい教え方だろうと賛嘆の声を挙げるし大いに反省させられる。高度な教育者・世阿弥である。大場(おおにわ)には立たせないと云う言葉にも叡知を感じる。大場とは「晴れの場」である。立派な見識である。

10日 能は7歳ごろから稽古を始める。この年代の稽古は、自然にやることの中に風情があり、稽古で自然に出てくるものを尊重し、子供の心の赴むくままにさせたほうが良いと

の考え。良い、悪いと言ったり、厳しく怒ったりすると、やる気を喪失する。親は、子供の自発的な動きに方向性だけを与え、導くのが良いという考え方。親が子供を縛ると、親を超えた成長ができない、という考え方であり極めて示唆、含蓄に富んでいる。

11日 十二・三より  
(年来稽古条々。十二・三より)

 

1213歳の少年は、稚児の姿、声、それのみで幽玄を体現しており美しい。この年代の少年に最大級の賛辞をしている世阿弥。然し、それだけでは、その時だけ

の「時分(じぶん)の花」であり、本当の花ではないとしている。その時がどんなに良くても生涯の事がそこで決まるわけではないと強く警告している。少年期の華やかさ、美しさに惑わされることなく、稽古をしっかりする事を説いている。

12日 「此年の(ころ)より、はや、やうやう、声も調子にかかり、能も心づく(ころ)なれば、次第次第に、物数(ものかず)をも教ふべし。(まず)童形(どうぎょう)なれば、何としたるも、幽玄なり。声も立つ此也(ころなり)(ふたつ)の便りあれば、(わろ)き事は隠れ、よき事は、いよいよ花めけり。 大方(おおかた)(ちご)申楽(さるがく)に、さのみに細かなる物まねなどは、せさすべからず。当座も似合はず、能も上らぬ相なり。(ただし)堪能(かんのう)に成りぬれば、何としたるも、よかるべし。(ちご)と言ひ、声と言ひ、しかも上手ならば、何かは(わろ)かるべき。さりながら、(この)(ばな)は、まことの花にはあらず。ただ時分(じぶん)の花なり。されば、此時分の稽古、すべてすべて、(やす)き也。さる程に、一期(いちご)の能の定めには、成るまじきなり。此比(このころ)の稽古、易き所を花に当てて、技をば、大事にすべし。働きをもたしやかに、音曲をも文字にさはさはと当たり、舞をも手を定めて、大事にして稽古すべし。
13日 この年頃は、少年だが大人の事も少しは分かり自覚と自負も生まれる頃。「先ず、童形(どうぎょう)なれば、何としたるも、幽玄なり」。 美質で賞でられている時期、得意の気分で励める時期こそ大切と言う。凛々しい、また愛らしさ、時分の花の咲く頃、この時は余り細かな物まねなどはさせてはならないと云う。
14日 「初心忘るべからず」 誰でも耳にしたことがある言葉、世阿弥の発明と言われる。「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われているが世阿弥が意図とは、少し違う。

世阿弥にとり「初心」とは、新事態に直面した時の対処方法、即ち、試練を乗り越えて行く考え方を意味する。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなという事。

15日

三つの「初心」

世阿弥は、風姿花伝を始めとして、度々「初心」について述べている。晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、まとまった考えを述べている。

その中で、世阿弥は
「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、

第二に『時々の初心忘るべからず』。

第三に『老後の初心忘るべからず』」の、

3つの「初心」について語っている。

16日 「ぜひ初心忘るべからず」

若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。

若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。
17日 「時々の初心忘るべからず」 歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。 その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。
18日 「老後の初心忘るべからず」 老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなけれ ばならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。
19日 このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、

その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っている。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということであろう。

20日

現代社会でも、様々まな人生段階で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められる。世阿弥の言によれば、

「老いる」こと自体もまた、未経験なこととする。そういう時こそ「初心」に立つ時。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのである。

21日 ()(どき)()(どき) 世阿弥時代は、「立合」という形式で、能の競い合いが行われた。立合とは、何人かの役者が同じ日の同じ舞台で、能を上演し、その勝負を競うこと。

この勝負に負ければ、評価は下がり、パトロンにも逃げられてしまう。立合いは、自分の芸の今後を賭けた大事な勝負の場。勝負の時には、勢いの波がある。世阿弥は、こっちに勢いがあると思える時を「()(どき)」、相手に勢いがついてしまっている時を「()(どき)」と呼んだ。

22日 世阿弥は、「ライバルの勢いが強くて押されているな、と思う時には、小さな勝負では余り力をいれず、

そんな所では負けても気にすることなく、大きな勝負に備えよ。」と言った。女時の時に、いたずらに勝ちに行っても決して勝てない。そんな時は、むしろ、「男時」がくるのを待ち、そこで勝ちにいけ、と言う。

23日 世阿弥は、この「男時・女時」の時流は、避けることのできない宿命と捉えていた。「時の間にも、男時・女時とてあるべし。

」、「いかにすれども、能によき時あれば、必ず、また、悪きことあり。これ力なき因果なり。」そして、「信あらば徳あるべし」??信じていれば、必ずいいことがある。と説いている。

24日 時節感(じせつかん)(とう) 世阿弥の造語である。ここでいう「時節」とは、能役者が楽屋から舞台に向かい、幕があがり橋掛かりに出る瞬間を言う。

幕がぱっと上がり、役者が見え、観客が役者の声を待ち受けている、その心の高まりをうまく見計らって、絶妙のタイミングで声を出すことを「時節感(じせつかん)(とう)」と言った。

25日 タイミングをつかむことの重要性を語ったもの。どんなに正しいことを言っても、タイミングをはずせば人には受け入れられない。商談などの交渉事や、

案件を上司に図る時など、「タイミングを逸して失敗した」といった経験は、誰にでもあるものだ。タイミングが人の心の動きのことだとすれば、逸したのは、人の心を掴んでいなかったから、ということになる。

26日 「これ、万人の(けん)(しん)を、シテ一人の眼精(がんせい)へ引き入るる(ぎわ)なり。

当日一の大事の(きわ)なり。」(万人の目を主役に引きつけることが、何よりも大事だ。その「時節」に当たることが必要。)正しいだけではだめで、その正しさを人々に受け入れてもらうタイミングをつかむことが必要。

27日 衆人(しゅうじん)愛敬(あいきょう)

「衆人愛敬」とは、大衆に愛されることが一座の中心であるという意味。「いかなる上手なりとも、衆人愛敬欠けたる処あらんを、寿福増長のシテとは申しがたし。」

(どんなに上手な能役者であっても、大衆に愛されることのない者は、決して一座を盛り立てていくことはできない)能は、「貴所」と言い、貴族や武家の前で行うものであったが、彼らに受け入れられているだけではいけない、と世阿弥は考えた。

28日 「貴所、山寺、田舎、遠国、諸社の祭礼に至るまで、おしなべて譏りを得ざらんを寿(じゅ)(ふく)達人(たつじん)のシテとは申すべきや。」

(貴族の前であろうと、山寺であろうと、田舎でも遠国でも、或は、神社のお祭りの時であろうと、どこでも喝采を受けるような演者でなければ、一座の中心として盛り上げる能の達人とは言えない)

29日 どんな所でも、演じるたびに人々に拍手喝采をうける、そのような理想の姿は父の観阿弥のものでした。何が求められてい

るのか、その場その場の雰囲気を読み取り、自分をそれに合わせて能を舞う。観阿弥は、その術に長けていた。このような直感的能力がなければ、人気を保つことはできない、と世阿弥は言っている。

30日 世阿弥が「衆人愛敬」といったもうひとつの理由は、自分の人気が失せた時の対策であった。「万一少しすたるる時分ありとも、田舎・遠国の褒美の花失わせずば、ふつと道の絶ゆることはあるべからず」(どんなに都でもてはやされていても、

自分ではどうしようもないめぐり合わせで「女時」となり、忍耐を強いられることもある。そんな時には、田舎や遠国での人気が支えとなり、自分の芸が絶たれてしまうことはない)。自分を支持してくれる大衆さえいれば、都の評判如何に関わらず、なんとかやっていける。自分の場が失われさえしなければ、挽回のチャンス(=男時)はある。