易学再考 その三 平成251


 不易と変化

     易と言うものは文字通り変わるということであります。天地自然、即ち造化というものは、大きな変化であるということを表す訳です。変化というものは反面に「不易」「変わらぬ」ということがあって始めて変わるのであって変わらぬということが無ければ、変わるということもない訳です。変わらぬから変わる、変わるから変わらぬというものが底に本体にある。 

易の三義            

易に三義あり、と申しまして、第一は「不易」、永劫不変であります。それに即して「変化」というものがある。この「不変に即する変化」というものは最も根本的、本質的、明々白々であり、これが易の三つの意味、即ち三義であります。

 易に六義        

易はその原理に基づいて、どこまでも伸びていく、窮まる所が無いという訳で、易という字に伸びるという読み方があります。又、そういう原理に従って我々の人生をつくり上げていく即ち、修める、治める、という意味もあり、これ程の神秘はありません。この点を挙げれば、易に六義ありということが出来ます。

 変化創造の原理                                          

普通、易の書物には三義を挙げておりますが、詳しく申しますと先述のように色々の意義を含むものでありまして、変化極まりない処に変らないものを含んでおります。        それを発見し体認する。そしてそれに基づいて「不変の中の変化創造の原理」を知って生活に取り入れていくつまり人間の存在に欠くことの出来ない生活行動の原点ということになるわけであります。

 易・通俗易      

「不変の中の変化創造の原理」を知って生活に取り入れる、人間にとってこれくらい永久不変、切実なものはありません。元来、易は中国の周時代から特に普及発達致しまして、それが春秋から戦国時代を経て漢代になり、大体この思想体系ともいうべきものが出来上がりました。それと同時に、民間にも次第に普及発達しました。易本来の学問というものは非常に深遠なものでありますが、これが民間に普及するにつれて色々通俗な応用も行われまして、本来の学問としての易―易学そのものと、通俗易―通俗にいう易、とは大変な相違があります。

 通俗易と四柱推命

     一般にはこの通俗易が一番普及しておりますから、よく知られております。そこでこの通俗易と、それに従って色々派生して参りました易に基づく民間の思想、或いは解説と言ったもの、即ち九星であるとか、方位であるとか、淘宮であるとか沢山あります。そのうちで一番実用的に優れたものは「命理学」と申しまして運命の理、通俗には「四柱推命」と言います。四柱推命は中々複雑で難しく、一般の算木、筮竹、その他家相だとか方位だとかいうような所謂通俗易ほど普及しておりません。 

 四柱推命         

四柱推命は、生・年・月・日・時の四つの柱から運命を推すというので四柱推命と言い、原名は「命理」―運命の理法と申しまして、これは民衆に伝わっておりますので通俗易説の中では一番内容があり、妥当性にも富んだ面白いものであります。               然し、人間はこういう理法を学んでも、いかにこの理法に従って修業するかということが肝腎でありました、どういう家庭、とどういう両親から生まれ、どういう性質だ、どういう運命だ、どうすればどうなると言うような興味本位に調べて楽しむと言うようでは真の推命学になりません。

 真の推命学      

真の推命学は、そういう事を調べて、それを総合して自分をつくつていく、自分の生活を創開して行くという実践的なものにならなければなりません。然し、人間というものは、兎角当たるとか当たらぬとかいうことに興味を持って一種の博打と同じようにこれを誤用する向きも多いのであります。これは確かに大変興味の深い、またその中に理論も大いに含んでおる面白いものであるが、とかく邪道に走り易い。 

 「生・年・月・日・時」と干支                  

干支の干は、支はそれから派生するであります。干は十、支は十二ありまして、これを組み合わせますと六十になりますから、六十で還暦を迎えるわけであります。推命学は人間の存在及び生活活動を六十の範疇に分けて組み立て、これを「生年月日時」に照らして推命するのです。時間まで分かりますと、かなり面白い結果を知ることができます。持って生まれた天分が、どういう過程で進展し変化するかということが分かります。然し、前にも申したと通り結論は、それに基づいていかに(よこしま)を去り、(まこと)を立て、つまり純化大成するということでありまして、大抵はそこまで行かず宿命的に考えます。然し、これを立命的に考えると大変応用のきく、また通俗性のある面白いものであります。

運命                  

私達はよく運命という言葉を使います。処が、運命というものを多くの人は、どうにもならない、持って生まれた、決まったものであるというふうに考えがちであります。そこで運命とはいかなるものか     と申しますと、命とは動いてやまないもの、天地自然というものは、永久に動いておるように、その一部分である人間の生というものも動いてやまない、創造進化をしていくものであるという意味と、運はめぐり動くというので運命であります。  

宿命                  

処が、宿命の宿の字は、やどいう字であり、とまるという字であります。活動を停止する、休止するという意味があります。人間は母の体内から出て呱々の声をあげた瞬間に一生のことが決まっておる。     その後の人生、即ち次第に成人して花を開き、実を結ぶ、或いは嵐にあって全うできず、中途で滅びる等のことが、きまりきっているというふうに考えるのが宿命であります。 

立命   

然し、自然は創造無限のクリエーション、creation でありますから、宿命ではクリエーションになりません。本当の運命というのは、運命の法則、理法を知ってそれに従って開拓していくべきもの、自主創造していくべきものであるというのでこれを立命と申します。

四柱推命の基礎知識

   この四柱推命について更に少し説明しますと生年、生月、生日、生時の四つの柱で運命を構成することは既に述べました。これに夫々干支があるわけであります。例えば本年は丁巳(ひのとみ)であります。そして本日即ち八月十二日の八月は干支は(つちのえ)(さる)。十二日の干支は(かのと)(うし)。午前十時は癸巳(みずのとみ)であります。     この日の干支―辛丑を自己として他の干支と対比して、年の干支―丁巳には親から伝承した吉凶の含性と、祖先、親等、目上の人を見る。月の干支―戊申では、成年時の含性。社会性、姉妹、朋友等の関聨。時の干支―癸巳では子孫の関係を見る。また、日の干支により配偶者を見る。とされております。

本当の推命        

従って丙午(ひのえうま)に生まれた女は、男を殺すなどというのは大きな誤りであることが理解できると思います。然し、問題は丙午の日に生まれた人でありますが、これは年に比較して人数が当然少ないのであります。     またこの丙午の日に生まれの人は夫婦縁に故障が生じやすいと言います。これは四柱推命によりよい配偶を得て中和する或いは変化させることが出来ますからこれを活用しますと誤れる運命観で悩んでおる人間をどんなに助けることができるかわかりません。大変応用のきく面白い問題であります。

     然しこれらに大切なことは、こういう基礎的な組織を解明して、どのように改創リクリエート recreateしていくかという所まで入らなければ本当の推命ではありません。そこで推すという字がつくのであります。つまり推究して新しくこれを立てていく。然しこういう学問、折角の統計的      推計的学説でありますが、これがとかく低俗になって本当の真理になりにくい。これを逆に正しく活用することが出来ると、どれぐらい世間の人々を救っていけるか計ることの出来ない功徳があると思います。これなども大事なことは宿命観に陥ることなく、立命に導くということであります。