吾、終に得たり 8.  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。平成25年6月1日

平成26年1月

1日 207句

愚かなる者と 道を共にするは 長途(みち)に憂いあり 愚かなるものと (すまい)を共にするは 怨敵(かたき)と共にすむがごとく まことくるしみなり されど賢き人と共に住むは 親族(したしきもの)と相逢うがごとく まことたのしみなり

愚かな者と伴い行くは長途で苦しむ。愚かな者と一緒におることは憂いこと、それは敵と同居するようなもので苦しみが絶えない。反対に賢い人といることは親族と逢うように楽しい。

2日 208句

されば かしこくして智あり 他に聞くこと多く (しの)()を知り (いましめ)をたもつ聖なる者 かくのごとき上智の善士(ひと)に 月の()()を行くがごとく 随い行くべし

賢い人、智ある人、学識ある人、忍耐強い人、道徳を守る聖者、このような善良で知恵深い人、それは月が星の道を守るように従って行くがよろしい。

3日

第十六品

好喜(たのしさ)

209句

道ならざるに 自ら(したが)い 道あるに 自らたがう 義とすべきをすてて 好むところにつくもの やがて彼は 自らの道にそうものを ねたまん

道に外れたものに心を寄せ、自ら静思しなければ物事の本質を忘れてただ放縦になり、やがて道に沿い歩む人を恨むようになる。

4日 210句

愛する者と 相会うなかれ 愛せざるものとも 会うなかれ 愛するものを 見ざるは苦なり 愛せざるものを 見るもまた苦なり

愛すべきものに執着してはいけない。愛しないものにつていも同様である。それは、愛するものわ見なければ悩み、愛しないものを見ればまた悩むからだ。

5日 211句

されば 愛するものを持つ勿れ 愛するものを失うは げにわざわいなればなり 愛するものも 愛せざるものもなくば かかる人に まつわりというものなからん

愛するべきものを作ってはいけない。愛するものを失うのは禍である。何ものも愛せず、何ものも憎まぬ人にはこうした桎梏(しっこく)はない

6日 212句

愛より うれいは生じ 不安は生ぜん 愛を 超越し人こそ 愁いなし かくて いずこにか おそれあらん

愛することから悩みが生まれ、恐れが生ずる。愛することから解脱した人には最早や悩みはない、恐れがあるはずはない。

7日 213句

親しさより うれいは生じ 親しさより 不安(おそれ)は生ぜん

親しさを 離れし人に うれいなし いずこにか また おそれあらん

愛することから悩みが生まれ、怖れが生まれる。愛することから解脱した人には悩みはない。怖れがあるはずはない。

8日 214句

よろこびより うれいは生じ よろこびより 不安は生ぜん よろこびを 端なれ人に うれいなし いずこにか また おそれあらん

喜びから悩みが生まれ、愛情があるから怖れが生まれる。愛から離脱すれば悩みはない。かかる人にどうして怖れがあろうか、もはやない。

9日 215句

愛欲より うれいは生じ おそれは生ぜん 愛欲を 離れし人に  うれいなし いずこにか また おそれあらん

愛欲から悩みは生まれる。愛欲から恐怖は生まれる。愛欲から離脱した人には悩みはない。どこにも怖れはない。

10日 216句

渇愛より うれいは生じ むさぼりより おそれは生ぜん むさぼりを 離れし人に うれいなし いずこにか おそれはあらん

渇望の愛は憂いを生む。貪欲が怖れを生む。貪欲をやめれば憂いは去る。どこに恐れがあろうか。

11日 217句

(いま)(しめ)と (ただ)(しき)をそなえ (のり)の依りて生活(くら)し 真実(まこと)をかたり 自らその(わざ)をなす人 世は かかる人をこそ 愛するなり

道徳と知見を兼備し真理に基づいて真実を語り自らの義務ほなす人をこそ社会は愛してやまない。

12日 218句

言説(ことば)をこえたる(のり)に 念願(ねがい)をもち (おもい)はみたされたり もろもろの愛欲(たのしみ)に こころ(じゃく)せざるもの 彼こそは上流(ひじり)(なか)に 座を占めん

言葉では表せない精神の自由の思念を起こし、思いも充たされ、色々の欲望に束縛されない人を上流に達したと言うべきである。

13日 219句

久しく異境(とつくに)にありて すこやかに かえりきたれば 親族(やから) 朋友(はらから) 愛人(まなびと)はひとしく かえりきたれる者を よろこび迎う

長い間、異国にいた人が元気で帰郷した時、親族、朋友、愛人は喜び迎える。

14日 220句

まこと かくの如く 善きことをなし この世より 後の世にゆける人 その善きわざに迎えられん 愛するものの戻りしを 親族(やからく)の よろこび迎うるごとく

これはちょうど、善いことをしてこの世から後の世に生まれる時、彼は祝福されて迎えられる、愛するものが帰ったように。

15日

第十七品

忿怒(ふんぬ)

221

いかりをすて たかぶりを離れ ありとある(まつわり)をこえよ ひと()し 概念(ことば)形式(すがたた)に (じゃく)するなく まこと 所有(わがもの)の思いなくば かかる人に すべてのくるしみはきたらず

怒りを棄て、高ぶりを払いのけよ、あらゆる束縛を乗り越えよ。このような概念や形式に支配されない所有の無い人に苦悩は決して訪れない。

16日 222句

人 ()し まさに怒れるを押え (はし)る車を止めるごとく ととのえなば われ初めて彼を 御者(ぎょしゃ)とよばん しからざるひとはただ 手綱をもつものなり

はしる車を止めるように、こみ上げる怒りを自制するもの 、この人こそ真の御者である。この他はただ手綱を持つだけである。

17日 223句

なごやかさによりて いかりに 善きことによりて 善からぬことに 慈恵(めぐみ)ごころによりて 善からぬことに (おしみ)ごころに しかして 真言(まこと)によりてのみ われら虚言(いつわり)の人に()つべし

怒りに勝つには優しさ、悪に勝つには善を。吝嗇の人には慈悲を、空言多き人には真実、このようにして克服せねばならぬ。

18日 224句

真言(まこと)をかたり いかることなく 乞われなば 持つものよし少なくとも おのれのすべてを与うべし この三事によりてこそ ひとびとは神々に 近づくを得ん

真実を語らねばならぬ。決して怒ってはならぬ。持つものが少なくとも求められたら全て与えなさい。この三つで神々のもとに行けるであろう。

19日 225句

もろもろの (かしこき)(ひと)は つねに身をつつみ (ひと)をそこなうことなし かかる人々は 愁いというものなき 不死の(くに)に至らん

誰をも傷つけることなく絶えず身体を制し、慎む賢者たちは不変の所に行く、何ものも悩みなき聖地に。

20日 226句

ひと()しつねに目覚め 昼にまた夜に 学びにいそしみ 涅槃(さとり)をえんとつとめなば もろもろの まよいは 尽くべし

つねに目覚めた意識で昼夜となく勉学し悟り?精神的自由-を得たいと努める人は盲目的衝動が消え去る。

21日 227句

アツラよ こは (いにしえ)より謂うところ 今日に始まるにあらず 「ひとは黙して座するをそしり 多くかたるをそしり また 少しくかたるをそしる およそこの世に そしりをうけざるはなし」

おお、アツラよ、「人は黙って座っているものを誹る。多弁を謗る。無口さえもそしる。この世の中ではそしられざる者はいない」

22日 228句

ただ 一向(ひとむき)に そしらるる ただ一向に ()めらるる かかるもの 過ぎゆきし日にはあらざりき 今もまたあらざるなり やがて 来ん日にもあることなからん

つねにただ謗られたり 誉められたりするような人は 過去、未来ともないであろう、現在にもない。

23日 229句

「彼は賢し 行うところ過失(あやまち)なく 智慧と戒とをそなえたり」 と()しかくのごとく 心あるものによりて 日に日に分別(わきま)えて ほめたたえられんには

見識ある人が行いに欠陥なく、知徳を具えて日々誉められるならば、

24日 230句

閻浮提(えんぶだ)(ごん)(かね)のごとき かかる人を 誰かそしうるものぞ 諸神も この人をたたえ 梵天もまた この人をたたえん

それはちょうど、純金で作られた飾り物のように誰がこの人をそしることができようか。神々すら彼を誉める。また至上の天神・梵天さえも誉める。

25日 231句

身のいかりを まもり 身をつつしみ 身になすべからざるを 棄てて 身になすべきことを 行うべし

動作に現れた怒りを守り防ぎ、よく動作を慎みなされよ。動作になす悪行を除き動作に善行を進修しなさい。

26日 232句

(ことば)のいかりを まもりて ことばを つつしむべし いうべからざるを 棄てて いうべきを いうべし

言葉に現れる怒りを防ぎ、行動を慎みなさい。悪い行動をしないで良い言葉を使いなさい。

27日 233句

(おもい)のいかりをまもり (おもい)をつつしむべし 思うべからざるを 棄てて 思うべきことを 思うべし

思いから起きて来る怒りを防ぎ、意思を制して慎む、意思により起こる悪念を除去して善い行いをしなさい。

28日 234句

その身をつつしみ そのことばをつつしみ その(おもい)をつつしむ これらの人こそ おのれを護る 賢者とはいう

言動をよく慎み、意思をよく統御できる人こそ賢者であるる

29日

第十八品

()(がれ)

235

なんじ今や (きば)める木の葉のごとし 死王の使者(つかい) 汝の(かたわ)らに立つ なんじ今 門出(かどで)の戸口に立つなり されど (なんじ)には 旅の(かて)あるを見ず

お前は黄葉した木の葉のようなものだ。死の神の使いがお前を待って立っている。お前は人生の旅を終えて死への旅の門に立つ、だがお前には旅の食糧がない。

30日 236句

(なんじ) おのれの(あかし)となれ すみやかにいそしみて 賢き者となるべし けがれをはらい (まよい)をはなれて とうとき 聖地(さかい)にいたるべし

汝 自らを灯火とし努めて賢者になるがいい。こうして穢れを払い過失をしなければ悟りの天に往けるだろう。

31日 237句

(わかさ)すでに過ぎて (なんじ) いま 死王の前に近づけり されど(なんじ) (みち)(すがら) (やす)()うところなし さらにまた(なんじ)には 旅の(かて)あるを見ず

人生の終わりに近づいているお前だから死の神の前にいる。しかしそれまでに休む折もなく旅の糧もない。