出雲国造
正月ですから、正月に相応しいお話をします。
皆さんは、余りご存知ないと思うのでありますが、去る平成14年9月5日午前10時半、皇居は鳳凰の間で、天皇と出雲国造、出雲大社宮司の千家尊祐の対面があった。
この話題で、各位は何を想像されますか?---質問!
鳳凰の間とは天皇の表御座所の一室、非公式行事によく使われます。
この出雲大社の宮司は第84代目、父の尊祀が4月17日に死去し尊祐は後継者である。
片や天皇家は125代、千家は84代、どちらも男系血統を繋いで来たとされる日本最古の旧家同士の対面です。
其の日は、宮司就任挨拶として非公式であり、この事は、殆ど世間には知らされておりません。
献上品は、御統の玉と言われる。先代の尊祀の献上品はと言えば、昭和22年6月21日、第83代尊祀が神賀詞を奉り、出雲は玉造の瓊三種一連であった。
然しですね、出雲大社側にとりましては、古代から世継ぎのさ際に宮中に出向いて行った「出雲国造神賀詞」奏上なんですね。
21世紀に、古代から連綿として行われる、凄いものですね。圧倒されるような話、価値あるものと思われませんか。
日本人のルーツに誇りを持ちたいですね。
この賀詞は、「国譲り神話」にまつわる大社と宮司家のルーツ確認に関る存在の重儀と言われます。
「新任の出雲国造がヤマトに赴いて奏上した賀詞です。出雲国造が国内186社を祝い静めて賀詞の奏上を述べ、高天原のタカミムスビ神(高御魂)の命による、アメノホヒ神(天穂比)・アメノヒナトリ神(天夷鳥)による出雲平定と出雲のオオナモチ神(大穴持)の服従の由来と祝いの神宝奏上を述べ、最後に献上の品々に、なぞえながら出雲の神々の言寿ぎの詞章を奏上する」とあります。---古代出雲(門脇禎二)
過去に私は何度も申しておりますが、
天照大神のご長男はアメノオシホミミ?天皇家
次男はアメノホヒ --千家の祖先神
古代から間違いなく繋がっています。世界の驚嘆でしょうね。
この神賀詞は「延喜式」の祝詞の巻に収録されております。(日本古典文学大系にあります)
ご披露してみましょう。
「高天の神主高御魂の命の、皇御孫の命に天の下大八島国を事避さしまつりし時に、出雲の臣等が遠つ神天のほひの命を、国体見に遣はしし時に、天の八重雲をおし別けて、天翔り国翔りて、天の下を見廻りて返事申したまはく、
『豊葦原の水穂の国は、昼は五月蝿なす水沸き、夜は火?なす光く神あり、石ね・木立・青水沫も事問ひて荒ぶる国なり。しかれども鎮め平けて、皇御孫の命に安国と平けく知ろしまさしめむ』と申して、己命の児天の夷鳥の命に、ふつぬしの命を副えて天降し遣はして、荒ぶる神等を撥ひ平け、国作らしし大神をも媚び鎮めて、大八島国の現つ事・顕し事事避さしめき』(日本古典文学大系「古事記」祝詞)
この神賀詞奏上は出雲国造家の悲願なのですね、最古の奏上は、「続日本紀」、元正天皇の霊亀2年(716年)2月とあります。第24代国造の出雲臣果安の奏上とあります。そして仁明天皇833年4月の後から1000
年後の第79代尊澄の時を最後に絶えていたのですね。
明治政府は井上毅文部大臣が第80代の尊福に「新年に御代の長久を寿ぐ歌」の製作を依頼し、尊福は神賀詞の精神を込めて作ったとされるのが、
「年のはじめのためしとて、終りなき世のめでたさを 松竹たてて門ごとに 祝う今日こそたのしけれ 初日のひかりさし出でて、 四方に輝く今朝のそら 君がみかげにたぐへつつ 仰ぎみるこそたうとけれ」
戦後二度目の55年ぶりの神賀詞でありました。
出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造で、その氏族・出雲氏の長は代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。
『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、崇神の代、天穂日命(あめのほひのみこと)の11世の孫である宇賀都久怒(うかつくぬ)を国造に定めたとある。『古事記』によれば、无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・遠江国造も天穂日命の子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を同祖とする。
祭祀継承は、『古事記』・『日本書紀』と『出雲国風土記』、千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』[1]に記されている。
出雲国造神賀詞
八十日日は在れども、今日の生日の足日に、出雲國の國造姓名、恐み恐みも申し賜はく、 掛まくも恐き明御神と大八嶋國知し食す天皇命の、手長の大御世と齋ふと ――若し後の齋の時には、後の字を加へよ――して、出雲國の青垣山の内に、下津石根に宮柱太敷き立て、
高天原に千木高知り坐す、伊射那伎の日眞名子、加夫呂伎熊野大神櫛御氣野命、
國作り坐しし大穴持命、二柱の神を始めて、百八十六社に坐す皇神等を、某甲が弱肩に太襷取挂けて、
伊都幣の緒結び、天乃美賀祕冠りて、伊豆の眞屋に麁草を、伊豆の席と苅り敷きて、伊都閉黒益し、
天乃?和に齋みこもりて、志都宮に忌み静め仕へ奉りて、朝日の豐榮登に、伊波比の返事の神賀吉詞、奏し賜はくと奏す、
高天の神王、高御魂・神魂命の、皇御孫命に天下大八嶋國を事避り奉りし時、出雲臣等が遠祖天穂比命を、 國體見に遣はしし時に、天の八重雲を押別けて、天翔り國翔りて、天下を見廻りて、返事申し給はく、
豐葦原乃水穂國は、晝は五月蠅如す水沸き、夜は火?如す光く神在り、石根・木立・青水沫も事問ひて、荒ぶる國あり、
然れども鎮め平けて、皇御孫命に安國と平けく知し坐さしめむと申して、己命の児天夷鳥命に布都怒志命を副へて天降し遣はして、
荒ぶる神等を撥ひ平け、國作らしし大神をも媚び鎮めて、大八嶋國の現事顕事事避らしめき、
乃ち大穴持命の申し給はく、皇御孫命の静まり坐さむ大倭國と申して、己命の和魂を八咫鏡に取り託けて、
倭大物主櫛?玉命と名を稱へて、大御和の神奈備に坐せ、己命の御子阿遅須伎高孫根命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ、
事代主命の御魂を宇奈提に坐せ、賀夜奈流美命の御魂を、飛鳥の神奈備に坐せて、皇御孫命の近き守神と貢り置きて、
八百丹杵築宮に静まり坐しき、是に親神魯伎・神魯美命の宣りたまはく、汝天穂比命は、天皇命の手長の大御世を、
堅磐に常磐に伊波比奉り、伊賀志の御世に佐伎波閉奉れと、仰せ賜ひし次の随に、
供齋――若し後の齋の時には、後の字を加へよ、――仕へ奉りて、朝日の豐榮登に、神の禮白臣の禮白と、御祷の神宝獻らくと奏す、
白玉の大御白髪坐し、赤玉の御阿加良毘坐し、青玉の水江の玉の行相に、明御神と大八嶋國知し食す天皇命の手長の大御世を、 御横刀廣らに誅堅め、白御馬の前足の爪・後足の爪踏み立つる事は、大宮の内外の御門の柱を、
上津石根に踏み堅め、下津石根に踏み凝し、振り立つる耳の彌高に、天下を知し食さむ事の志の太米、
白鵠の生御調の玩物と、倭文の大御心も多親に、彼方の古川岸、此方の古川岸に生ひ立てる若水沼間の、彌若叡に御若叡坐し、
須須伎振る遠止美の水の、彌乎知に御袁知坐し、麻蘇比の大御鏡の面を、意志波留加して見行す事のごとく、
明御神の大八嶋國を、天地日月と共に、安けく平けく知し行さむ事の志の太米と、御?の神宝をフげ持ちて、
神の禮白・臣の禮白と、恐み恐みも、天津次の神賀吉詞白し賜はくと奏す、