「平成に甦る安岡正篤・警世の箴言」3

安岡正篤先生ご存命中の膨大な講義は、人間的営為、大自然の造化、和漢洋の歴史等の深い思索と造詣があり、そしてそれらの中の安岡哲学は、時代を越えたものである。本講義は35年前のものであるが恰も現在の警告の如くに見える。平成の大乱世となった今、安岡正篤先生警世の真言を考えることは現代的である。
               平成19年12月徳永日本学研究所 代表 徳永圀典
           
 平成20年1月
     第三講  盛衰の理法 その二

 1日 何事も先ず根本に反ることが肝腎 前回は年頭に当たりましたので「(みずのと)(うし)の意義と史実」についてお話を致しました。また荀子の人妖(にんよう)論にも触れましたが、その後の世相と申しますか、日本国内の情勢は、どうも荀子の説のような急激なテンポで悪化していると申さねばならないと思います。
東京は日本の政治の中心であり

全体的な色々な問題の反映がすこぶる鮮烈なところでありますから、東京におりますと、日本の物情がよく目に映ります。そこで昨今の東京の姿をお話し致しますと、そのまま今日の日本の姿を現して文字通り物情騒然、人心の不安と、これに伴う指導者層の焦燥、困惑というものは(おお)うことのできない有様であると評してよかろうと思います。 

 2日 時勢の悪化は加速 こうなりますと、俗に言う「浮き足立つ」という言葉通り、そこで所謂ミスというものが続発いたします。そうしてそのミスは益々混乱を招きまして型の如く時勢の悪化を激成しておると

申さざるを得ません。
例えば経済の混乱にしてもそうです。石油ショック以来、もう浮き足立って、やること為すことミスの連続で、益々混乱を招いております。
 

 3日 貨殖伝(かしょくでん)

先日、私達師友協会の先哲講座で講じましたが史記列伝の中に「貨殖伝(かしょくでん)」というものがありまして、専ら経済問題を論じております。

その中に「富」というものを
本富・末富・妖富の三つに分類して具体的に「富」を論じております。
 4日 根本の確立 テキストの「呉子」にも、「本に(かえ)る」とか、「始に(かえ)る」とかいう言葉がございますが、本末の論というものは西洋でも東洋でも同じことであります。特に東洋に於いてはそれが思考の一つの原則として重要なものになっておるということが出来ます。本末を明らかにするということを木に例をとりますと、根・幹が文字通り根本、本であり、枝葉・花実は即ち末梢、末であります。

そこで木というものを本当に培養し繁茂させる為には、根固め、幹の手入れが一番大切であって、これから生ずる枝葉であるとか、或いは花・実というものは、いかに美しく、いかに美味しくとも、やはり末であります。根を大事にし、これを養わなければ、枝葉・花実を立派にすることはではません。この根本を確立し培養するためには、常に枝葉・花実が余り茂り過ぎないように、つきすぎないように、上手に剪定、果決することが大切であります。 

 5日 文明と樹木 そこで文明を樹木の手入れにたとえますと、これは大変難しいことでありますが、今、一本の木として考えてみましょう。枝葉が繁茂して美しい花をつけ、よい実がなるという利益の面からしますと、どうしても花や実が主になり、これに目をつけ、心をとられ、或は利益・打算と いうものが強くなって花実をほしいままに咲かせたりならせたりしますので、必ず根は傷んで終には枯れてしまいます。文明もそうでありまして、成行きにまかせ、繁栄にまかせておりますと、意外にも早く、アメリカ流に言えば「繁栄の中の没落」が始まります。
 6日 繁栄の中の没落 近頃、「繁栄の中の没落」という語が流行語になっておるようでありますが、私が皆さんにご紹介したのは、もう数年前であったと思います。実は我々は今日、一番警戒しなければならぬのはこの事でありまして、残念ながら日本も繁栄の中に没落する憂いが多分にあるのであります。 ご承知のように、やれ所得倍増であるとか、大躍進であるとか、或はGNPがどうだとか、いうようなことを言っておるうちは景気も好くて、口を開けば経済の繁栄を謳歌しておったのでありますが、それが数年も経たぬうちに今日この有様であります。 
 7日 繁栄の中の没落 近頃「繁栄の中の没落」という語が流行語になっておるようでありますが私が皆さんにご紹介したのは、もう数年前であったと思います。実は我々は今日、一番警戒しなければならぬのはこの事でありまして残念ながら日本も繁栄の中に没落する憂いが多分にあるのであります。 ご承知のように、やれ所得倍増であるとか、大躍進であるとか、或はGNPがどうだとか、いうようなことを言っておるうちは景気も好くて、口を開けば経済の繁栄を謳歌しておったのでありますが、それが数年も経たぬうちに今日この有様であります。 
 8日 歴史の常則 たまたま病気になっても、容易に治るものです。処が、それが出来ない。どうも俗人というものは、手遅れだと言われるような危局・危機というところまでゆかぬと本気になりません。 これは人間の弱点であり、また栄枯盛衰の歴史の常則であります。そういう意味から申して、昨今の日本の状態は真に残念であると同時にまた非常に心配しなければならない点であります。
 9日 欧米の論調 この頃ヨーロッパやアメリカの時局に関する色々な評論・随筆などを注意しておりますと、そういう意味において実に深刻、真剣になって来ております。従って経済問題についても従来のような単なる経済現象に関す

るニュースとか論評というようなものではなくて、経済哲学と言われるものに深くなってきておるようであります。私の読みました中にも、丁度司馬遷が「史記」の中で論じておるような事柄がいくつも目にとまりました。 

10日 本富(ほんふ)

そこで問題は本富(ほんふ)ということであります。本富の本という字は、もともとは()()もと(○○)という意味で中の一は根のしるし、つまり枝や葉に対して根であるこ

とを表しておるわけです。
また「富」の字は、宀=家屋の中に
財物、と言っても古代人は専ら農耕生活ですから、その収穫物を積み上げた象形文字であります。
11日 根本の豊かさを本富 そこで富むということは、蓄積が多いことが根本だということがこの文字でよく分かるのであります。国家的に申しますと資源が豊かでなければならぬということを現しておりますので、その富の根本的なものを本富というわけであります。これは単に資源ばかりではありません。 経営の上から言っても自らそこに本末がある筈であります。処がその経営の根本から見て随分これを誤った企業が多いようであります。自転車操業等という言葉の通り、色々の手段・技術に走ってかなり危い芸当をやっておりますことは皆さんもご承知の通りであります。その経済の根本の豊かなことを本富と申します。
12日 末富 これ対して、輸入がどうだ、輸出がどうだ、円がどうだ、ドルがどうなつたというようなことは、つまり枝葉・花実であり、 従ってその結果、国民の総生産―GNPが゛どうなったかというゆうなことも、これは根本に対して末梢でありますから、末富であります。
13日 (かん)()

ところが経済の変動に乗じて、いかにも打算的に狡猾に、或は機敏に、色々と手段を弄して大儲けする、或は株の売買をやって巨利を博するというようなことは、これを奸富と申します。奸の字は姦でもよいのです。姦は多くの女を操縦するという文字で男の方の悪いことを表し、奸の方は求めるという意味があって女が何か物が欲しい時 

にいろいろ手段や方法を講じてその欲望を遂げようとする、つまり女の方が悪いことを表す文字です。だから奸富・姦富どちらでもよろしい。そこで経済界が本富から末富に走ることは特に奸富になることは、最も危険であり、最も慎むべき恥ずべきことであるということを既に中国の漢の始めにおいて司馬遷がこれを明らかにしておるのであります。
14日 憂慮すべき日本の現状 ところが今日になって我が日本は色々と議論百出して囂々(ごうごう)でありますが、その一つは明らかに奸富論であります。経済の問題は皆さんが専門でありますから今更説明を要しないことでありますが、今、日本経済の最大の問題点は何かと言えば、いかにして奸富を本富にするかということであると申せましょう。 その点において日本は非常に不利な立場にあります。第一に富の字が表すような資源が豊かではありません。まことに貧弱で外国から材料を買いつけなければならない。そしてその買いつけた材料に知識・技術と努力を加えて色々なものを生産し国内の需要はもとより、又外国に対してこれを売らなければなりません。
15日 軽率な選挙 輸入を競い、輸出を競わなければならぬということぐらい経済的に不利な立場はないのであります。それだけに常に不安と危険が伴う。その上になお進んで本富を主にして奸富を戒めてゆかなければなりませんから事実はどうしても逆になります。 選挙などもそうでありまして、元来選挙というものは、人材を選んでこれを推し立てることであります。日本の選挙はその点でも大変きわどい芸当を演じておりまして、選挙の本筋から外れた軽率な選挙に走っております。
16日 選挙政治 大体、選挙政治、代議政治というものには大きく分けて二種類あります。
その一つはヨーロッパに於ける代表的なイギリスの選挙制度

それからアメリカ的選挙制度の二つに分けられます。この二つは互いによく似ているようでありますけれども、その由来・因縁はまるで違います。 

17日 イギリスの選挙制度 先ずイギリスの選挙制度でありますが、これはイギリスの建国の歴史に遡らなければなりません。元来イギリスはご承知のように大陸の諸民族、即ちローマ、ゲルマン、サクソン等の異民族がしばしばこれを征服・侵略して最後に今日の王制を樹立しました。 イギリスと日本とは、共に大陸に接近した島国であるというので、昔からよく似ておると言われます。然し、歴史は正反対で、従ってイギリスの王室・王制と、日本の皇室・天皇制とは全然違うのですが、この頃は混同して同一視しております。
18日

イギリスの王党と民党

第一イギリスでは、支配者である王室・王党と民党即ち国民側とは利害が相反する間柄であります。王党は民党を弾圧する、民党即ち国民は又これに反抗する、という血で血を洗う歴史が続いてまいりました。或る時は、国王チャールス一世のようにクロムウェルによってギロチンにかけられたり今度はクロムウェルが亡くなると早速王党側

によってクロムウェルの墓があばかれてさらしものになる。
そういう惨憺たる闘争過程を経て、そのうちに次第に双方とも反省から対策が考究され、このような馬鹿なことをしておっては双方が駄目になることは明白である、何とかもっと賢明な方法がないものかということから、次第に発達したのがイギリスのデモクラシー、議会主義選挙制であります。
 

19日 イギリスの議会政治 つまり血で血を洗う闘争にかえるのに、両方から代表者を出して、弾圧・闘争だけでなく理性に基ずく正しい議論をして、彼らの言葉でいうディスカスとか、ディベートという言葉のように、よくその論を闘わせて賢明な結論を導き出しそれに従って政治を行ってゆく、議決をしてそれに従ってゆく、文字通り 議会政治というものを発達せしめたのであります。
従って王党は勿論のことでありますが、民衆側からもあらゆる意味における代表者即ちエリートを選んで、理性的に、また賢明に、よく私を去って公に基いて結論を導き出し、それに従ってゆく。これがイギリスの議会政治というものであります。
20日 アメリカ流の選挙 アメリカの方は、そういう国王、君主支配というようなものがありません。ご承知のように新大陸におし渡った者が、腕一本・(すね)一本で辺境を開拓して、所謂フロンティアに挑んでそのパイオニアーとなって先ず自己の世界をつくりそれが集って村落、集落を作り、だんだん上級社会を作って行ってやがて州となり合衆国とな った。
初めのうちは自治をやっておりましたが、その分野が広くなるに従って自分達の力ではどおにもならない。そこで段々社会組織が高く広くなるにつれて、自分が尊敬し信頼する代表者を送って州議会、或は連邦議会を構成し、この人々の賢明な協議、決定を待ってこれに従ってゆく。これがアメリカ流の選挙であります。
21日 日本の選挙の異様さ

処が、今の日本は、そういうイギリスやアメリカのように、国民が自分の尊敬するような代表者を出しておるかどうか、またその代表者たちが理性的にディスカスして良識の要求する賢明な結論を出し、それに従って

やっておるかどうかというと残念ながらそういうことは何処かに行ってしまつておる。何かもう選挙は選挙でなくなって、まるで宣伝、売り込みというようなことになり、これをイギリス流に申しますと、一寸、気違いじみた運動になっております。 
22日 民主主義の本質は それではアメリカ流に考えてどうかと申しますと、大体、日本の国民というものは、アメリカのような腕一本、脛一本で叩き上げて国を造ったというのではありませんから明らかに小選挙区制が一番合理的です。社会党などは元々小選挙区制論でありました。処が自分達に都合が悪 くなるとそれを弊履の如く捨てて小選挙区に反対する。ああいうことが既に甚だしく利己的な議論であります。いづれにしても上級の議会に代議士を出すという段になりますと自分達の尊敬、信頼する人を出さなければなりません。そしてその結論には潔く従う。これが民主主義というものです。 
23日 愚劣な日本の選挙 処が現代の日本に於いては民衆は本当に自分達の尊敬、信頼する候補者を持っておるかどうか。最近のように生活環境が変わってくると、即ち大衆化し、組織化してメガロポリスがメトロポリスになり、進んでエキュメノポリスにもなると、候補者と選挙民との内面的な関連が非常に乏しくなって、選挙というものが如何にもナンセンスになって参ります。 そこでその間の発達するのは本富・末富・奸富と同じように本当の選挙、即ち本挙ではなくて、末挙・奸挙というものであります。その結果、悪知恵の働く人間が奸智にたけた方策で選挙を競うということになり、現代世界の民主主義選挙というものから言うて、日本の選挙ぐらい愚劣にものはないと識者、学者は顰蹙しておるわけです。それだけでも非常に危険であります。 
24日 馬鹿正直に占領政策を遵守する日本 その上、今の日本はもう昔の日本ではないのです。昔のように東海の小島の配列で、外国との関係も間接的で、何等怖るべきものがなかった時代はよかったのですけれども、今日のように世界が一つになり、国際的影響力が強烈になってくると、今までの利点がそのまま弱点になって来るわけであります。 第一、日本の国民はやっぱり島国の民でありまして、大陸や国際関係に対する実感や認識力がありません。知識が乏しい。ことに最近の日本の政治は、終戦直後にアメリカのGHQが残していった、即ち日本占領政策の体制そのまま馬鹿正直に遵守しておるのであって、日本の国家的。国民的体質に全然合わぬものが多い。
25日 アメリカは傍観主義

この間アメリカのホワイトハウスに影響力をもっております多くの学者達と会談して帰国した友人の話によりますと、これらの学者は近い将来、日本は大変なことになると見ておるそうであります。その時にアメリカはどういう手を打つだろうか、

大体はアメリカという国は、昔から有名なスタンダード・アンド・シー・ポリシー、つまりは傍観主義をとって、きびきびと先手を打つということをしない国であります。形勢を先ず観望して、おもむろに対策を立てるという方法を取る。大体民主主義政治の国は共通してそうであります。
26日

無防備日本

処が独裁主義国は機敏であり、強烈であります。そこでアメリカとしてせいぜい為し得ることは、先ず在日米人や商社等の保護でありましょう。その時に中共やソ連が対日干渉を行うということになると、矢張りアメリカも何らかの積極的な手をうつことでしょう。然しそれは恐らくまた後手を免れませんので、下手をしますと、ベトナムの新版になる恐れがあります。

ベトナムはまだ未開発国でありますから、国内動乱が続いても、これに対する耐乏力、忍耐力があれますが、日本のような近代工業国家となると、それから生ずる混乱、破壊、苦悩というものは、とてもベトナムとは比較になりません。それに対して、あなた方日本人は何か検討、対策を講じておるか。と幾人もから同じことを質問されて返事に困ったという主旨でありました。 

27日 指導階級に見識と勇気が必要

こういう時に大切なことは出きるだけ今日の国民の中にあって、賢明にして公正な見識と勇気を持った指導階級の人々が互いに連絡をとり、あらかじめ賢明な政策、対応手段を考究しておくことが必要でありまして、その為にも今日の選挙と混乱と政治不信は、一億国民の運命に切実に影響する重大事、というよりまことに憂慮すべき問題であります。馬鹿正直に占領政策を遵守する日本である。その上、今の日本はもう昔の日本ではないのです。昔のように東海の小島の配列で、外国との関係

も間接的で、何等怖るべきものがなかった時代はよかったのですけれども、今日のように世界が一つになり、国際的影響力が強烈になってくると、今までの利点がそのまま弱点になって来るわけであります。第一、日本の国民はやっぱり島国の民でありまして、大陸や国際関係に対する実感や認識力がありません。知識が乏しい。ことに最近の日本の政治は、終戦直後にアメリカのGHQが残していった、即ち日本占領政策の体制そのまま馬鹿正直に遵守しておるのであって、日本の国家的。国民的体質に全然合わぬものが多い。 

28日 危険な地政学的条件の日本 どうも日本人は国際認識というものが足りません。凡そ日本位国際的に危険な地政学的条件のもとに存在しておる国は他に例がないのであります。 例えば今次大戦に同じく敗れたドイツ、イタリアにしても、この両国は大体ソ連だけを考えておけばよいのです。
29日 ソ連末期当時

処がソ連の対外政策というものは、革命後半世紀がたって大分落ち着いてきました、首脳部もレーニンからスターリン、フルシチョフと代を重ねてきまして現在のブレジネフ政権は、悪

く言えば小粒になり平凡になり、よく言えば落ち着いて常識的になりました。加うるにヨーロッパ諸国は度重なる戦争で経験を積んでおりますから、対ソ政策というものは確りしております。
30日 世界最悪の日本 これに反して日本は、そのソ連に加うるに中共という新しい、極めて積極的・攻撃的な国が目と鼻の先にあり、更にそのソ連・中国の間にこれ又極めて尖鋭な朝鮮民主主義共和国が控えております。これらの国が今次大戦のあと武力戦というものを出来るだけ回避して、その代わりに巧妙で深刻な政治朝戦というものに全力をあげて、日本を対象として競争しております。このような悪い立場の国は世界の何処にもありません。 日本だけであります。
それには心ある人々が鳩首疑講するということも必要ですけれども、それには何を疑講するのか、つまり徹底して言うならば、やっぱり人間の歴史とそこに培われた学問・教養が足りないと、結論は出てきません。これは個人でも同じでありまして、結局こういう難しい世の中になってくると個人の教養と心がけが勝れておりませんと、ただ戸惑うばかりで何の力にも救いにもなりません。
31日 活学 その教養を身につける為には、やはりこういう講座が大変重要で、又意義があると思います。従ってこの講座で取り上げております色々の文献を、そういう意味で読み直してみますと本当に我々の(もう)を開いてくれましょう。 これが所謂、活学であります。単なる知識とか趣味とかいうものは、これは雑識にすぎません。雑識では現代を救う何の力にもならないことは歴史が示しております。そういう意味から文献を熟読・研究して頂きたいと思います。