経世と人間学 

昭和47年、安岡正篤先生のご講話であり、痛く感銘を深め爾来、私は再三再四繰り返し熟読し、
肝に銘じるものであった。私の経世哲学元となったのものである。毎日少しづつご披露する。
                             平成21年元旦 徳永圀典
 

第一講 仕事と世人

 1日

 2日

学ぶに()かざるなり

大学紛争に明け暮れする困った世の中になりましたので、色々な会合に出席しますと、「世の中は一体どうなっているのか、どうすればよいのか」という言葉をよく耳に致します。

それについて、しみじみと思いだすのは論語の一章、「子曰く、吾れ()って終日(くら)わず、終日()ねず。以て思う。益無し。学ぶに()かざる也」という教えであります。

 3日 二十万歳 こういう時局になりますと、この「学ぶに如かざる也」という言葉が痛切に感じられてなりません。現在我々が驚いている大学の騒動なども、過去の書物にちゃんと書いてあります。理由も原因もなく突然このような現象になることはありません。 歴史の書物をみればみな出ております。大体、人類がこの地上に現れて少なくとも二十万年と言われます。赤ちゃんの年齢を二十万歳と申すのはその故でありますが、特に人間らしい生活をするようになってから五千年であります。
 4日 過去の繰り返し この五千年の間に起きた出来事を調べてみますと、本質的には既に経験した過去の現象の繰り返しにすぎません。そこで現在の学園紛争も「どうなるのか」

などと余計な雑念や妄想に時間をかけるよりも、真剣に歴史を学べばその答案、或は解決策というものは全部書いてあるということを感ずるのであります。 

 5日 ()(しん)詔書(しょうしょ)

そこで桂首相はこの人心の荒怠(こうたい)を戒めるために明治天皇にお願いして、戊辰詔書(ぼしんしょうしょ)を渙発して頂き、どうやら危局を乗り切ったのであります。
昨年の戊申もよく似ておりまして、

風俗の奢侈(しゃし)逸楽(いつらく)と、政界の動揺や大学騒動などを取り上げて考えてみましても、本当に明治戊申と同様であります。そこで戊申の文字が持つ意味について少しく解明致しますと、示唆と申しますか、極めて興味深い問題が考えられるのであります。
 6日 剪定(せんてい)

戊は茂と同じ意味をもっておりまして、草木がのびる、申も伸と同義でのびるでありますから、草木の枝葉末節が繁茂するという意味であります。

枝葉の繁茂は木の存在・成長によくありませんから、植木屋はしじゅう鋏を使って剪定をいたします。あれは枝葉を払って木を簡素化し、根から活気を復するためにやるのであります。
 7日 世相への対応 そこで昨年は色々な案件をこういう意味で思い切って処断すべきでありましたが、それが行われませんでした。つまりその結果が本年に現れたのがエスカレートする大学騒動と申せましょう。ちょうど、天啓のように昨年は明治維新百年に当りまして、全国各地で記念事業が行われました。 然し、お祭り騒ぎでは世俗の戒めになりませんので、世相な鑑み、戊辰証書にかわる何か大号令が結局形式的行事に終わってしまったことは残念であります。この年に真に戊申の意味と、本年の巳酉の意味に即応する当局者があれば、一段とこの行事も意義を深めたことでありましょう。
 8日 辛酉(しんゆう)

中国の漢代以降流行した讖諱説によりますと、干支によって歴史の変革が定まるとして、その初めの辛酉の年に準革命、それから三年後の甲子に変革が始まるとしております。これによって聖徳太子が推古天皇の十二年甲子の年に暦法を制定され、遡って九年辛酉の年から千二百六十年前の辛酉を神武建国の年と定められたのでありますが、本年の辛酉は辛酉

ではありませんが巳は明年と明後年の干である庚・辛にせまり、支の酉との配合から明らかに準革命とを表すとみなければなりません。科学的に考えると問題になることではありませんが、過去の歴史から経験的に考えますと問題の年と申せましょう。従って本年に処する道は巳酉のもつ意味、即ち筋道を通すことより外に方法がありません。
 9日 情報 寄ると触ると「どうするんだ、どうなるんだ」と言いますが、いくら集まって情報を集めて点検してもどうにもなりません。昨今は情報時代と言われて、各方面の情報を収集しますが、これがまた短所欠点でもあります。 例えば医療機関が発達したため人体の分析的研究が盛んになって、患者を診断いるのに時間がかかるようになりました。患者が病院へ行きますと、先ず血液検査だ、尿の検査だ、レントゲン検査だ、という具合に夫々専門に回されてデーターを取られる。
10日 医者の診断 そのデーターを集めて主治医が診察診断を行うものですから、ひどいのは一週間も十日もかかります。従って、診断を下された時はもうもう患者の生理状態、病理状態というものは随分変わっております。 本当の医者は直感と申しますか叡智が働いてこの患者はここが悪いここが既に危険状態にあるからすぐ手当てをしなければならない、という具合に適切に処置するものであります。これが全く逆となるものが多い。
11日 要は直感的、英断的 今日の時局についても同様でありまして、いくら情報を集めても、問題そのものはどんどん進行していきますから、解決策は出来たが既にその方法では、間に合わないということがあります。 要は、直感的・英断的に行動し、処理することであります。個人の病理も、社会国家の生理も同じであった、局面に当る人の内容、実力が問題であります。やはり学ばなけれぱならぬということであります。
12日 唐宋八家(とうそうはっか)(ぶん)

現在一番問題となっている大学騒動についても、過去の歴史に徴しますと、全く同様の記録があります。明治・大正時代の少し教養のある人なら必ず読んだ書物に「唐宋八家(とうそうはっか)(ぶん)」というものがあります。

この書物は戦前の中学校の教科書にも随分と引用されておりました、八家の中で、唐では先ず一番に指を屈するのが韓退之でありますが、この韓退之と並び称される人に柳宗元という人があります。
13日 大学書生に与える書

この柳宗元の書いた「大学書生に与える書」という手紙を読みますと、今日の大学そっくりなんです。
原文(漢文)を訳しますと、「自分は若い頃に大学に遊んで、先生の教を聞き身を立てようと思ったが、この頃の大学生は集まって朋党(グループ)を組み、先輩を侮り、賢者を馬鹿にして、学業を捨て、役人を罵倒する。これらの輩には自ら学ぶという意思のある者は一人もおらない。大学というところは極めてつまらぬところである」と書いております。今日の大学生とそっくりそのままであります。

三国志で有名な諸葛孔明の青年時代も、当時の記録に「大学の書生三万人、皆、斗そうの小人なり。君子之を恥づ」とあります。
当時の三万人は現在の中共の人口七億で考えてはなりません。五千万人位の頃であります。諸葛孔明の頃に大学生が三万人もおって、然も
そうの小人、一山百文の連中であったから、心ある者はその仲間になることを恥じたという記録であります。 
14日 山法師とゲバ学生

中国ばかりではありません。加茂川の水と、双六(すごろく)(さい)と、山法師は意のままにならぬ、と慨嘆された白河法皇のことは日本歴史を学んだ者なら誰知らぬもののない話でありますが、この山法師はつまり現在暴力を振るっている大学生と考えて宜しい。
あの頃の教学の本山といえば比叡山か奈良でありまして、

南都北嶺(なんとほくれい)と申しますと今日で言えば大学であります。その南都北嶺が本来の学問信仰を忘れて利権争いばかりやる。それが原因となって、山法師というゲバ棒でなくて長刀(なぎなた)をもって暴れ、神輿(みこし)(かつ)いで皇居へも迫る暴力僧が出現しましたが、これは日本歴史に残るゲバ学生と申せましょう。
15日 鎌倉の祖師たち このように少し歴史に立ち返ってみますと、今日の世相などは既にそのままいくらでも過去の歴史の中にあったことが判然と致します。
そこで当局者はゲバ棒学生に対する対策をたてなければなりませんが、この対策は政府や学校当局のやることですから、根本的な治療が出来るかどうかは今後暫く時間かけて注目しなければなりません。それよりも大事なことは、この動乱・騒動の中から何が生れるか。

例えば南都北嶺の山法師に失望して、これらの輩と互しておれば、何にもならぬと奮発勉強した結果、仏教会に偉大な事績を残した、法然・親鸞・日蓮・或は栄西・道元・明慧というような名僧が輩出しまして、これらの僧によって本当の学問、本当の仏教が興され、平安朝以来の堕落した仏教が救われて、いわゆる鎌倉仏教が興ったのであります。 

16日 現代の親鸞や日蓮を

これが当時の武士に非常な感化を与えました。だから現在の学園紛争対策についても既成の頽廃した伝統に手当てを加えたり、つぎはぎするというような、局面を糊塗するような方法では駄目で、この混乱の中から、紛争にあきたらない

学生の中から、何が生れるか、又どんな人材が輩出するかを考え、いたずらに悲観したり、情報を集めたりするのでなく、昭和の親鸞や日蓮が輩出するように努力することが大切であります。
17日 歴史に学ぶ

然し世相の変転極まりない現代でありますから、本当に何が起こるか知れません。全く予想がつきません。そこで大事なことは、何事がおきても、俺はこうするのだという、識見や信念を養うことが第一でありま

して、その方法はやはり歴史に学び偉大な人物の教訓を読むことが一番であります。歴史というものは過去の経験・体験の例証からなる哲学であります。こういう時代ほど歴史と先哲に学ぶことが必要であります。 
人間と仕事
18日

(ひゃく)朝集(ちょうしゅう)

そこで今回から「人間と仕事」と題して歴史上の先哲の名言を拾い出して講じたいと思います。実は、先年「百朝集」という書物を出したのでありますが、広告等一切やりませんでしたが、長い間に何万と出ました。今次大戦の終末期、東京も連日敵機の空襲を受け、大変な混乱でしたが、その混乱の中で

毎朝先哲の名言を一題づつ撰んで講じましたところ、参ずる人々に爆撃の恐怖感を除き、混乱から身を守る勇気を生じたようであります。講じた私も、そして聴講された人達も、時節柄まことに真剣でありまして一同無事に三ヶ月を経過し、百題となりましたので百朝集と名づけたのであります。
19日 名言百選

この講義を続けた道場は東京小石川にあった金鶏会館であります。ここで官民凡そ二十万人位の人達が戦前・戦中を通じて研修を受けましたが戦後米軍に接収されてしまいました。こういう因縁で特に私達にとっては懐かしい道場でした。終戦の日から既に二十四年が経過し、百朝集を講じた日から 

ちょうど二十四年の歳月が流れました。当時と今日では時世に大きな相違がありますが、今日の時局も大変複雑であり、且つ重大であります。そこでこの時局に感慨の深い示唆を与える名言を百題選んで、本講座で講じたいと思います。 
20日 理屈の通らない現象

巳酉の年も既に六月末となり、本年の干支が示唆するように前半はかなり荒れました。しかし後半は更に荒れることでしょう。こういう現象を歴史に徴して調べてみますと、きまって二つの方向があります。

その一つは理屈の通らない破壊活動が盛んになるということであります。あのゲバ棒学生達が男女を問わず発したナンセンスという言葉がそれを一番よく表現しております。
21日 ナンセンス

破廉恥
ナンセンスというのは大正の末期から昭和の初めに流行した言葉です。あの頃にはナンセンスとは無意味ということです。「そんなことは無意味だ」ということがナンセンスであります。 また破廉恥という言葉が流行しております。これはあらゆる理屈を無視する虚無的なことであります。その破壊には一切のものが含まれ、生活体制、政治体制、法制の破壊から道徳の無視にいたるまで種々様々で、その最も非人間的な言葉が破廉恥であります。
22日 破廉恥 この頃はナンセンスというよりも破廉恥の方が流行しているようであります。我々の常識で破廉恥というと、人間として最も軽蔑すべき言葉であって、破廉恥な奴だと言われることは、男女共に致命的な攻撃非難であります。 処が、あのゲバ学生達は破廉恥という言葉を礼讃の意味に使うそうであります。我々の感覚とはそこまでずれてきておるのです。最大の侮辱の言葉が礼讃の言葉に変っている。時代は大きな転換期を迎えたと申せましょう。これが第一であります。 
23日 風紀(ふうき)紊乱(びんらん)

次に享楽・耽溺・没頭するその最大のものが、所謂フリーセックスです。日本はまだヨーロッパに比べるとよいほうです。然し次第にヨーロッパに近づきつつあると言われております。
第一次大戦後ドイツ国内の風紀が(みだ)れ、ベルリンに有名な女神の像がありますが

当時ベルリンで処女はこの女神の像だけであると言われるまで頽廃したのであります。日本の男女大学生の風紀もかな(みだ)れていると聞きますが、日本の将来を背負う大学生がこんな状態では実に困ったことであります。
24日 ()(しゅつ)

そこで一体これをどうして解脱・救済するか、新しい時代、新しい人間を創造するかということが最も大切であります。禅家ではこれを()(しゅつ)と申します。これは刀を鍛えるように叩き出すという意味の大変よい言葉であります。

この混乱と頽廃の中から本当のものをうち出すことが大切であります。これにはやはり論語にある通り「学ぶに如かざるなり」でありまして、早速第一題に入りましょう。
仕事と世人
25日 世人の通病 世人(せじん)通病(つうびょう)、事に先んじては(たい)怠り神昏(かみくら)し。事に臨んでは手忙しく(あし)(みだ)る。事を()へては意散(いさん)(こころ)(やす)んず。これ事の賊なり」。 
(()(しん)()呻吟語(しんぎんご))
世人の共通の病気・欠点は、事件が起こる前には、身体がなまけ、精神がぼんやりして、まうまうということでごまかして、その日暮らしで過ぎる。

そして事件が起こるとうろたえる。
26日 咄嗟(とっさ)の度胸・機略

ナポレオンの名言に「政治というものは、予め政策を立て、それに基づいて着々と事を運んでいくというものではない。政治の実態は突然事件が勃発して、それにうろたえて色々間に合わせの方策を立てていくものである」と申しておりますが、聡明な本当に識見のある人から見ますと、当然事件の起こることが分かっておったのですが、それに気がつかず、うろたえるのが世人の常であります。

これに処する度胸だの機略が無ければ益々混乱いたします。そこで人間ナポレオンを仔細に観察致しますと、そういう大変なアクシデントが起こった時に、咄嗟に対応する心構え、気転・決断・勇気・実行力というようなものに富んだ人であったことがわかります。世界の人が英雄と称する所以であります。
27日 凡人は 処が、凡人は事に臨んでばたばたうろたえるばかりで、そしてどうにか問題がおさまると、まあよかったと安心しがちであります。 これが問題に対する賊であるから、この賊を始末しなければ仕事は出来ません。これは明末の哲人・呂新吾(呂心吾)の名著「呻吟語」にある文章でありますが、まことにこの通りであります。
28日 当今の学徒 (こころみ)当今(とうこん)の学徒を()るに、その庠校(しょうこう)に在るや、孜々(しし)勤労する者あり。(しょう)退()くに及んでは則ち()む。(しょう)を退いて()まざる者あり。妻子を蓄ふるに及んでは則ち衰ふ。 妻子を蓄へて衰へざる者あり。一患一災(いつかんいつさい)に逢へば則ち(くじ)く」。
(
塩谷宕陰、安井息軒の東遊を送る序)
安井息軒が東遊するときに、先輩である塩谷宕陰が与えた実によい教訓であります。
29日 痛い忠告

現在の学生をみておると、在学中はこつこつとよく勉強するが、学校を卒業するとなまけてしまう。学校卒業後もよく勉強する者もあるが、女房をもち子供ができると、だんだん勉強しなくなる。女房子供ができても衰えない感心な者も、ちょっとした患や災にあうと、くじけて勉強しなくなる。これが世の学生の常だというのであります。

知識だの技術だのというものは直ぐ役に立ち、人の目にもつきますから、誰もよく勉強するものですが、人として最も大切な心を修めるということを忘れがちであります。だから心がいつまでもできない。そこで妻をもち子供ができても勉強を続けるほどの者でも、一患一災にあうとすぐに駄目になる。よく注意をせよというわけです。全く痛い忠告であります。
30日 醜男(ぶおとこ)の芸術的な価値

塩谷宕陰という人は浜松藩主水野忠邦に仕えた幕末の碩学であります。安井息軒の方は背の低い醜男でありましたが、非常に出来た人物でありました。
人間というものは不思議なもので、余り整って男っぷりがよいと、却って平凡で印象に残りませんが体躯堂々とした容貌魁偉(ようぼうかいい)偉丈夫(いじょうふ)になると、これは印象に残るものです。

処が短躯醜男(たんくぶおとこ)でも、−精神内容がその容貌に似て軽薄でありますと、どうにもなりませんが、−修養の結果、人物が出来てくると、その醜男が逆に芸術的な価値を生ずるものであります。例えば、南画の大家が、花や美女のような美しいものを画くよりも、ひねくれた松だとか奇怪な石を画く。そこに独特の芸術があると申します。
31日 人間の肉体と精神 これは芸術論から考えるとよく分かります。人間の肉体の美というものは偶然の産物にすぎません。人形ならば単なる表現の美ですみますが、人間の美は肉体に釣りあう精神が伴わなければなりません。美人は沢山おりますが、大抵はその美を鼻にかけて修養を怠るものですから、折角の美が浅薄となり、やがてキザな美になり、かえって美のために人に欺かれたり、 (もてあそ)ばれて堕落する者が多いのであります。これが男子ですと、地位だとか、財産だとか、名誉だとか、ということが魅力でありますから、これに相応する実力がないと猿が冠をきたようで、軽蔑だの反感だのを招きます。そういうことを考えて安井息軒(やすいそっけん)の人物を調べてみますと実に学ぶことが多いのであります。