「国家」に就いて 

国家ということを正しく理解することが必要である。近年は、鳩山、菅とか小沢一郎とかを初めとして「国家観」の欠如した議員が多く亡国的である。 

戦後、メデイアも政府も、国会議員も国民も、知らぬ顔をしていることがある。

それは、国民は一人一人は明白に、国家のお蔭で生活し、働き、安全に生活しているにも拘らず、国家を敢えて無視していると思えることである。国家に保護されておりながら、愛国心が芽生えないと云うことにも繋がる。 

外国に出て、拉致されたり、逮捕されたら直ぐに領事館のお世話になる。日本での生活でも、医療から生活的社会インフラも全て国家のお蔭であるのだが国民は知らぬ顔に見える。

生活保護者の生活費は国家からの出費である。それを税金からと言うのは、正しい表現ではない。この税金という言い方に大きなマヤカシが潜んでいる。 

それは何故か、戦後、国家に関する思想・学問は不幸にして間違っていたからである。国家について重大な関連をもつ大学に於いて実に間違った学問や講義が平然と行われてきている。 

一体、日本という国家は、(戦争後、外国に見られるような、でっち上げられたような国家は別として)、自然に存在し発達して来たもので、これは山川草木と同様自然の産物である。 

日本と言う国家は、一つの自然世界・自然社会なのである。

永い間、そこに、人間が共同し助け合って生活し、利害を共通し、共通の言語を生み、共通の生活の中からいろいろ共通の文化を作って、そうしてその土地・人間・生活、歴史、そういうものが相俟って出来上がって来たのが国家である。自然社会と見る一元的国家である。 

処が、国家を、人民が色々の利害関係から集まって、法律というようなものを作り、約束し、契約して出来た、つまり構成社会である、という様な考え方が19世紀以来西洋に於いて力を得て、国家を団体や会社と同様に考える思想が跋扈してきた。多元的国家論である。 

多元的国家論は、マルクスやエンゲルスが更に、複雑悪質に解釈し、国家は少数の支配階級・特権階級が無力な大衆を搾取する権力組織である、という様な思想を宣伝した、これが徹底すると無政府主義にもなる。日本では社会党・現社民党、民主党などこれに近いのであろう。

官房長官・仙谷君のような思想の連中である。 

リベラルなんて、実体が無く、この両者の間をウロウロしているカゲロウみたいなものであり、真摯な国家・国民にとり甚だ無責任な居候みたいなものだ。菅クンとか鳩山クンがその典型であるる

中国に毒された朝日新聞、菅とか鳩山とか仙谷、枝野など民主党の一部にその思想傾向者が参集しているやに見える。 

良識ある政治家、政治学者、社会思想家、メデイア、或は良識ある我々国民はこの間違った国家観を是正して、正しい国家観の培養に尽力しなければならぬ。鳩山とか菅とか仙谷に典型的に欠けているものを例示し解説して参ろう。 

四維(しい)国維(こくい) 

東洋政治学では、国家を維持存続してゆくためには四つの原則が必要であると言う。 

管子(かんし)四維(しい)国維(こくい)が論じられている、国には四つの大きな(つな)大綱(たいこう)が必要それは(れい)()(れん)()だという。 

礼とは、正しい秩序・美しい調和のこと。

我々の肉体も色々の諸器官が夫々秩序を保ち調和して初

めてそこに健康がある。

同様に、国家も、国民や政府、その他これを構成する機

関・機構が正しい秩序と調和を保ちその機能が円滑に遂

行されなければならぬ。

調和と秩序のビタミン剤即ち「礼」は「義」の持つ機能

の意義・使命を調和を以てそれぞれ果させるのである。 

これを無視し、諸器官が利己的に放縦に活動するのが「不義」でありこれは全体の破壊誘因となる。 

利というものは、「利己」であり、「()である

礼や義というものは、常に全体を予想するわけで、これが「公」である。

これを遂行してゆく場合、人間は必ず、「廉直(れんちょく)無私(むし)になる。従って、そういう精神・行動に対して人間よく「恥、恥を知るのであ 

国家を維持するには、この「(れい)()(れん)()の四つの徳がどうしてもなければならぬと言われている。これを「国の四つの()と言う。

これを失うと、必ず国は動揺し、混乱し、頽廃し、時には滅亡すると言われる。 

近年、経営者とか議員の謝罪会見で、「ご迷惑をおかけしましたと低頭」するが、誰一人として「恥ずかしいことをしました」と言い謝罪しない。恥ずかしいとは自己に対しての言葉であるから、これを言う人は根本から改善出来るが、ご迷惑では自己反省にならぬから本物の謝罪ではないから必ず再発する。  

国家を立派にする最も大事なことは、この「(れい)()(れん)()」と言った公共精神を先ず政府、国会議員、与党、政党、官庁、公共団体が実践しなくてはならぬこととなる。 

この「公共精神」を実践する為にどういう政策を行うべきか。

もっとも手っ取り早い具体的方法は選挙であり、議員の選別ということになる。

国民は、「(れい)()(れん)()」の尺度を以て常に候補者を洞察する民力を高めなくてはならぬということになる。 

次に国家の根本は「憲法の改正」である。

あの占領時代の、英文原稿翻訳の、恥ずべき憲法を是正し、権威のある、「日本人自前の憲法」を作らねば日本は本物の国家に非ずである。 

私の悲願は、こういう精神原則の大切さを明らかにし愚昧な大衆を啓蒙することである。 

国家の本質的問題は、結局こういう精神的原理・原則を明確に打ち立て、そこから誤りなき具体策を実践してゆく外に道はないと確信する次第であります。

               平成23年元旦 
                      徳永日本学研究所 代表 徳永圀典