徳永圀典の書き下し「日本国体論」その七  「国体論索引表」

 平成21年1月

 1日

(みそぎ)(はらい)

「神人合一」の任務が神主の任務であり、その為に、水垢離し祓いをし、自ら神になることが祭りの真意である。自ら神となり人々を祓い清めるということなのである。
「禊ぎ」とは、霊を()ぎ、霊を注ぐということ。

汚れた霊を削ぎとり、神の霊を降り注いで本来の生気を取り戻すことである。「祓い」とは、霊を張る、晴る、払うの意であり、悪霊、邪霊を払い除けて神霊、直霊を受け入れ、生来の精気、元気を奮い起こして生成化育の本然性に復元することである。

 2日 鎮魂(ちんこん) 鎮魂とは、精神統一ということ。宇宙自然の作用との一体化である。神道では、「(ふり)(たま)」の(ぎょう)鎮魂(みたましづめ)にあてている。

左手を下に、右手を上にして、両手で玉の形を作り祓言「かむながら、とほ、かみ、えみ、ため」と唱えつつこれを強く振る。この(ふり)(たま)を五分、十分続けることにより、心が次第に落ち着き、神人一体の境地に達するのである。
 3日 神主の心得 火を大切に扱うのが第一。
第二は食物の心得、肉、葱、、蒜のようなものを食べたり煙草を吸わない。
第三は、家族と別居し心身の安定を図った。
第四、人と面会せず、心の乱れや刺激を防いだ。
第五は、水行の禊ぎにより水垢離を行った。霊を清く明るく美しくするものである。
 4日 八神殿 天皇の鎮魂の行であり大嘗祭(だいじょうさい)新嘗祭(にいなめさい)の前夜には必ず八神「神産(かみむすび)霊神(のかみ)(たか)御産(みむすび)霊神(のかみ)玉積産(たまつめむすび)霊神(のかみ)生産(いくむすび)霊神(のかみ)足産(たるむすび)霊神(のかみ)大宮売(おおみやめの)(かみ)御食津(みけつの)(かみ)事代(ことしろ)(ぬしの)(かみ)」を対象に行われる。 八神のうち五神は「むすび」の神である。

「むすび」とは生成化育かる働き。「霊」は、む、ひ、み、と言い、霊魂(みたま)(たましい)(みい)()(稜威)、火、日、()蒸々(むしむす)、等みな霊の醗酵する作用――生成化育――を現している。
 5日 「むすび」の五つの働き 1
神産(かみむすび)霊神(のかみ)」、
陰の作用の一つとして、統一、整理、統合、融合、収縮、秩序、規律などを表す。

(たか)御産(みむすび)霊神(のかみ)」、
陽の作用として生成分化、活動、分離、分立、開化、延長、発展を表す。
 

 6日

「むすび」の五つの働き 2

生産(いくむすび)霊神(のかみ)」、
同気相寄り、同類相集る点の作用、一点を中心にして相寄り相集まって結集し、むすむして増加拡大する神の働き。

足産(たるむすび)霊神(のかみ)」、
豊富広大円満充足し、点から線に伸び延長し生長して行く神はたらき。
 

 7日

「むすび」の五つの働き 3 

玉積産(たまつめむすび)霊神(のかみ)」、全個一体、陰陽合体せしめる。統一主宰し、すべてのものに秩序づけて発展繁栄進歩せしめて行く神の働き。 大宮売(おおみやめの)(かみ)」、
全身全体真心をこめ赤裸となり世に奉仕奉公の誠を尽くす神はたらき。
天皇は国民全体を宮殿の心得、国民全体を家族とみなしてこれに奉仕される。
 
 8日 「むすび」の五つの働き 4 御食津(みけつの)(かみ)」、

全べての生産物を先ず神に献じて感謝の誠を現し、これを神の賜物として私有領有せず、一切を放下分与して国民一人の洩れなく生活安定せしめる神働きである。
事代(ことしろ)(ぬしの)(かみ)」、
宇宙天体より全人類及び一切の存在を知り尽くし、英断を以て事に臨む神働きである。事を知る神、吾れを知り他を知り、世を知り万事万端を知り抜いている神眼、眼識、見識を現す神働きである。
 9日 八神殿の行 天皇の鎮魂の御境地を神の名で表したもの。進行する状況、初め神魂、高御魂、生魂、足魂とむすびの作用をなしつつ、大宮売の御境地へ進まれる。かくして国家国土全体をわが宮殿と思し召される。 そして、国民をわが子として抱きかかえ、国運を慮り、御食津の作用を発現し国家産業経済の発展、国民生活を祈念、進んで事代主神の精神を体現、一切を神に捧げ、国民にる精神を修行されるのである。
10日 大嘗祭 皇位継承の御即位の儀式・天津日嗣と、大嘗祭の天津穂嗣の大祭を挙げないと天皇になり得ない。鎌倉時代第八十七代仲恭天皇が「天皇編年記」に反帝と記され ているのは御即位の式を挙げられたが大嘗祭を挙行されなかったからである。御即位の儀式も大嘗祭も共に天皇御一代一度の儀式であり大祭で極めて重大である。
11日

大嘗祭の意義

第一、五穀豊穣、
第二、皇祖皇宗に即位のご報告、
第三は、報本反始、
第四、神と天皇との相嘗であるが部分であり本来の義ではない。
天皇は大嘗祭に先立ち、まず禊をされる、昔は紙屋川、葛野川、桂川などであったが後には宮中で行われることとなった。天皇は国民の代表として、「唯お一人」、()()殿(でん)主基殿(すきでん)のお祭りを夜もすがら、いとも厳粛に行われるのである。
12日 ()()殿(でん)主基殿(すきでん)の祀り

()()、「ゆき」とは行きであり、主基(すき)、「すき」とは、すき、そぐ、そそぐ、の意味である。()()殿(でん)に於けるお祀りは、「天皇の方から神に向って進まれ、「合一」あそばされる。そして神から斎庭の穂を賜るのである。

主基(すき)殿に於けるお祀りは、天皇が神を招いて饗応される。招請せられた神々は穂を賜られるのである。これが「天皇穂嗣」である。穂は生命の親なのである。この「天津穂嗣(あまつほつぎ)」の祭りを行わなければ天津穂嗣(あまつほつぎ)(御即位)の義が成立しないのである。
13日 天皇の
大嘗祭当日
−1
大嘗祭では天皇は、みそぎ、はらい、鎮魂を繰り返され当日、天皇は御座所で潔斎の禊ぎを行われ、それから廻立殿にお出ましとなり愈々悠紀殿に進みになる前にも禊ぎされて御祭服をお召しになられる。廻立殿までは(はく)の御衣だが、大嘗宮での御衣は人工の加わらぬものを用いられる。 そこで靴を脱がれ御徒跣で、席の上を天皇御一人踏渡られる。
この(むしろ)は係りの者が天皇の進まれる部分だけ(ひろ)げて、お通りになり直ぐ巻いて行くので、剣璽を捧持している侍従さえ足をかけてはならない。
14日 大嘗祭当日−2 そして両方から(えい)をかざして天皇のお顔をお隠しし、みだりに人の眼に触れぬようにする。かくして悠紀殿のお祭りを終えられると廻立殿お還りになる。そこから主基殿にお進みとなり主基殿のお祭りをとり行われるのである。 この祭りでのお召し上り物は、斉田で取れた新穀、その他生物、干物、色々あるが、いづれも極めて質素なものばかりで、宮殿も茅葺の屋根に皮つきの松丸太の柱、近江(むしろ)の張壁とし草を以て御(しとね)とし御縁は低く張られているという極めて粗末なものである。
15日 天皇の原理は日本民族の原点 天皇一生一度の大祭が、なぜこのように質素に行われるのか、質素、質実、剛健こそ、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の原理であり、精神の極度の緊張を呼び覚ますからである。大嘗祭が限りなく崇高の感に打たれるのは、実にこの点にある。諸外国の戴冠式に見るような金色燦然たるものとは趣きを異にするのである。大嘗祭は昔さながらの遺風をそのまま継承しているという。 ここに日本民族の民族性である、質実、剛健、勤勉の美風が出てくるのである。大嘗祭の意義、精神は実にここにある。神ながらの道は、日本民族の生命であり、天皇は日本国民の中心である。この日本民族の原点に立ち帰り、常に新陳代謝、循環還元を繰り返し再生するのがむ我が国固有の道であり精神なのである。
16日 天皇の本義 天皇の本義は、すめらみこと、及び「知らす、聞こしめす、見そなわす」に示されている。
すめらみこと、とは知る、澄ます、統べる、治ろしめす、の意である。
第一義は、宇宙実在の実相とその作用を知ると共に、これを掌っている法則を知ることである。
それは転じて、国民生活の実体を知り、国民の希望念願を知りつくして、それを叶えて且つ天皇の本意を国民全体に知らしめることである。
17日 天皇の本義 その二 第二義は、澄まし清める。みそぎ、はらひの神事に見られる如く、清さと穢れ、美と醜、明と暗、直と曲が神道を支える観念であり、魂を清め、心身の修行を積み、不浄、汚濁、不潔、醜悪のものを清め、かつ鎮めて、情義の美しい同胞社会を顕現しようとするものである。禊ぎ祓いの行事は、いざなみのみことの神話伝承が起源とされている。
古来よりの日本人は神聖なものを美として眺め、神は宇宙のあらゆ

る所、海、山、田、川、井戸、水屋にも、かまどにも厠にも宿るものと信じ、そこを美麗にしておかなければならぬと考えて神を祀ったのである。心清く美しく直ければ必ず神の助けがあり、心汚なく、濁れ、曲っておれば神罰を受けるものとされ、常に清く美しく、直く明かるくすることに心がけてきた民族性がある。かかる天皇は国民の雛形であり、清浄無垢、無私無欲無我を最高の徳としてきたのである。 

18日

天皇の本義 その三

第三義は、統べる、一切を知り、知らしめ、清く明るく直く美しい心をもって、国民精神の統一をはかり国民生活の安定を願う。

第四義、治ろしめすは、道を真ん中に立て治者と被治者の一体を実現することを言う。
範を万民に垂れ、万民の中心となり道の実践を踏み行う原理を示している。
 

19日 神社

神社は天皇が天津日嗣、天津穂嗣を通じて神道(かんながらのみち)を宣布されることを範とし、神主が祭主となり神社地域を隈なく宣布伝道することである。

祭祀祭儀は厳粛荘厳に執行して日本民族の基本である精神、礼儀、威儀、行儀、節義、作法を躾ける錬成道場である。
国民の精神統一を図る日本民族の共通基盤である。他の宗教を排斥し対立するものではない。
 

20日 神社その二 神社には、祭神、神主、神職、神典、鰹木(かつおぎ)千木(ちぎ)、鳥居、神器、御幣(ごへい)がある。その他、祝詞(のりと)拍手(かしわで)、拝禮がある。 神社に祀られている神が祭神である。神主は、自から神と一体となり氏子に神働きをする祭り主である。神職は神主を補佐する職員。神典は、古事記、日本書紀、古語拾遺、祝詞、万葉集等である。
21日 千木

社殿屋上両端に交差している木、飛鳥時代以後は古制度の神社、民家の一部に残ったが一般には禁止された。伊勢の外宮は端の一角が垂直に切られておる、内宮は水平に切られている。つまり外宮の切り口は下を向き、内宮は上を向いている。

大嘗祭では、悠紀殿が水平、主基殿が垂直に削ぐ定めである。千木は鰹木と同様、本来の精神は天地の恵みを表すもので、外宮は豊受大御神の働き、大地の心を伏して受ける。内宮は天照大神の働き、天の心を仰いで受けるという意味である。 
22日 鰹木(かつおぎ)

神社の屋根の上に直角の方向に並べる木、上代には皇居や豪族の建築に用いた。後には専ら、神社の主要建物にのみ用いられるに至る。千木を伴うを例とし実用よ

りも荘厳を目的としたものとなった。
鰹木の形ではなく内面に籠る精神にある。
伊勢神宮の外宮が九本、内宮が十本となっている。
23日 鳥居 鳥居のない神社はない。
神籬(ひもろぎ)磐境(いわさか)の門を神門と言わず鳥居という。
鳥居の真下で立ち止まり、拝し祈りつつ進んで行くものである。鳥居から神殿までを一生と仮定し、その中間に誘惑、圧迫、迫害、妨害あるとも目的、神に向ってひたすら突進んで行くことを教えたものである。
24日 三種(さんしゅの)神器(じんぎ)(鏡・玉・剣)

三種神器の精神は、天皇が皇位継承の象徴として常に同床共殿、一日と雖もこれを疎んずることのないようにしておられるものである。

神道と切り離して考えることはできない。従って神社も神器を備えてその意義を伝えている。神道の原義は「清、明、直」である。神器は、それを象徴したものである。
25日 鏡は自分の心を写し「清、明、直」の自分なら神を見ることが出来るとしたものではないか。 自分の心の垢や汚れを取り去った清明心を持つためのものであろう。
26日 (ぎょく)・剣 (ぎょく)は生命作用のまま無私無我無欲に徹し、新陳代謝、循環還元を遂げて万物万象を生成化育する働きを示す。 剣は、天地宇宙を律する法を以て、腐敗、汚濁、混乱の根を絶ち、清浄無垢、整理秩序統一の作用を促進するものである。
27日 御幣 御弊(ごへい)は、白弊(しらにぎて)青弊(あおにぎて)幣帛(へいはく)御幣帛(みてぐら)、みな同じ意味、感謝、感恩、報恩の印として捧げ奉るものである。 力をだし、真心を出して、物心を捧げることを示すものである。
28日 のりと

祝詞、宣詞、祓詞、を総称して「のりと」という。「のりごと」であり、神前で奏申するが、本来は、神から賜わった「みことのり」を神に代って宣布する、即ち「のる詞」である。

宣命(せんみょう)式は朝廷、神社ら参集せる諸王、諸臣、神主、祝部に読み聞かせるもの。
奏上式は、直接神前に奏上する誓いの言葉である。
29日 拍手(かしわで)

膳手のこと、我が国独特の神拝禮法。その度数、打ち方により古来、短拍手、長柏手、連拍手、合拍手、禮手、後手、忍手などの別がある。現在は伊勢神宮を除き殆ど「二拝二拍手である。

物に対する心掛け、物を粗末にしない、物心一如、神人一体、自他一体、夫婦一体、親子一体、全てが一になるものであり、調和融合である。 
30日 拝禮 下座、土下座の禮。神に対する人の道であると同時に、人に対する人の道でもある。

謙虚謙譲の精神、進んで愚と卑に徹する心構えと態度を養う。神道は随順、隋神が基本。 

31日 狛犬(こまいぬ)

天犬、神犬ともいう。神前、神域の守護として置かれている。
口を結んでいるのは「黙養」、これは虚言、雑言、悪口、驕言、諂言、陰口、告口の黙養。

口を開いているのは口を開けば、玉のような言葉を吐け、玉とは希望、激励、感動など人の喜ぶ言葉を。