日本復活の合言葉「負けるな」2012.1.1  

       産経論説委員長・中静敬一郎 

 「負けるな うそを言うな 弱いものをいじめるな」。江戸期、薩摩藩の武士の子弟を育てた郷中(ごじゅう)教育の訓戒だ。この郷中教育から西郷隆盛、大久保利通ら強い明治をつくった偉人が輩出した。

 鹿児島市立清水小学校ではこの訓戒が「清水魂」とされ、脈々と今に引き継がれている。

 毎年盛夏、4年生以上が桜島から対岸の鹿児島市までの錦江湾4・2キロの横断遠泳を試みる。

 驚くのは、100人前後の希望者のほぼ全員が猛訓練に耐え、完泳することだ。学校、父母、地域が一体になって励ますからだという。とりわけ年長組が年少組を教え導くことが大きい。死力を尽くして目標を制覇できた児童は大きな自信を得て晴れやかになる。

 ◆名もなき英雄たちの奮闘

 海老原祐次校長は「皆、大きな声であいさつするのですよ」とうれしそうに語った。

 「負けるな」は、昨年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災現場でも心の合言葉になった。東電の下請けを担う協力会社のベテラン社員(47)がいる。水素爆発を起こした3号機の隣の2号機で電源を復旧していた彼は事故直後、東電の要請に応じ、そのまま原発に残った。

 1日の食事は非常食2食、毛布1枚にくるまり雑魚寝という過酷な環境だった。「被曝(ひばく)の危険性があることは分かっていたが、復旧作業には原発で18年働いてきた俺たちのような者が役に立つ。そう覚悟を決めた」

 彼は避難を余儀なくされた後も、また第1原発に戻った。「同僚たちは今も原発で働いている。少ない人数で頑張っている。仲間のために自分は行く」。こうした名もなき「英雄たち」の戦いは今も続いている。福島第1原発で新年を迎えた東電関連社員は約500人を数える。

 「負けるな うそを言うな 弱いものをいじめるな」に込められた剛毅(ごうき)さ、克己、礼節は日本人の奥深くに厳然とあるはずだ。

 だが、戦後日本はこれらを忘れてしまっていたのではないか。京都大学名誉教授の田中美知太郎氏は昭和55(1980)年1月の本紙正論欄で日本外交の問題点としてこう喝破している。

 「いつもわが国の特殊事情なるものを説明して、相手の了解を取り付けるというようなものばかりという印象が強い。共通の事柄について、共通の言葉を使って堂々と所信を述べるというようなことはあまりないのではないか」

 お家の事情を理解していただくという手法は、国連平和維持活動(PKO)は危険な地域だからこそ必要とされるのに、日本は自衛隊を危険地域に派遣させないと主張する一例が象徴する。身勝手な慣習に現実を直視しない戦後民主主義が色濃く投影されている。

 大震災で浮き彫りになった「想定外」を考えようとしなかった思考停止状態、国家として非常事態への備えを疎(おろそ)かにしてきたことも、その延長線上にある。憲法での緊急事態対応は「参議院の緊急集会」にとどまっている。国家が総力を結集する枠組みは不十分のまま放置されてきたのである。

 終戦後の米軍統治下で日本を無力化するため、主権の行使を制限してきた憲法の見直しこそ、なんとしても急がねばならない。

 ◆独立自存が求められる

 日本が強い国に生まれ変わるためには胆力と構想力を持った指導者が欠かせない。今年、主要国の指導部の交代により、国家間のパワーゲームは熾烈(しれつ)を極める。狡猾(こうかつ)な手口は中露にとってお手のものだ。したたかに、しなやかに自由と民主主義を守る国々と連携を強め、繁栄と安全という国益を守る必要がある。これまでのように特殊事情を釈明して逃げ回るのではなく、自らのアイデア、世界経綸(けいりん)、独立自存の精神が問われている。負けてはならないのだ。

 昨夏の清水小学校の遠泳では、白帽の4年生と隊列を組んで泳ぐオレンジ帽の6年生が「白帽がんばれ」「東北がんばれ」「日本がんばれ」と声をかけ合ったという。日本の底力を信じたい。