卑屈、卑劣な「無所属議員」 

幾つかの市長選挙、或は知事選挙で、自民党とか民主党とかを標榜したのでは損だというので、故意に無所属の看板をかけたりしている。 

マスコミも見識が欠けているから、何とも思わないし、国民大衆も格別に意識は無いようである。 

実は、これは誠に、まことに、おかしな話で、このような考え方、態度というものは、ただ煮えきらぬとか遠慮だとかいう問題ではなく、政治的に卑屈・卑劣なのである。 

政治家として、政治に携わる人間として、信念や識見の無いことを如実に表しておることなのである。 

オポチュニストと同義語が「無所属を名乗る政治屋」なのである。例外は平沼議員くらいであろう。 

社会の風の吹き方を見て、時に自民党、時に民社党と、自己の利益のみを追求する姿勢の連中が無所属である。 

その風も実は、国民の意識と称して、マスメディアが嘘八百に吹きさらしているのである。 

このような、自己利益を追求する連中ばかりが政治に関与するから日本の政治が混迷を深めるのである。 

今日は、自民党か、明日は民主党、かの間を放浪する議員こそ最高に「いい加減な政治屋」であろう。 

その最たるものが、無所属ではないが、「政党渡り歩き稼業」の小沢一郎であろう。
そして、聞く処によれば、政党残存金10億円で個人不動産を保有している、「政治商売屋」なのである。
 

政治的に、無所属などというのは甚だ曖昧でよくない。 

はっきりしなければいけない。 

こういう事が許されて行くと、日本は益々亡国の奈落へと落ちる。 

堂々と自分の所属を明らかにし、幸いに当選すれば、その所属する党を立派にする為に情熱を傾けるというのが正しい在り方であろう。 

要は、国民が明快な見識を持ち政治家を選出しなければならないのである。 

平成20年元旦 

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典