日本、あれやこれや その45
平成20年1月
  

 1日 アインシュタインの言葉 1922年もアインシュタインは日本に来た。日本の文化と、国民性に深く共鳴し「もし私が、日本という国を自分自身の目で見ることの出来るこのチャンスを逃したならば、後悔しても、しきれないというほかはありません」。 更に言った、「近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない。一系の天皇を戴いていることが、今日の日本をあらしめたのである。私は、このような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた」明日に続く。
 2日 アインシュタインの言葉2 「世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。 この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それには、アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを
 3日 日本人の心はそのままで 「日本は技術などの「物」は西洋化させ、「心」は日本人を保持するという、困難で稀有な成功を収めました。

異質な文明は拒否するのが通常であるが、日本人は短期間に西欧の良い所を入れて成功した感想である。 

 4日 宋の帝王の言葉 中国の正史「宋史」の日本伝によると、一千年前の、宋の国王・太宗が日本を羨んで嘆息するという珍しい場面がある。それは、日本の天皇が一系で継承され、臣下もみな世襲していることを聞いたからである。 中国は、分裂・断絶の歴史であるが日本は「世襲して絶えない。これは思うに、古の道である」と云っている。

日本が平和に一系で続いていること程、平和であることの羨望である。
 5日 アインシュタインが語る

「日本の心」
「日本人の素晴らしさは、きちんとした躾や心の優しさにある」、

「日本人は、これまで知りあったどの国の人よりも、うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで、控え目で、知的で、芸術好きで、思いやりがあって非常に感じがよい人たちです」。
「この地球という星の上にも今もなお、こんな優美な芸術的伝統を持ち、あのような素朴さと心の美しさを備えている国民が存在している」。

「この国に特有な感情のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる同情心の強さ」。
 6日 アインシュタインが語る
「この国を愛し、尊敬すべきである」
アインシュタインは続ける、
「日本の風光は美しい。日本の自然を洗っている光はことのほか美しい」

「日本では、自然と人間は、一体化しているように見えます」。

「家屋建築が自然の風光と調和して一種の彫刻のようです」

「日本は絵の国、詩の国であり、謙虚の美徳は、滞在中、最も感銘を受け忘れ難いものとなりました」。
「日本人以外に、これ程純粋な人間の心を持つ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである」と。
 

 7日 五百年前のザビエルの言葉 この国の人々は、今まで発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。 彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉と思っていません。
 8日 民度の高さに驚いたザビエル

ザビエルは日本人が余りにも民度が高く優秀なので驚き賛嘆を繰り返して述べている。ヨーロッパより日本の文化の水準が高いと感じたと思われる。好奇心が強くしつこく質問し知識欲が旺盛。

とても気立てがよく、驚くほど理性に従い、勝れた素質がある。
とても気立てがよく、驚くほど理性に従い、勝れた素質がある。ザビエルが驚いたことは、「大部分の人は読み書きが出来る」ということであった。識字率は自国スペインより高く、インド、中国より遥かに高いことに驚嘆したのである。
 9日 清貧と名誉の日本人 「日本人が清貧を良しとし、名誉を重んじた事が日本人の特徴として特筆している。日本人はキリスト教地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています。それは武士達が、いかに貧しくとも、そして武士以外の人々がどれほど裕 福であっても、大変貧しい武士は金持ちと同じように尊敬されている」。
ザビエルは続ける「名誉は富よりもずっと大切なものとされています」。武士は、名誉を重んじ、お金儲けのような不名誉な行為に走ることがなかった。不正は少なく、民は潤い、よい社会を発見したのである。
10日 チェンバレンの発言 明治維新後、日本に来た英国の言語学者・チェンバレンは言った。「わがキリスト教と人道主義を振りかざす人々が、実は単なる偽善者に過ぎないことを」どの東洋人もその事を知っているので 彼ら日本人も、もう充分によく知っている。
大航海時代、その実、ヨーロッパ諸国の「大侵略時代」であった。東南アジアは多く植民地化され、日本にもその魔の手は伸びてきた。しかし、西欧は、他の民族とは違うものを日本に見て、征服することに困難を感じたのである。
11日 諦めた植民地化 それは、日本では織田信長時代以降であり、欧州では「大航海時代」と美称を使っているが、その実、世界へ植民地争奪戦のことである。 東南アジアはインドも含めてすべて植民地化された。日本だけ、なぜ彼らは出来なかったのか、それは日本人に特質があり、欧米人もそれを認識して日本植民地化は困難と判断したのである。
12日

現に当時のイタリアのイエズス会巡察使・アレツサンドロ・ヴァリニャーノは「日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。

何故なら、日本人は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服可能な国土ではない」と発言した記録が残っている。馬脚を現した発言である。当時のヨーロッパ人はキリスト布教の顔をした侵略を意図したものである。
13日 日本植民地化困難の理由

武士の存在

日本人は名誉心が強く、人に誇りを傷つけられるのなら、死を賭してでも防ぐという武士は、彼らにはとても手強い存在であった。それは、
@進取の気性

種子島に鉄砲が来て、二挺買ったらすぐそれを自らの手で作り上げ、10年の間に日本に普及させた日本人の凄さ。新しいものを取り入れる、気概と明敏さ、伝達網がしっかりしている。進取、自主の欠けた国民が植民地にされている。

14日

A民度の高さ

字の読み書きの出来る人々が多く、理知的で理解が早い。高い道徳性で秩序が高く保たれ、付け入る隙もない。
15日

B上の命令を良く聞き、統率が保たれている。

C地理的条件

日本はヨーロッパから遠く、また東南アジアの植民地かねも距離があり海に囲まれ征服の軍を出すにしても陸続きの兵站の供給が出来ない。勝つのは無理としたのである。
16日 白人は作戦を変更 これらの理由により、単純な征服は手控えたのであろう。そこで白人は作戦の変更をして、まずは宣教、貿易で門戸を開かせて足がかり作り、しか る後に戦争に持ち込むということであった。
江戸時代の指導者は、それを見抜き、
いわゆる「鎖国」政策で対抗したのである。
17日 ヴォルテールは フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは、「習俗試論」の本文最終章は、なぜか、日本に関して記述している。 17世紀の日本とフランスに於けるキリスト教の消滅について」というテーマである。そして次のように述べている。

「日本人は寛大で、気安く、誇り高い、そして、その決断に関しては極端な一民族である。彼らは、最初、異国人たちを好意を以て受け入れた。処が自分たちが侮辱されたと信ずるや、彼らときっぱり縁を切った。」と延べキリスト教の日本壟断の意図に対する日本の英断を称えている。 

18日

ネルーは、

インドの首相ネルーは、この時期の日本に関して次のように述べている。 「むしろ彼らが、ヨーロッパと殆ど交渉が無かったにもかかわらず、宗教という羊の衣をかぶった帝国主義の狼を見破る洞察力を持っていたことこそ、驚くべきことだ」。
19日 江戸時代 このように欧米の恐るべき植民地化のワナから脱した日本は、世界史的にも特筆に価いする長期の平和な江戸時代を構築したのである。 明治とて同様な決断をした祖先ばかりである。現代の日本人は、この我々の祖先の血の滲むような歴史を尊く学び、子々孫々にこの素晴らしい日本を残してゆかねばならぬのである。
20日 モース アメリカの動物学者で、大森貝塚発見者である。日本は明治の開国したばかりで、未開の非文化的な民族くらいに考えていたのであろう。処がとても品性のある高いと道徳性を生まれながらにして持っていることを知り驚いた。その礼儀正しさ、清潔性など日本人には自然である道徳観は世界

から見て驚嘆すべきものであった。日本人のほうが文明であったのだ。
エドワード・シルヴェスター・モースは明治期に来日して大森貝塚を発見したアメリカの動物学者である。彼の日本印象記録の一部をご披露する。「正直、節倹、丁寧、清潔、その他わが国に於いて「キリスト教徒的」とも呼ばれる道徳の全てに関しては、一冊の本を書くことも出来るくらいである」。
 

21日 日本人の美徳 モースはこのように日本人のことを絶賛している。続けて言う「これ等の美徳は多くの史上の偉人が指摘するところです。富める、貧しいに関わりなく、素晴らしい道徳規範を身につけていた日本人に世界の人々は驚き

そして自らの国の不道徳には、逆に恥じ入り愕然というケースがことのほか多いものです。」、
「店を荒開けっぱなしにいて出で行く商店主(モースは誰かに盗られないかと心配する)、机の上に小銭を置いたままにしても召使は一切手に触れない。」
 

22日 盗み皆無に驚嘆 「クリーニングに出す為、コートを持っていった召使は、若干の小銭がポケットに入っていたのに気づき持って来た。」などの体験をし、「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい」と云っている。 「盗み」などの犯罪が皆無であることに驚嘆します。一方、アメリカでは、戸外の寒暖計はねじ釘で壁に止められ、柄杓は噴水に鎖で結びつけられていました。盗難防止のためです。公共の場から石鹸が盗まれるため、卑しいけちな盗みから保護すべく容器を壁に取り付けた液体石鹸なるものが発明されたのだとも言う。  
23日 日本人を信頼 発明王のエジソンは、日本人従業員の岡部青年に対して「自分の子供達は、しょっちゅう自分の周りから金品を勝手に持ち出していくが、この日本の青年はテーブルの上にお金が置いてあっても、手につけることは全く無い」とその真面目さと信頼できる人間性を賛嘆している。 このような「盗み」をしないことは、古くから日本の美点として称えられ、世界の偉人たちは一貫してその点に感心しています。それこそ日本人には逆に不思議に思える。日本では当たり前の行いも外国では素晴らしい賞賛になる。
24日 日本人の自然観 このように、「芸術や天然の美に対して非常に敏感」である日本人。商売や交易についてもこれを好み、「維新からまた僅かな年数しか経っていないのに・・・・ つい先頃まで輸入していた品物も製造しつつある進歩に驚いた」と述べている。

日本人は芸術性を高く持ちつつも、古い慣習に囚われるのでなく、むしろ合理性科学性を尊ぶ考えを持っていました。
25日 「日本人の美的感覚」

芸術性と自然に対する日本人の愛についても感嘆している。「彼ら農夫や人足たちは如何に真面目で、芸術的興味を持ち、そして清潔であったろう!」。日本人ほど、自然のあらゆる形況を愛する国民はいない」

「田舎の旅には楽しみが多いが、戸口の前に綺麗に掃かれた歩道、案内にある物がすべて、こざっぱりしていて、いい趣味を表していること、可愛らしい茶呑茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤、花を生けるためにくり貫いた木質のきのこ、これ等の美しい品物はすべて、当たり前の百姓家にあるのである。」

26日 前からあったボランティア精神 また民衆がお互い手を助け合う姿勢を見て、「手を喜んで「貸す」」というよりも、幾らでも「与える」と言って感心している。 ボランティア精神は、今に始まったことではなく、日本人のもともと持っていた「無償で協力する気持ち」に感動している。
27日

「困った時はお互い様」というべき高尚な精神は古くから随時発揮されていたのである。モースはこのような日本人を見

て、「日本人は遥かに古い文化を持っているのだから、或いは、一定のことをやる方法は、彼らのやり方の方が本当に最善なのかもしれない」と素直に観察している。
28日 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) 私は高校時代の英語の勉強にこのハーンの作品を大変よく読んでいた。彼の言葉がある。「いったい、日本の国では、どうしてこんなに樹木が美しいのだろう。西洋では、梅が咲いても、桜が ほころびても、かくべつ、なんら目を驚かすこともないのに、それが日本だと、まるで美の奇跡になる。その美しさは、いかほど前にそのことを書物で読んだ人でも、じっさいに目のあたりにそれを見たら、あっと口がきけなくなるくらい、あやしく美しいのである。
29日 日本の「自然美に衝撃」 ハーンは日本に来て様々な文物に驚き感嘆した。日本贔屓で日本に傾倒し西欧を「野蛮」とすら言ったのである。特に、その日本の風景、自然の美しさに衝撃を受けた。 木々の美しさについては、「ひょっとしたら、この神ながらの国では、樹木は遠い昔から、この国土のよく培われ、人によくいたわり愛されたので、遂には樹木にも魂が入って、樹木もまた心を入れて、札ごころを現すものだろうか」。
30日 西欧は「野蛮」だと ハーンは日本に来て様々な文物に驚き感嘆した。日本贔屓で日本に傾倒し西欧を「野蛮」とすら言ったのである。特に、その日本の風景、自然の美しさに衝撃を受けた。 木々の美しさについては、「ひょっとしたら、この神ながらの国では、樹木は遠い昔から、この国土のよく培われ、人によくいたわり愛されたので、遂には樹木にも魂が入って、樹木もまた心を入れて、札ごころを現すものだろうか」。
31日 日本みな買いたい しかし買いたいのは、店全部どころかその町や住民全部、いやもっと
「一点の雲なき空にかかっている白妙の富士の山もーー
いや、正直なことを言えば、この日本の国をまるまる全部、手品から出たような樹木も、光りみなぎる大気も、世界中で最も愛すべき四千万の国民も、そういうものを全部ひつくるめた、この日本の国」とまで述べたのである。