年頭所感 「佳」と「清福(せいふく) 

明けましておめでとうございます。

「学問は歴史に極まる」とは荻生徂徠の言葉であります。

この五千年の間に起きた出来事は本質的には既に経験した過去の現象の繰り返しにすぎないそうであります。そこで現在の現象も「どうなるのか」などと余計な雑念や妄想に時間をかけるよりも、真剣に歴史を学べばその答案、或は解決策というものは全部書いてあると安岡正篤先生も言われました。

今年は(つちのと)(うし)の年であります。この干支の意味するものは、私が思うに、 

人々の身辺に激震を与える年であり、今までと違う仕組みが誕生すると、“己丑”は黙示している。

即ち、社会構造は大変化を余儀なく強いられる。既に底流では一変していた流れが浮上し、新しい時代の予感があります。

世界的、国内的大混乱を整理するには、力を駆使するしか無い。理屈や口舌など何の役にも立たないのであります。

六十年を一単位とする仕組みの変化なので、一生の内に体験される人は極めて少ない。従って根幹の変貌を史実で推察するしか無い。

六十年毎に、振り子作用で時代の性格、人間の性格は正反対の方に移動するのではないか。契約社員が失業後直ちに生活保護など昔の人は恥でありしなかった。個人の危機管理として収入の一二割は貯蓄に回して半年から一年は生活しその間に仕事を探すのであります。

私は今日的に言えば、大都会に人口が過剰集中の弊害であり、余っている農地の耕作に余剰人口を回す政策を立てるべきだと思うのであります。 

さて、清福(せいふく)という言葉があります。 

佳いものは何でも佳いが、結局、「佳い人」、「佳い書」そして「佳い山水」の三つであると言われている。

然し、この中で、一番大切で生きていく上で大きな意義を持つのは「佳い人」との「縁」ではないか。

人間が生活する以上、人間との接触を無視して一人では生きてゆけぬ。何かの機会に会った人を大切にして、その中で、自分と価値観や趣味を同じくする人と深く結びつくことは、「人生の華」と言えるのではなかろうか。 

佳い人と会い、会話を楽しみ、一献を共にする時、人は生きていて佳かった、いつまでも頑張ろうという気持ちになるのではないか。

そのような幸せが「清福(せいふく)」と言えるものではないて゜しょうか。 

人間が人生という時の流れを歩むのに、大きな支えとなるのは金銭や財産、あるいは地位や権力であろうか。とどのつまりは決してそれらは精神的に確実なものにならないとの経験知を共有してきたように思うのであります。 

それは本当の地についた喜びや幸福ではない。人間は、人と人の間と書くように、一番支えになるのは人間関係であると断言できるように思う。 

様々な人とのめぐり逢い、出会い、邂逅、即ち「縁」こそが人生の本当の支えであります。

佳い人との縁は、お互いの価値観が合致した時に結びつくことが多い。

常に自己反省に努めて、「心魂の錬成」をしたいものであります。 

最近の日本の世情は、索漠としてきておりますが、住む処が異なっても、志を同じくし結ばれた人々が同志となり、日本の一隅を照らす一灯となって今年も、この清い光を広げたいものであります。

平成21年1月5日                  

徳永圀典