命とは動くことと見つけたり   徳永圀典

人生を凝縮すれば一日の集積である。その一日さえ旅である。朝、目覚める、洗面する、勤行(ごんぎょう)をする、朝食をとる、新聞を読む、ネットを見る、出かける。若い時は出勤し労働がある。一日の間にはいろんな方々と出会う、いろんな現象に遭遇する、喜びも、悲しみも、そして感動もある。夕べとなれば帰宅し団欒があり一日の旅の無事を感謝し就寝する。

私は早朝起床し着替えをしながら毎日思う「さあ今日も旅の始まりだ、元気で今日の旅をしよう!」と。

いろんな生活があるが我々は一日中動き回り、歩きまわり、疲れては休む。臥せるのは疲れたり病気になったりした時のみである。家の中でさえ、動き回る、即ち旅をしている。

いのち

まさに動くことが命であり、旅であり、人生ではなかろうか。大宇宙も、大自然も、人間も、常に変化、即ち動いてやまない。

天地は、時に鳴動し、時に震撼し、時に静寂である。巨大な震撼でこの世も終りかと思うことすらあるが、然るべき時が到れば必ず止む、即ち赴所(きせざるところ)不期天(におもむいててん)一定(いちにさだまる)動於无妄物(むもうにうごくもの)(みな)(しかり)」。

始まりも終りもない無始から無終に至る果てしなき変化の流れ、その流れの中で、生滅する万物は有限の存在。死しては生じ、生じてはまた死ぬ。ある時は(うつ)ろとなり、ある時は満ちる。盛衰を繰り返し一瞬たりとも古い形に(とど)まることはない。(いん)が消えれば、陽が息ぶき、()ちて()け、生滅変化の果てしなき流れ。終ればまた始まり、無限の循環を繰り返す。万物の生々変化は、一瞬一瞬の動きの中で不断に変移し、一刻(いっこく)一息(いっそく)の時間とともに絶えず推移してゆく、だが宇宙に恣意(しい)はない。刻々変化し止むこと無き流れ、人間も又その一つ、己などは芥子(けし)粒ほどの存在。

大自然の本質は「変化」であり、「命の本質は動くこと」と見つけたり!! 生きるとは動く事であり、命とは動くことと喝破す。動く事が命であり、動く事こそ人生である