岫雲斎の「老荘思想雑感」

急に思い立って「老荘」に就いてまとめて感慨をまとめ始めた、書き流しである。果してどのようになるのか。

平成24年1月12日開始

1月12日

生と死、喜怒哀楽、それらは人間にとり尽きせぬ同伴者である。人間の現実世界は当にそれらの渦中であり、否応なしに我々はそれらに苦しみもがいて生きている。

1月13日

その人間、色々な表情を持ち、多様な心の動き持つ。想像できないような人間の多様性ある生き方は当に「万物斉動」。人生は人それぞれが違うが誰もが精一杯に生きているのである。夫々の人間が、自己の人生に責任を持ち、自分の足取りで自己の人生を逞しく生きているのである。

1月14日

荘子にある「()れ宇宙の中に立ち、冬日(とうじつ)()(もう)()夏日(かじつ)蔓ち(かっち)()る。春は耕種(こうしゅ)して形は以て労働するに足り、秋は収斂(しゅうれん)して身は以て休食するに足る。日出でて(はたら)き、日入りて(いこ)う。天地の間に逍遥して心意(しんい)()(とく)す」。

1月15日

宇宙という言葉は「老荘思想」で初めて使われたものらしい。「宇」は無限の空間を意味する。「宙」は無限の時間を意味する。つまり人間は、本来はこの無限の空間と無限の時間とが交わる所に命を与えられて一定時間の自己の人生を生きていくだけの存在である。

1月16日

無限に悠大な宇宙の中に有限の生命を持つ存在であることに、徹底した自覚と認識を持てば人生は安らかに豊かな気持ちで生きることが出来るかもしれない。

1月17日

昼は働き、夜は休む。質素だが、身に合った生活を送る、これがこの宇宙の人間の基本的な在り方であろう。精一杯生きる、平凡であるがそれが人間の本来の姿である筈だ。そこにはこの宇宙の小さな存在としての人間の満足感がある筈だ。

1月18日

それが、どうであろう、地球の資源を食い荒らし、排気ガスを撒き散らして人間は動き回り、贅沢三昧をして、地球を食い潰しそうである。国家自体がそれを先を争っている。挙句は、北極海の氷はあと10年で溶けてしまうらしい。それは海水となり地球の自転で赤道周辺に片寄る、その融水は熱帯熱で蒸発し、大量の雨雲となり地球規模での大豪雨、大洪水、大雪となり人間生活を脅かすようになった。人間の余りものエネルギー資源消費のもたらす深刻な結末である。

1月19日

人間の命は天から与えられたものである。天に対して命を頂いたことを感謝する敬虔な気持ちが本物なら人間は、人類はもっと真摯な態度を宇宙・地球に対して取らなくてはならぬ。それらを忘れ去った人類だが、間違いなく、例外なく終焉が迫る。

1月20日

老荘の死生観
その死、「死が近づいたら、人生の色々な悲しみや苦しみも、喜びも楽しみも、一切忘れて、自分の命を天にお返ししよう」という死生観が老荘の原点なのではあるまいか。「受けて之を喜び、忘れて之を復す」なのである。

1月21日

老荘の道とは何か。
道の道とすべきは常の道にあらず。これが「老子」の第一章である。これが道だと規定できるような道は、恒常不変の真の道ではない、というのである。

1月22日

道をいい始めたのは儒教である。孔子は、「先王の道」、「君子の道」と言う言い方で人間関係の倫理を「道」としている。道とは道筋のことだから、人間生活の道とすれば生活倫理となる。人間社会を秩序立てて平和的に統治する道筋と考えれば政治倫理となる。

1月23日

老子は、「道」の概念を宇宙全体の法則として大きく広げている。儒教の道など本当の道ではないと老子は言うのであろう。

1月24日

儒教は祖先崇拝など人間の霊魂的・精神的なものを重視するが、老荘は、現世的、肉体的な人間を重視しているとも言える。

1月25日

老荘哲学では、人類の果てしない栄枯盛衰の歴史を貫く根源の真理を「道」としているのである。或は、天地・大自然を貫く根源真理も「道」と呼ぶのである。即ち、森羅万象の全てに「道」という根源真理が宿っているということなのである。

1月26日

荘子は、「道はどこにあるか」と問われて次ぎのように答えている。「在らざる所無し。・・・(ろう)()に在り。・・・てい(はい)に在り。・・瓦甓(がへき)に在り。・・屎溺(しにょう)に在り。」(知北遊篇)

1月27日

訳すれば、道が存在しないところはない。ケラ虫の中に在る。瓦の中にも存在している。糞小便の中にも在る。ありとあらゆる所に道は在るのであり、排便だとて根源的な真理の具現であるという。日常生活を離れて別個に道があるのではないとなる。

1月28日

老荘の世界観は独創的であり、道家の哲学と呼ばれている。老荘思想のエッセンスは「道の哲学」である。だが、老子のいう道と、荘子のいう道には違いがある。

1月29日

その違いは、一言で言えば、老子は「道に帰れ」と説く、荘子は「道とともに往け」である。

1月30日

老子の道「物あり混成す。天地に先立ちて生ず。以て天下の母となすべきも吾れその名を知らず。之に(あざな)して道といい、強いて之が名を為して大という。(25)

1月31日

訳。「混沌として一つになった物が天地開闢の以前から存在していた。それは、この世界を生み出す大いなる母とも言えようが私は彼女の名前を知らない。仮に名を「道」としておこう。無理に名づけして大とでも呼ぼうか」。 雄大な発想だ。天地万物の根源として厳とし存在するものを「道」というのである。