「日本人の美的感覚」
モースは、芸術性と自然に対する日本人の愛についても感嘆している。
「彼ら農夫や人足たちは如何に真面目で、芸術的興味を持ち、そして清潔であったろう!」。
「日本人ほど、自然のあらゆる形況を愛する国民はいない」
「田舎の旅には楽しみが多いが、戸口の前に綺麗に掃かれた歩道、案内にある物がすべて、こざっぱりしていて、いい趣味を表していること、可愛らしい茶呑茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤、花を生けるためにくり貫いた木質のきのこ、これ等の美しい品物はすべて、当たり前の百姓家にあるのである。」
このように、「芸術や天然の美に対して非常に敏感」である日本人。
商売や交易についてもこれを好み、「維新からまた僅かな年数しか経っていないのに・・・・つい先頃まで輸入していた品物も製造しつつある進歩に驚いた」と述べている。
日本人は芸術性を高く持ちつつも、古い慣習に囚われるのでなく、むしろ合理性、科学性を尊ぶ考えを持っていました。
また民衆がお互い手を助け合う姿勢を見て、
「手を喜んで「貸す」」というよりも、幾らでも「与える」と言って感心している。
ボランティア精神は、今に始まったことではなく、
日本人のもともと持っていた
「無償で協力する気持ち」、
「困った時はお互い様」
というべき高尚な精神は古くから随時発揮されていたのである。
モースは、このような日本人を見て、「日本人は遥かに古い文化を持っているのだから、或いは、一定のことをやる方法は、彼らのやり方の方が本当に最善なのかもしれない」と素直に観察している。
平成20年1月15日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典