122日 全人格的な学問

 士大夫(したゆう)三日書を読まざれば即ち()()胸中(きょうちゅう)に交わらず。便(すなわ)ち覚ゆ、面目(めんもく)・憎むべく()(げん)・味なきを。

                 宋 黄山谷(こうさんこく)

123日 解説

書は聖賢の書、理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則であります。大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、本当の人間学的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって、循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言語が卑しくなったような気がする---というのであります。

 本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。従ってそれを怠れば自ら面相・言語も卑しくなってくる。それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味も亦そういうところにあるわけであります。          東洋思想十講