命の旅      徳永圀典

気づいた時、人は既に命の旅をしている。その道を人は人生という。宇宙の一生命にすぎない人間の命は滔々たる大宇宙の命の大河の小さな、小さな存在にすぎない。自覚のないままに、この命が与えられ歩いていた人生という旅。

生命(いのち)溢れる若き時は無我夢中にひたすら前を見て歩むのみでこの道の儚なさに気づかない。この“いのち”なるものに気づくのは、限りがあると実感する年齢に達する頃というのは愚かな私だけであろうか。私達は命の旅をしている、終着駅のあるいのちの旅を。

人生は旅 
その旅を人生という。旅とは我が家を出て一時的に他の地に行くことである。されば、今は人生という道を旅しているがやがて命の故郷に辿りつくことになる。十八史略、夏后氏も「生は()なり、死は()なり」と言う。

旅は憂いものつらいもの、頼るものもない旅は人生に似ている。旅は情け、人は心ともいう。人の情けが身にしむのは旅であり、実人生のことでもある。

旅の道ずれ、見知らぬ人が助け合い人情に触れるのは美しく、哀しく、また嬉しいものだ。人生の旅も同じである。旅も人生も疲れてしまうことがある。疲れたら路傍の石に腰かけて暫く休むがいい、人もそう遠くには行くまいから、と言ったのはドストエフスキー、この言葉は青年期から妙に印象深い。

一日も旅

その人生を凝縮すれば一日の集積である。その一日さえ旅である。朝、目覚める、洗面する、勤行(ごんぎょう)をする、朝食をとる、新聞を読む、ネットを見る、出かける。若い時は出勤し労働がある。一日の間にはいろんな方々と出会う、いろんな現象に遭遇する、喜びも、悲しみも、そして感動もある。夕べとなれば帰宅し団欒があり一日の旅の無事を感謝し就寝する。

私は早朝起床し着替えをしながら毎日思う「さあ今日も旅の始まりだ、元気で今日の旅をしよう!」と。

いろんな生活があるが我々は一日中動き回り、歩きまわり、疲れては休む。臥せるのは疲れたり病気になったりした時のみである。家の中でさえ、動き回る、即ち旅をしている。

いのち

まさに動くことが命であり、旅であり、人生ではなかろうか。大宇宙も、大自然も、人間も、常に変化、即ち動いてやまない。

天地は、時に鳴動し、時に震撼し、時に静寂である。巨大な震撼でこの世も終りかと思うことすらあるが、然るべき時が到れば必ず止む、即ち赴所(きせざるところ)不期天(におもむいててん)一定(いちにさだまる)動於无妄物(むもうにうごくもの)(みな)(しかり)」。

始まりも終りもない無始から無終に至る果てしなき変化の流れ、その流れの中で、生滅する万物は有限の存在。死しては生じ、生じてはまた死ぬ。ある時は(うつ)となり、ある時は満ちる。盛衰を繰り返し一瞬たりとも古い形に(とど)まることはない。(いん)が消えれば、陽が息ぶき、()ちては()、生滅変化の果てしなき流れ。終ればまた始まり、無限の循環を繰り返す。万物の生々変化は、一瞬一瞬の動きの中で不断に変移し、一刻(いっこく)一息(いっそく)の時間とともに絶えず推移してゆく、だが宇宙に恣意(しい)はない。刻々変化し止むこと無き流れ、人間も又その一つ、己などは芥子(けし)粒ほどの存在。

大自然の本質は「変化」であり、「命の本質は動くこと」と見つけたり!! 生きるとは動く事であり、命とは動くことと喝破す。動く事が命であり、動く事こそ人生である。

人生の旅は稿をあらためるとして、旅行という旅について語りたい。旅行は感動であり、ふれあいであり、発見である。さしたる趣味もない私は40代となり子供達が大学に行き始めると心して旅行を始めた。当初は日帰り、夜に留守をしない事を原則とした。現役の真っ最中、拠点は宝塚市雲雀丘山手の自宅。計画的に旅行に深く入ったのは銀行退職直前。引退は還暦と同時、それから満25年経過した。知らぬ間に旅行のルールが出来ていた。

私の旅ルール (本格登山-70才前のこと)
@ノンフライト--飛行機は避ける。
Aウイークデイに限る
--暇だから。
B国内に限る
--海外はもういい。
Cローカル線探訪
--未知の発見と伝統探索。
Dフルムーンやジパングを活用
--楽で安い。
E秘湯の露天風呂探索
--開放感とぬるめ。
F宿は直接手配
-ネット研究の確認。
G団体パックは使用しない
--拘束は嫌い。
H自然風物を主とする
---人工には飽きた。
Iケバケバシイ宿を敬遠
---本物を探求。
J鉄道の路線地図を赤く塗る楽しみ。

歌のある風景

旅は感動である、そして、歌も感動である。無理して作らない。人に見せるためではない、メモみたいなものでいい。日本という四季のある美しい国に生まれ、四海に囲まれ、緑濃き山々や水明の河川に育まれた日本。アフガンや中国の殺伐たる風景を思い起こすがいい、緑多きこの国土に生まれ、やがて命の旅の終わりを思う時、心して母なるこの国の凡てを見たいと思ってなにも不思議はない。さあ、どこから旅について語ろうか、先ず神様の衣裳函から語りたい。(続く)