学問は歴史に極まり候

学問は実学であるべき、という荻生徂徠の言葉。

学問のための学問でなく、生かす学問。 

(朱子の『通観(つうかん)網目(あみめ)』)にこれあり候、歴代の人物の評判をよく覚え候て、評判いたし候分にては、悉皆(しっかい)覚え事にて人のうわさばかりに候。

人のうわさをいたし候を学問と存じ候ゆえ、人柄のよき人も学問いたし候えば、人柄悪しくなり候こと多くござ候。  

歴史を学ぶことは、見聞を広め、数千年の昔のことまで一瞬にして学ぶことが出来る。学問は歴史に極まる、とまで徂徠は言い切っている。 

学問は()()長目(ちょうもく)の道と荀子も申し候。

この国にいて見ぬ異国の事をも承り候は、耳に翼できて飛びゆくごとく、今の世に生まれて数千載(せんざい)の昔の事を今日見るごとく存じ候ことは長目(ちょうもく)なりと申す事に候。

されば見聞広く事実に行きわたり候を学問と申す事に候ゆえ、学問は歴史に極まり候。 

−『徂徠先生答問書

荻生 徂徠, 今中 寛司, 奈良本 辰也 荻生徂徠全集〈第1巻〉 (1973年)  

役に立つ実学を推奨した荻生徂徠が「歴史を学ぶこと」を高く評価していることを知り、経営者が歴史を学ぶことの有用さを改めて痛感した。歴史知識は現実に生かすことで、実学となる。