鳥取木鶏研究会 平成23年1月レジメ
よく節する、よく尊敬する
「飲食を節す」。
飲食を節することは健康上にも大切なことであり、修養上にとても必要なことである。某飲暴食、飲食にきたないことくらい健康を害し、徳を傷つけるものはない。
徳川時代の大観相家・水野南北、とても飲食を誡めている。つまみ食いや間食をする女は女房に良くない、特にお母さんは注意せよ。間食やつまみ食いをしない家の娘は必ず「躾」が良い。基本的には飲食はなるべく三度の食事の時にやるのだ。「もったいない」と言いわざわざ食う人がいるが、それこそ食う方が良くないし勿体ない。
「能く尊敬す」
道徳学、倫理学の集約的な言葉と言える。道徳や倫理は、この「尊敬」することを学ぶことである。
宗教や道徳とは何ぞや、人間の徳の根本的なものは「敬」することである。人は敬する心があってこそ進歩向上する。
同時に、「恥じる」ことでもあるが、戦後は「恥」を全く忘れている。
「恥じる」という心があってこそ、「自ら警め」そして「自ら律する」。この「恥じる心」が発展して道徳になる。
「敬する心」が発展して宗教になる。
「恥じる」ということは人間誰でも持っておる筈なのだが、戦後特に近年は消滅した感がある。
人間少し偉くなると、敬する心を知らぬようになる。金ができ、地位ができると、所謂、不敬になってしまう。人を卑しめる、人を侮る。人を見下げる。
よく尊敬する事を知る人間、それの出来る人間、これが我々が目指す在り様であります。
近年は、そのような人間を見なくなった。日本人は劣化した。
岫雲斎