人つくり本義」その五 安岡正篤 講述   「人つくり本義」索引
   人づくり入門  
小学の読み直し 

三樹(さんじゅ) 一年の計は(こく)()うるに()くはなし。十年の計は木を樹うるに如くはなし。終身の計は人を樹うるに如くはなし。菅子・権修
平成23年1月

元旦 下学して上達

明道(めいどう)先生曰く、聖賢の千言(せんげん)万語(まんご)(ただ)(これ)(じん)()に放てる心を()って、之を(つづ)めて反復(はんぷく)身に入れ来たらしめ、自ら()く尋ねて向上し去り、下学(げがく)して上達せんことを欲するなり。

 2日 そのポイントは

聖賢のあらゆる教えは、要するに外へ放り出してしまって外物に支配されている心を掴んで、これを要約して、その抜けてしまった心を自分というものに反らしめ、自分でよく反省し、追及をして、そうして向上してゆく。自分は低きについて学んで、そうして上達してゆく。こういう目的を以て聖賢は千言万語を費しておるのであります。

 3日 三つの原則

我われ人間には三つの原則があります。
第一は自己保存ということ。身体の全機能全器官が自己保存のために出来ておる。

 4日 第二

第二は、種族の維持・発展ということ。腎臓にしても大脳にしても、あらゆる解剖学的全機能がそういう風に出来ている。

 5日 第三

第三は、無限の精神的・心理的向上。人間は他の動物と違って、精神的に心霊的に無限に向上する。所謂上達するように出来ている。これは人間自然の大原則でありますが、近代文明は誤ってこの厳粛な三つの原則のいずれにも背きつつあるのであります。

 6日 文明の危機に到達した原因

文明の危機に到達した原因はここにある。これは今日の科学者や哲学することの出来る学者達の一致して論壇するところであります。要するに人間というものは、自分が自分に反って無限に向上するということが大事であって、これは古学も現代学も、哲学も科学も変わらざる真理であります。

 7日 (がん)()家訓(かくん) (がん)()家訓(かくん)に曰く、人の典籍(てんせき)を借りては皆(すべから)く愛護すべし。先に缺壊(けつかい)あらば、(すなわ)ち為に補治(ほち)せよ。此れ亦士大夫(したゆう)百行(ひゃくぎょう)の一なり。(さい)(よう)(こう)(ろく)・書を読んで未だ()へざれば、急速有りと雖も、必ず巻束(かんそく)整斉(せいせい)を持って然る後()つことを得たり。故に(そん)(ぱい)無し。
 8日

人其の仮るを求むるを(いと)はず。或は()(あん)(ろう)(ぜき)し、部秩(ぶちつ)を分散することあらば、多く童幼婢(どうようひ)(しょう)の為に点汚(てんお)せられ、風雨(ちゅう)()毀傷(きしょう)せらる。実に徳を(みだ)すとなす。吾れ聖人の書を読む(ごと)に未だ(かつ)(しゅく)(けい)して之に対せずんばあらず。其の故紙にても五経の()()及び聖賢の姓名有れば敢て他に用いざるなり。

 9日

顔氏とは顔回ではなくて、南北朝時代の斉の顔之推のことであります。なかなかの教養人で、顔氏家訓という書物を見ても、思想・見識は勿論、文芸といった面から言っても立派なものであります。

10日 人の書物を借りた場合には大事にしなければならない。 借りる前に壊れている所があった時には、これを補修せよ。これは士大夫として行わねばならぬ百行の一である。済陽の済は山東の川の名で、陽は水の場合には北を指し、陰は南、山の場合は反対。済水の北の江禄という名高い読書人は、書を読んで未だ終らぬ時には、どんな急用があっても必ず書を元に巻きかえて(その頃の書物は主に巻物であった)その上で起った。だから書物が損じたり壊れたりすることはなかった。
11日 人間の心得

そこで人は彼に書物を貸すのを、寧ろ貸せば立派になって帰って来るので誰も嫌がらなかった。机上におっぽりだして、あっちこっち散らかすというと、大概幼児や召使いの為に汚されたり、風雨虫鼠に壊されたり傷つけられたりする。実に徳を累するものである。自分は聖人の書物を読む時には、未だ曾って厳粛に敬ってこれに向わなかったことはない。どんな古紙でも五経の言葉や聖賢の姓名があれば、絶対に他に用いるようなことはしたことがない。

12日

これが人間の心得というもので子供でも別に知を増す必要はないのであります。大事なことはそれ以前の本能的直観、或は徳性、そういうものを豊かにすることであります。

13日 読書学問する所以は (がん)()家訓(かくん)に曰く、()れ読書学問する所以(ゆえん)は、本と心を開き、目を明らかにし、(おこない)()からんとすることを欲するのみ。未だ親を養うことを知らざるものには、其の古人の、意に先んじ、顔を()け、声を(やわ)らげ、気を(くだ)し、劬労(くろう)(はばか)らず、以て甘?(かんなん)を致すを()て、(てき)(ぜん)として慙懼(ざんく)し、起って而て之を行わんとすることを欲するなり。
14日 未だ君に(つか)うることを知らざるものには、其の古人の職を守りて侵す無く、()を見て(いのち)を授け、誠諫(せいかん)を忘れずして以て社稷(しゃしょく)を利するを見て、(そく)(ぜん)として(みずか)(おも)ひ、之に(むく)はんと()(よく)せんことを欲するなり。()驕奢(きょうしゃ)なる者には、其の古人(こじん)恭倹(きょうけん)にして用を節し、()以て自ら(やしな)い、礼は教への(もと)たり、敬なるものは身の(もと)なることを()て、()(ぜん)として自失(じしつ)し、(よう)(おさ)め、(こころざし)(おさ)へんことを欲するなり。
15日 ()鄙悋(ひんりん)なる者には、其の古人の、義を貴び財を軽んじ、私を少くし、慾を(すくな)くし、()つるを()み、(まん)(にく)み、(きゅう)?(にぎわ)し、(とぼ)しき(あわれ)むを観て、(たん)(ぜん)として悔い恥じ、積みて()く散ぜんことを欲するなり。()暴悍(ぼうかん)なる者には、其の古人の、心を小にし、己を(しりぞ)け、歯は(やぷ)るるも舌存し、(あか)を含み(しつ)(ぞう)し、賢を尊び衆を()るるを()て、?(てつ)(ぜん)として沮喪(そそう)し、衣に(かち)へざるがごとくならんことを欲するなり。
16日 ()怯懦(きょうだ)なる者には、其の古人の、生に達し、命に(ゆだ)ね、(きょう)()正直(しょうじき)、言を立つ必ず信あり。(さいわい)を求めて(まわ)らざるを観て、勃然(ぼつぜん)奮起し、恐懼(きょうく)すべからざらんことを欲するなり。()を経て以往(いおう)百行(ひゃくぎょう)皆然り。(たと)へ淳なる(あた)はずとも(たい)を去り、(じん)を去り、之を学んで知る所、施して達せざる事無し。世人(せじん)書を読んで()()く之を言うも之を行うこと(あた)はず。武人・俗吏(ぞくり)の共に嗤詆(してい)する所、(まこと)に是れに由るのみ。
17日

又数十巻の書を読むあれば、便(すなわ)ち自ら高大(こうだい)にし、長者(ちょうじゃ)凌忽(りょうこつ)し、同列を軽慢(けいまん)す。人之を()むこと(しゅう)(てき)の如く、之を(にく)むこと()(きょう)の如し。()くの如きは学を以て益を求めて今(かえ)って自ら損ず。学無きに()かざるなり。

18日 シナ人にない心の学問 顔之推の家訓に言う。一体書を読み学問する所以は何かと言えば、もともと本当の心を開き、見る目を明らかにし実践することに活発ならんことを欲するだけのことである。
19日 まだ本当に親を養うことを知らないものには、古の人が、顔の色でちゃんと親の欲する所を見抜き、声を和らげ怒りやすいのをぐっとこらえて、苦労をいとうこともなく、そうして甘くやわらかく良い気持ちにつくすを観て、心にぐっと感じ(おそ)れて、起ってこれを行うようにするのである。
20日 まだ君に仕えることを知らぬものには、古の人がちゃんと職を守って、危きを見ては命懸けでこれを助け、試練を忘れることなく国家を利するを見て、大いに心に悪かったと感じて、自分もこれにならわんことを思わしめるのである。もともと贅沢な人間には、古の人が恭倹で用を節約し、身分の低い貧乏生活を以て自ら養い、礼は教えの本であり、敬なるものは身の基であるという風にしている古人の生活を観て、(おそ)れて呆然自失し、かたちを改めて贅沢せんとする気持ちを抑えんことを欲せしめるのである。
21日 心のけちなるものには、古の人が義を貴んで財物を軽んじ、私をなくし、寡欲で十分に満足するを忌み嫌い、困窮しておるものを賑わし、貧しきものを憐れむのを観て、顔が赤くなって悔いを恥じ、財を積んではよく散ぜんことを欲するのである。
22日 悪に対しては強く、善や人に対しては弱く 暴悍(ぼうかん)なるものには古の人が心を小にし、己れをしりぞけ、歯はかけても舌があればいいんで、歯を丈夫にしてぼりぼり噛む必要はない。つまり口をとんがらせて人と争わず、自分に関しては色々のはずかしめや悩みをしまいこんで、そうして賢を貴び衆を容れるのを観て、心にぎくりとして衣にたえざるが如く、悪に対しては強いが善に対しては、人に対しては弱いという風になってもらいたいのである。
23日

生来、怯懦(きょうだ)なるものには、古の人が生に達し、命に委ねて、強毅正直、言う言葉には必ず信があり、福を求めてくじけることのないのを観て、勃然として奮励し、なにものにも恐れない勇気を出して貰いたいのである。

24日 聖賢の学問の要旨

まあこういうことから始まって、色々の行いはみなそうである。例えば淳なる能はずとも、泰を去り(泰は甚に同じ)、甚だしきを去って、学んで知る所は施して達せざることなし。これが聖賢の学問の要旨である。世人は書を読んでよく言うけれども、これを行うことをしない。武人や俗吏の共に嗤いそしるのもただこれによるだけである。世に学者出でてより有徳を見ず。

25日

又ちょっと数十巻の書を読むと直ぐ自ら偉くなって、長者をしのぎ、同列のものを見下してしまう。そうして人から(しゅう)(てき)の如く、ふくろう鳥の如く憎まれる。これでは学問をして益を求めて、却って反対に自ら(そこな)うのと同じで、学問をして人間を害うならば、寧ろ学問などしない方がよいのである。よし学問がなくとも善人たることを害うものではないのであります。

26日-
27日
自己の本分をつくす

伊川(いせん)先生曰く、(がん)(えん)(おのれ)()ち礼を()むの目を問う。孔子曰く、非礼()ること(なか)れ。非礼聴くこと勿れ。非礼言うこと勿れ。非礼動くこと勿れと。四者(よんしゃ)は身の(よう)なり。中に由って而て外に応ず。外に制するは其の中を養う所以なり。顔淵斯の語を事とす。聖人に進む所以なり。後の聖人を学ぶもの、宜しく服膺(ふくよう)して而て失うことなかるべきなり。()って(しん)して以て自ら(いまし)む。

28日-
31日

其の視箴(ししん)に曰く、心や本と虚。物に応じて(あと)無し。之を操るに要あり。()之が(のり)たり。(へい)・前に交われば、其の中(すなわ)(うつ)る。之を外に制して以て其の内を安んず。己に克って礼を()む。久しうして(すなわ)ち誠なり。
其の聴箴(ちょうしん)に曰く、人秉彜(へいい)あり。天性に(もと)づく。知(あざむ)物化(ぶつか)し、遂に其の正を(うしな)う。卓たる彼の先覚、止まるを知り、定まるあり。邪を(ふさ)いで誠を存す。非礼聴く事勿れ。其の言箴(げんしん)に曰く、人心の動は言に()って以て()ぶ。発するに躁妄(そうもう)を禁ずれば、(うち)(すなわ)静専(せいせん)なり。
(いわ)()枢機(すうき)にして、(かい)(おこ)し好を出し、吉凶(きっきょう)栄辱(えいじょく)()れ其の召く所なるをや。(あなど)るに(やぶ)るれば則ち(たん)、煩わしきに(やぶ)るれば則ち()(おのれ)(ほしいまま)なれば物(さから)う。出づること(もと)れば(きた)ること違う。非法()はず。(つつ)しめや訓辞。
其の動機に曰く、哲人()を知る。之を(おもい)に誠にす。志士(おこない)を励む。之を為に守る。理に(した)へば則ち(ゆたか)なり。欲に従へば()れ危し。造次にも克く(おも)ひ、戦兢(せんきょう)自ら持し、習い性と成れば、聖賢帰を同じうす。