天人一体観 

 西洋の思想学問は、特殊なものを除いて通例、「自然」と「人間」を分けて考えておりました。しかるに東洋の方では、自然と人間を一貫して考えておりまして、別のものとは思っておりません。というよりは、むしろ自然の中から発達してきた最も偉大な貴重な自然が人間であるという考え方、これを東洋では「天人一体観」と申します。これをヨーロッパに戻しますと、例えば、誰も知らぬ者のないアインシュタインを半円とすると、合わせて一円になる他の半円は、タイヤール・ド・シャルダン、1881-1955、だと言われます。古代生物学、地質学等のオーソリティで、東洋研究家でもあります。そしてまた、天主教の司祭でもあります。

 この人など、全く東洋の「天人一体」を、その西洋哲学的立場から唱導しておりまして、「現象としての人間」という名誉もございますが、この人に言わせると、この宇宙の中から地球が造られ、最初は水と水蒸気の雲霧濛々たる時代であった。即ち、atmosphere またhydrosphereであったが、それからだんだん無機物の世界となり、そこから有機物世界が発展してきた。その有機的世界から次第に高等生物、遂に人間というNoosphere 、ノース、Noosと言うのはギリシャ語で、心という意味であります。ノースフィヤー、心の世界、つまり宇宙発展史上に人間を位置せしめておる。自然と人間とを一貫過程においておるわけであります。これは全く東洋流の考え方と一致しております。

 そして人間というのは、そういう進化過程に一番遅れて出てきたものである。非常に早く特殊化した、「えび」とか「かに」とかというものは、進化過程に早く分かれてしまったスペシャリストだが、これに反して大器晩成の最たるものが、まさに人間でありまして、長い生物の進化過程を、悠々と歩んで、一番晩成したもの、こういうものを、ゼネラリストと申します。人間でも、あまり早くスペシャリストになってはいかん。なるべく素朴に、純真に、大器晩成を考えていった方がいいと言うことは、こういう進化過程を見てもわかるのであります。    運命を開く