父母の残してくれたもの

もう、四、五年前であったか、左の奥歯が虫歯で遂に抜歯することとなり決断した。歯科医により抜かれた歯は意外に大きく生々しくて感動、82歳の私は皿の上の自分の歯に手を合わせ「今日まで随分長い間有難うございました」と言いその奥歯に礼をした。吃驚した若い女性歯科技工士がなぜですかと聞いた。私は言った。これは親から頂いたもの、今日まで82年間私の命を支えてくれ大変大変お世話様になりましたから手を合わせてお礼しているのです。さらに言った、これはお父さん、お母さんから貰ったもの、親が手塩にかけて育んでくれたその親の遺体なんですよ、これこそ正真正銘の親の遺体なんですと。若い女性技工士はさらに驚いた風であったが本当に納得、納得の顔つきをしながら神妙に私を見つめていた。              

この私の身体、親から頂いた身体、これが本当の親の遺体なのだと私は思ってきた。亡骸を遺体と一時的に言うが、自分の身体こそ親の遺こしてくれた体そのもの即ち父母の遺体であると私は常々思っている。                 

毎朝、起き抜けに私は約20分、全身の乾布摩擦をしながら、この手、この足、この胸に父母が生きているような思いがし、しみじみと親を思い起こし温もっている。血流が良いと医師から言われている。父や母を偲びつつ、いつくしむ思いで乾布摩擦を繰り返す。亡くなって数十年の両親だが、自分の身体をこすって居る時は必ずこの身体を頂いた両親のことをあれこれ思いだすのが習慣になっている。その両親よりうんと長命を賜っているから余計に肉体を頂いた親のことに思いを馳せるのかもしれない。

     徳永圀典