年初講話 「癸巳(みずのとみ)   徳永圀典 

平成25年、干支は「巳」、「癸巳(みずのとみ)」或は「癸巳(きし)」。文献によると、「(みずのと)」は()であり物事を図る意、測るには原則がなければならぬ。だから、そういう「のり」「みち」の意味にもなる。つまり、癸は物事の筋道を立てることに通じ、筋道が立たぬと混乱、ご破算になることを示すという。

漢字の聖書的存在の北宋時代の「設文」によると癸の古字は「水、四方より地中に流入する形であり、「人の足を(かたど)る」ともある。冬枯れて草木は凋落し、測量に便利であるから手扁をつけて、(はか)るの意味に用い、揆度、揆測などの熟語のように、天地自然人間の法則は、古今一如であるから「揆一」と言い心を一つにして結束することを一揆という。

(み、し)の字は、(こ、き、おのれ) (い、すで、に、のみ)と間違い易い。巳は頭が上つながり訓読みは「み」である。巳は地中の動物、はいだす形で蛇を代表とした。伏在していたものが頭をもたけで外に出て活動開始の象。

そこで、癸巳(みずのとみ)でありますか゛、筋道を立てて現状の鬱屈沈滞した空気、情勢を打ち破るという象になる。悪弊を一掃する気となる。安倍内閣は正にこの卦を実践しそうである。

60年前は昭和28年、講和条約の翌年。その前は明治26年、日英同盟により国際関係の関係実現して安泰。明治27-28年は支那との日清戦争、不気味な符号です。

易は永遠の創造

易の説くところは、人生と自然に行き詰まりというものは無く、永遠の創造、クリエーションであると云うことであります。易学を学ぶということは、我々の存在、生活、そして人生を日々新たにしていく、即ち維新していくということでありまして、よくこれを学べば我々は精神的に行き詰ると言うことはありません。そして興味津々と申しますが、学べば学ぶほど楽しいものでありす。(易と人生哲学)

.運命と宿命

 運命というものを多くの人は、どうにもならない、持って生まれた、決まったものであると云う風に考え勝ちであります。これは前に申しあげましたてように、宿命というものであります。そこで運命とはいかなるものかと申しますと、命とは動いてやまないいもの、天地自然というものは、永久に動いているように、その一部分である人間の生というものも動いてやまない、創造進化していくものであるという意味と、運命はめぐり動くというので運命であります。

                       (易と人生哲学)

運命とは無限の創造

 運命とは、無限の創造であり進化である。「造化」である。だから真の命とは宿命観ではなく、立命観、即ち命には義命、意義がある。「立命観」でなければならない。運命の義を知って、運命をrecreate(再創造)していくことで、これを知らないで、必然的・機械的に縛られる宿命観にとどまるべきではない。 (酔古堂剣掃)