ロータリークラブIGFに於いて
−−鳥取北ロータリークラブ会員として
鳥取地区ロータリークラブIGFパネリストとして発言


古典に関するパネルディスカッションのパネリストとして
平成元年5月28日 

人生の大先輩を前に致しまして若輩の私ごときが、未熟な体験にも拘らず、而も人類の英知でもあります古典に就いて発表することは身の縮む思いでございます。
芦谷分区代理の再三のご命令でやむなく登壇させて頂きます。
このような心境でございますので、皆様に古典についてお話申し上げると言うことではなく、常日頃私が古典について自分自身に言い聞かせていること等を自分なりの考え方を述べて御批判を仰ぎたく存じます。次に私の古典についての原体験と申しますか、古典との出会いそして、恐らくその原体験に誘発されましたでありましょう、その後の私の日常生活での活学方法について発表し本日の私の責任を果たさせて頂きたいと思います。
先ず私が自ら言い聞かせていることでございます。優れた古典は字面だけ読んだだけでは到底わかるものではないと思う事であります。
古典はいずれも血が通い、たくましくしたたかに生きた人間の命の躍動であり時代や社会の違いにより同じ内容でも表現の異なるものもあれば逆に表現は似ていても内容の違うものもございます。従いまして古典は落ち着いた気分で自分の体験と深い思索を通して読まねばとても本当に理解し得ないと思うものであります。
言い換えますと、古典の人と同じく、即ち老子なら老子、孔子なら孔子と同じく血の出るような生き方をしなくては本当に分からないのではないかと思うのであります。
然し乍ら、心の琴線に触れる言葉が如何にみち溢れていいることか、時にうなづき乍ら熱い思いすら覚える事もしばしばございます。
兎も角、私は自分自身に対してでありますが、分かったつもりの表面的な理解や、良く分かっておらぬのに安易なコメントは深く慎みたいと思っておるものでございます。では、どおやって読んでいるかでございますが、私は心で噛み締めながら読むと申しますか、心で読む即ち心読をして自分の内側に目を向ける為に日々接することにしております。
宋時代、黄山谷の言葉に〔士大夫三日書を読まざれば即ち理義胸中に交わらず。便ち覚ゆ、面目憎むべく、語言味なきを〕がございますが、こうしなくてはとても不安な気持ちがするのも事実でございます。
人夫々の読み方があっていいと思うものであります。ただ、その古典はどれも素晴らしくて、人生の年輪を加える毎に古典の味は深まるばかりに思う昨今であります。
噛み締めれば噛み締める程に味がでる。年令と共に思いがけない発見がある。そして、人間の内側に目を向けて自分の真の姿を知るためにも、また、自分自身の分裂を防ぐためにも、今後とも読みたい、もっと時間が欲しいと心から思っております。人間生活の内面に目を向けると人間の本質は昔も今もそれ程に変わらぬものだと共感すら覚えるのであります。
次に私の古典についての原体験を述べて見たいと思います。
終戦の日、私は鳥取一中の二年生で五月より肋膜縁のため休学しておりました。病床にて終戦の詔勅を聞きました。その中に大人の話が耳に入る。ソ連が攻めてくると。その時本能的とも言える恐怖感を私は今でも忘れることが出来ません。一方で中華民国にいた日本の軍隊は陸続と無傷で復員してくる。身近な人も帰国し再会に歓喜する。やがて聞いた事は、悪のカタマリのように言われていた蒋介石総統が〔怨に報いるに徳を以てす〕と言ったと。私はこの壮大なる徳の実践とも申すべき歴史的事実を今尚決して忘れることができません。偉い方だな、立派な方だなと少年時代に心底深く刻みこまれたのであります。
敬することを知ったのだと思っております。後にその言葉の出典は"老子"であると知りました。これが私にとって古典との出会いと申しますか感動的な原体験であります。やがて四〇代の本格的興味へとつながってゆく遠因になったと考えております。
さて、四〇代となり組織の長となり、人間は或いはリーダーたるものはどおあるべきか、多くの部下をもつ者は日々苦心するものであります。
当時、偶々、当代の碩学安岡正篤先生が住友銀行支店長会で一〇回に亙り講義された。それは東洋思想十講−−現在は"人物を修める"と言う本になっております。
人生は実に出会いだと思います。私の人生で最も偉大な人物だと思う方との出会いが安岡正篤先生でありました。私には某病院理事長と肝胆相照らし今尚人生の師として兄事する方があります。その方が安岡正篤先生の四〇年の愛弟子であった。
ある秋の晩、私と3人で、一夕一献、浪速余情の一夜とでも申しますか懇親致しました。思い出す度に懐かしい。
初めて直に接する安岡先生、人には九姿九容があると申しますが、未熟な若造の私に対しても、その風貌姿勢に微塵の気負いなく、和顔愛語、悠々たる人となり。人物の出来た方とはこんなものかと、ぞっこんのめり込む事となる。爾来安岡教学に心酔し先生の著作を一年半かけて写本するなどもしました。今尚酔いの醒めやらぬ思いであります。
大先生との酒杯の献酬も懐かしくその謦咳に接し得たことは私の人生で最高の誇りと喜びであります。
斗酒なお泰然とされて私のために色紙を書いて下さいました。爾来部屋に掲げており朝夕拝している私の宝物であります。
話が横道にそれましたが、私は何故か蒋先生の〔怨に報いるに徳を以てせよ〕が忘れられません。やがて安岡先生の紹介状を得て先程の病院理事長と公賓として台湾に行きました。そして多年の念願叶い蒋先生のご廟に御礼の参拝を致しました。日本人として胸のつかえがおりた思いでありました。
私は学者ではございません、もとより政治に関係ございません。人生修養の書として古典に触れ、人間の深奥を観察し心の養いとし又、出処進退を学びたいと思って参りました。わからなくても何回か読んでいるうちに自分なりに分かる。それでいいのだと思っております。ただ私は安岡先生の仰った〔学問はすべからず活学たるべし〕、即ち実生活と遊離してはならない。心が身体を通じて実践されなければならないと言う事を、中々難しいのですが、深く深く心に言い聞かせております。
私の選んだ語句は、私の努力目標としているもので、私の人知れぬ心術の一端をお示ししたものであります。基本は独り−−独とは心を表すと申します−−独りを慎み心を養うことであると考えるものであります。残念ながら古典を読んでいる時の心と、実際の仕事をしている時の心境の隔たりが中々縮まらないのが悲しく、いつも反省している有様で、少しでも近付けたいと日夜念じておるものであります。
処で、三〇代は男の正念場であり、仕事とか人間関係で苦しむ事が多いのですが、当時如何に多くの先哲の箴言、格言に支えられてきたか計り知れません。当時、心を支えてくれた自分製の古ぼけた三一枚の"日々の栞"を本棚の奥から見つけました。毎朝、一枚読み心に刻んだものであります。私の三〇−四〇代の精神遍歴の軌跡であります。
思い返しますと二〇才過ぎから読書ノートをつけておりまして"紺珠"と名付けたものであります。二〇−三〇代は西欧文物に惹かれておりました。現在は年一回毎の小ノートにまとめまして常にポケットに入れ必ず一日一見、折りに触れて心を打つ言葉を追加したり反省のよすがとしております。
終わりに、国民全体が拝金症のようになっております。孟子の言葉に〔上下こもごも利をとれば国危うし〕とあります。
住友の大先輩、伊庭貞剛が〔君子財を愛す、これをとるに道あり〕と言った事を思い出さずにはおられません。
程伊川は〔学はあくまでも己の為にするにある。その己とは名利の己とちがう〕と言いました。矢張り私ごとき凡人は、日々学び続け、誤ることなきを期するのみと念じるばかりでございます。論語にある〔學ぶに如かざるなり〕と改めて自分言い聞かせておる次第でございます。ご清聴ありがとうございました。

私の好きな格言、箴言

ソレ学ハ通ノタメニアラザルナリ。窮シテ困シマズ憂エテ意衰ザルガタメナリ。禍福終 始ヲ 知ッテ惑ハザルガタメナリ。〔荀子〕
閙時心ヲ練ル。静時心ヲ養ウ。坐時心ヲ守ル。行時心ヲ験ス。言時心ヲ省ス。動時心ヲ 制ス 。〔格言聯壁〕
自ラ処スルコト超然。人ニ処スルコト藹然。有事斬然。無事澄然。得意澹然。失意泰然 。〔 明崔後渠〕
〔慎独〕 (・・・故ニ君子ハ必ズソノ独ヲ慎ムナリ。) 〔呻吟語〕
〔文質彬彬〕 (・・・文質彬彬トシテ然ル後君子ナリ) 〔論語〕
                            以上