風姿花伝D 世阿弥
この本は、どうして若い時に、育児の前に読まなかったのかと、悔やまれてならない書物であった。
平成24年10月
1日 | 世阿弥のこと |
その後、嘉吉元年(1441年)、将軍義教が殺害され義政が8代将軍となりますが、音阿弥のトップ・スターとしての地位は続いた。この音阿弥につながるのが、現在の観世家である。世阿弥がいつどこで亡くなったのかは全く不明。 |
観世家の伝承では嘉吉3年(1443年)のこととされており、それによれば享年81歳であったことになる。おそらく佐渡で最期を迎えたのではないかと言われている。 |
2日 | 少年後期 (17-18歳) |
この時期を世阿弥は、人生最初の難関としている。
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この逆境をどう乗り切るか。世阿弥は、「たとえ人が笑おうと、気にせず、自分の限界の中で無理せずに声を出して稽古し続けよ」と説いている。 |
3日 | 願力を | 「心中には、願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし」 |
だがその時こそ人生の境目であり諦めずに努力する事が後に生きてくると言う。 |
4日 | 少年期の得意 | 「一期の堺ここなりと、生涯かけて、能を捨てぬよ |
少年期の得意が次々と失せてゆく青年期の覚悟と努力が一生を決定する。 |
5日 | 覚悟 | 岫雲斎「17才か18才になれば一生の運命を決定す |
こし、どんな事が |
6日 | 青年期 (24-25歳) |
この頃になると、声変わりも終わり、声も身体も一人前となり、若々しく上手に見えて来る。人々に誉めそやされ、時代の名 |
人を相手にしても、新人の珍しさから勝つことさえある。新しいものは新鮮に映り、それだけで世間にもてはやされる。 |
7日 | あさましきことなり |
この時、名人に勝ったと勘違いし、自分は達人であるかの如く思い込むことを、世阿弥は「あさましきことなり」と、切り捨てる。
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「されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり」。 |
8日 | 時分の花 |
(新人であることの珍しさによる人気を本当の人気と思い込むのは、「真実の花」には程遠い。そんなものはすぐに消えてしまうのだが、それに気付かず、いい気になること程、愚かしき事なし。かかる時こそ、「初心」忘れず、稽古に励むべし。) |
我が「まことの花」を完成する為には「時分の花」が咲き誇る間こそ稽古が必要とする。 |
9日 | 「.時分の花をまことの花と知る心が、真実の花に猶 |
(年来稽古条々。二十四・五より)
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岫雲斎「一時的な成功、物珍しさ、面白さで賞美される仇花に過ぎないものを本物として評価し錯覚を起 |
10日 |
壮年前期
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この年頃は世阿弥が風姿花伝を著した時期と重なる。世阿弥は、この年頃で天下の評判をとらなければ、「まことの花」とは言えないとする。 「上がるは三十四-五までのころ、下がるは四十以来なり」
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上手になるのは、34-35歳まで。40才を過ぎれば、ただ落ちていくのみ。だから、この年頃に、これまでの人生を振り返り、今後の進むべき道を考えることが必要。34?35歳は、自分の生き方、行く末を見極める時期である。 |
11日 | 「若し、此時分に、天下の許されも不足に、名望も |
(年来稽古条々。三十四・五より) 壮年期に頭角を現しえぬ者に真実の花は咲かせ |
岫雲斎「三十代半ばになっても、世間に認められない、 |
12日 |
壮年後期(44-45歳)
「よそ目の花も失するなり」 |
世阿弥の言葉。頂点を極めた者でも衰えが見え始め、観客には「花」があるように見えなくなってくる。この時期でも、まだ花が失せないとしたら、それこそが「まことの花」であるのだ。そうだとしても、この時期は、あまり難しいことをせず、自分の得意とすることをすべきだ、と世阿弥は説く。 |
世阿弥は、「ワキのシテに花をもたせて、自分は少な少なに舞台をつとめよ」ということばを残している。後継者に花をもたせ、自分は一歩退いて舞台をつとめよ、との意で、「我が身を知る心、得たる人の心なるべし」(自分の身を知り、限界を知る人こそ、名人といえる)と説く。うーんと唸ってしまう。 |
13日 | 「此比よりは、能の手立、大方替るべし。たとひ、 |
(年来稽古条々。四十四・五より)
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岫雲斎「44-5歳からは、能の仕様は大いに変化すべきである。例え天下の名人として認められ、能の真髄に到達していたとしても、優秀な助演者を持つ事の強みは芸にゆとりを生じ、身を砕く熱演とは異なる豊かさを生むのである。 |
14日 |
老年期(50歳以上)
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能役者の人生最後の段階である50歳以上の能役者について語る。 『風姿花伝』を書いた時世阿弥は36-37歳であり、この部分は、父である観阿弥のことを書いていると言われる。 |
さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆みな失せて、善悪見どころは少なしとも、花はのこるべし」 |
15日 |
この比よりは大方、せぬならでは手立あるまじ。 |
(年来稽古条々。五十有余) 50を過ぎてからの舞台的成功の秘訣は、大方「芸をしない」という方向を取る以外に致しようもない。
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岫雲斎 「助演者に花を持たせてする方法から「せぬ方法」へ。然し、それは「せずして花たる究極の芸」への志向でもあるのだ。 |
16日 | 芸術の完成 |
続いて世阿弥は、観阿弥の逝去する直前の能について語る。観阿弥は、死の15日前に、駿河の浅間神社で奉納の能を舞う。 「能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり」 |
観阿弥の舞は、あまり動かず、控えめだが、そこにこれまでの芸が残花となって表われている。これが、世阿弥が考えた「芸術の完成」であろう。「老いたりとも、その老木に花が咲く」。これこそ世阿弥の理想の能であり芸であろう。 |
17日 | 老骨に残りし花 |
(年来稽古条々。五十有余) 老の身に残った幽玄な味わいこそ、「まことの花」と言うべきものだ」
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岫雲斎「芸の究極を身につけ悟った者は、芸をせずして芸の極致を感受させるものだ」 |
18日 | 人生の七段階 |
世阿弥の説く7段階の人生は、何らかを失う「衰えの7つの段階」である。少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消える。何かを失いながら人は、人間はその人それぞれの人生を歩んで行く。然し世阿弥は、このプロセスこそ、「失う」と同時に |
何か「新しいもの」を得る試練とした。それが、つまり「初心」である。「初心忘るべからず」は正に至言である。後継者に対し、一生を通じて前向きに挑戦し続けよ、との「世阿弥の真願」であろう。 |
19日 | .似事の人体によりて、浅深あるべきなり。 (物学条々) |
物まねをするにも、似せる対象の人物によって、細部まで似せるのが良いとばかりは言えぬ。 |
岫雲斎 「物まねと雖も、芸は品位が落ちる所まで写してはならぬのだ」 |
20日 | 女懸り、仕立をもて本とす。 (物学条々・女) |
女の風姿は、衣裳や、その着様、身の持ちようなどを以て基本とする。
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岫雲斎「世阿弥の時代、女人への憧れは幽玄無上の美であった。たけた女人の風情は衣裳の着つようにより先ず生まれ出ている」 |
21日 | 老人の立振舞 |
老人の立振舞、老いぬればとて、腰膝を屈め、身を約むれば、花失せて、古様に見ゆるなり。
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岫雲斎 「老体を身に写すとは外形を真似るものではない。老の心の味わいである。若やぎを秘めて「老木に花の咲かんが如し」という気分を感じさせる所にある」。 |
22日 |
能の位上らねば、直面は見られぬ物也。 |
能に於いては、素顔も「面」と考え、その「直面」に能の位の到達度を見たのである。美貌もさる事ながら芸格の深さを顔に鑑賞する方向がみられる。 |
岫雲斎 |
これにて完了とします。 |