佐藤一斎「(げん)志録(しろく)」その五 岫雲斎補注  

わが鳥取木鶏会で言志録四巻を5-6年前に輪読し学んだ。このホームページに記載されないのが不思議だとの声が関西方面からあった。言志禄は、指導者たるべき者の素養として読むべきものとされたものである。言志四録の最後の言志耋録(てつろく)佐藤一斎先生八十歳の著作である。岫雲斎圀典と同年の時である。そこで、思いを新たにして、多分に、愚生の畢生の大長編となるのであろうが、言志四録に大挑戦することを決意した。
平成23530日 岫雲斎圀典


平成23年10月度

 1日 118.    

古今一等の人物
世間第一等の人物と()らんと欲するは、其の志小ならず。余は則ち以て猶お小なりと為す。世間には(せい)(みん)(おお)しと雖も、而も数に限り有り。()の事恐らくは()し難きに非ざらむ。前古(ぜんこ)(すで)に死せし人の如きは、則ち今に幾万倍せり。其の中聖人、賢人、英雄、豪傑、数うるに()うべからず。我れ今日未だ死せざれば、則ち(やや)出頭(しゅっとう)の人に似たれども、而も明日()し死になば、(すなわ)(たちま)ちに古人の?中(ろくちゅう)に入らむ。是に於て我が為したる所を以て、(これ)を古人に(くら)ぶれば、比数するに足る者無し。是れ即ち()ず可し。故に志有る者は、要は(まさ)に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。  岫雲斎

気宇壮大な志を持てということであろう。
世間で名声ある人物になろうとする事は小さくない志である。

だが自分は、まだそれは小さいと申す。
第一等の人物になるのはそう難しいことではあるまい。

過去の死んだ人々は幾万倍もある。その中に聖人、賢人達も無数にいる。
自分はまだ生きているが、人より少しは優れているが明日にも死んでしまえば故人の仲間入りする。
現在、自分のなしたことを古人と比較すれば、比べものにならない。
恥しいものだ。だから、
志ある者は、古今第一等の人物になるんだと自ら期すべきである。

 2日 119.   

己を(たの)むべし

士は当に己れに在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦()べて一己(いっこ)より締造(ていぞう)す。 

岫雲斎  いい言葉じゃ。
男子大丈夫たるものは、己に在るものに拠るべきである。
他人を期待して何が出来るのか。驚天動地の大事業も全て己より創出されるものだ。

 3日 120.   

己を失えば

己れを(うしな)えば(ここ)に人を喪う。人を喪えば斯に物を喪う。 

岫雲斎
己を失い自信が無くなると世間の信用を失う。信用を失うと何もかも失うことになる。

 4日 121
独立自尊

士は独立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附くの念起すべからず。
 

岫雲斎
大丈夫たる者は、他に依存しない。独り立って、自信を以て行動するものである。権力者に媚び、カネ持ちに追従するような考えを起すべきではない。

 5日 122
         
真実の己と仮の己

本然(ほんねん)真己(しんこ)有り。躯殻の()()有り。須らく自ら認め得んことを要すべし。 

岫雲斎
大自然の本質と一致する生来の真の自己がある。また外見上の身体を持つ仮己がある。自己は二つある。真の自己を知ることが肝要なり。

 6日 123

 
(せき)(いん)

人は、少壮の時に(あた)りては、惜陰を知らず。知ると雖も(はなは)だ惜しむには至らず。四十を過ぎて已後(いご)、始めて惜陰を知る。既に知るの時は、精力漸く(もう)せり。故に人の学を為むるには、須らく時に及びて立志勉励するを要すべし。しからざれば則ち百たび悔ゆるとも亦(つい)に益無からむ。 

岫雲斎
人間は若く元気な時は時間を惜しむことを知らない。たとえ知っていたとしても四十歳過ぎて始めて時間を惜しむ事を知るものだ。だがその頃には精力が衰えてきている。だから人間は学問するには若い時に立志し大いに勉励しなくてはならぬ。そうでないと、どんなに悔やんでも無益となる。

 7日 124.   

やむをえざる勢 
その一

雲烟(うかえん)已むを得ざるに(あつま)り、風雨は已むを得ざるに洩れ、雷霆(らいてい)は已むを得ざるに(ふる)う。(ここ)に以て至誠の作用を観るべし。 

岫雲斎
大自然の現象から人間の至誠に就いて思考したもの。雲も風雨も自然の現象の必然の結果である。雷とて同じ現象で已む得ず鳴り響く。人間も已むを得ざる思いの至誠が人を社会を動かす事を示唆したものであろう。

 8日 125.

やむをえざる勢
その二

已む可からざるの勢に動けば、則ち動いて(くく)られず。()ぐ可からざるの(みち)を履めば、則ち履んで危からず。 

岫雲斎
熟考の上に、最善と決断し、旺盛な勢いで実行すれば行詰ることはない。
正道を突き進めば危険は無い。

 9日 126.    

飲食は薬の如し

周官に食医有りて飲食を(つかさど)る。飲食は(すべか)らく()て常用の薬餌(やくじ)と為すべきのみ。「()は精なるを(いと)わず。(かい)(さい)なるを厭わず」とは、則ち是れ製法謹厳の意思なり。()()して?(あい)し、魚の(だい)して肉の(やぶ)るるを(くら)わず。色の悪しきは(くら)わず。臭の悪しきは(くら)わず」とは、即ち是れ薬品精良の意思なり。「肉多しと雖も、()()に勝たしめず」とは、即ち是れ君臣佐使(さし)分量の意思なり。 

岫雲斎

周官と言う書物に食医という官名の事あり。飲食を掌るもの。飲食物は薬と同じと考えるべき。飯は精白でもよいし、(かい)はどんなに細くてもよい、と言う意味は注意して作れの意である。飯の腐って味のおかしいもの、魚の爛れて腐ったものは食べない、色の悪いもの、臭いの悪いものも食べない、これらは薬品をよく吟味する意味と言える。肉は多くとも飯より多くはダメと言う事は昔の調剤法にも適切な指摘があったということか。

(
君臣佐使とは調剤法のこと。君は主成分、臣は補薬、佐は臣を助けるもの、使はそれを補うもの)

10日 127
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聖人無病

聖人は強健にして病無き人の如く、賢人は摂生して病を慎む人の如く、常人(じょうじん)虚羸(きょるい)にして病多き人の如し。 

岫雲斎
聖人は力強く健康、無病の如し。賢人は摂生して病いにかからぬよう気をつけているようだ。普通人は虚弱で病気勝ちのようだ。

11日 128
常に病む人

(つね)に病む者は、其の痛みを覚えず。心恒に病む者も、亦其の痛みを覚えず。 

岫雲斎
中々含蓄ある指摘である。病気を常に持っている人は病に就いて自覚がない、同様に悪心の人は常習的となり良心が麻痺している。

12日 129
待てば晴れる

需は雨天なり。待てば則ち(はれ)る。待たざれば則ち(てん)(じゅ)す。 

岫雲斎
需は雨天を意味する。雨の降る時は、静かな心で待てば晴れる、待たないと濡れてしまう。

13日 130  
急げば失敗
急迫は事を(やぶ)り、寧耐(ねいたい)は事を成す。 

岫雲斎
何事も急いでは事を仕損じる。忍耐強く落ち着いて時の至るのを待てば目的を遂げることが出来る。

14日 131
人間には平等に道理一貫

茫々(ぼうぼう)たる宇宙、此の道は只だ是れ一貫す。人より之を視れば、中国有り。夷狄(いてき)有り。天より之れを視れば、中国無く、夷狄無し。中国に秉彜(へいい)の性有り。中国に惻隠羞悪辞(そくいんしゅうおじ)(じょう)是非(ぜひ)の情有り。夷狄にも亦惻隠羞悪辞譲是非の情有り。中国に父子君臣夫婦長幼朋友の倫有り。天(いずく)んぞその間に厚薄愛憎有らんや。此の道の只だ是れ一貫なる所以なり。但だ漢土の古聖人の此の道を発揮する者、独り先にして又独り精なり。故に其の言語文字、以て人心を興起するに足る。而れども其の実、則ち道は人心に在りて言語文字の能く尽くす所に非ず。若し道は独り漢土の文字に在りと謂わば、則ち試に之を思え・六合の内、同文の域、凡そ幾ばくか有る。而も猶お治乱有り。其の余の(おう)(ぶん)の俗も、亦能く其の性を性として、足らざる所無く。其の倫を倫として、(そな)わらざる所無し。以て其の生を養い、以て其の死を送る。然らば、則ち道()に独り漢土の文字みに在らんや。天果して厚薄愛憎の(こと)なる有りと云わんや。 

岫雲斎
広大なる宇宙には正道が一本貫いている。人間が見れば文明国、野蛮国等あるが天から見ればその区別はない。道徳は文明国、野蛮国共にそれなりのものがある。仁義礼智、父子の情、君臣の忠、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五常も両者に存在している。
天が、ある者には厚く、ある者には薄く、愛とか憎しみの差別は在りえない。天の正道は一本筋が貫いている。中国の古代聖人がこの正道を振起したが他よりも他の時代よりも早くまた詳しいだけだ。聖人達が用いた言語や文字は人間を奮起させた。この正道なるものは人間の心に存在するものであり決して言語や文字では表せない。だから、この正道が中国の文字に在るという説は間違いである。考えてみるがよい、中国と同じ文字を使用する国が幾つあるか知らぬが、それらの国々には治も乱もあり中国と異ならない。横文字の国の人民も道徳を守る気質もあり人間の倫理も備えて生き、そして死んでいる。かくの如く考察すると正道は中国の文字ばかりあるのではない。天は彼我を愛憎差別し厚薄差別するものではない。天の正道は何れの国に於いても一貫しているのだ。

15日 132

死にざま
聖人は死に安んじ、賢人は死を(ぶん)とし、常人は死を畏る。 

岫雲斎
聖人は生死を超越している。だから死に対して心が安らかである。賢人は生者必滅の理を理解している、死は生ある者の必然の理と知っており冷静である。通常の人はひたすら死を畏れている。

16日 133.

聖人に遺訓なし

賢者は没るに臨み、理の当に然るべきを見て以て分と為し、死を畏るることを恥じて死に安んずることを(ねが)う。故に神気乱れず。又遺訓有り、以て聴を(そびや)かすに足る。而して其の聖人に及ばざるも、亦(ここ)に在り。聖人は平生(へいぜい)の言動、一として訓に非ざる無くして、?(ぼっ)するに臨み、未だ必ずしも遺訓を為さず。死生を視ること、真に昼夜の如く、念を()くる所無し。 

岫雲斎
賢者は死を当然のものとし、生者の覚悟の必要なものとした。死を畏れる事を恥じ、安らかな死を希求する。従って精神の混乱もない。遺訓があり傾聴に値いするものがありこれは賢者の聖人に及ばないものである。
聖人の平生の言動は全て教訓であり死ぬ時に特別に改まったものを述べることをしない。
死生がまるで昼夜の如きなのが聖人の死生観である。

17日 134.  

堯舜の訓誥(くんこう)

堯・舜・文王、其の遺す所の典謨(てんぼ)訓誥(くんこう)は、皆以て万世の法と為す可し。何の遺命か之に()かん。成王の()(めい)、曾子の善言に至りては、賢人の分上、自ら当に此くの如くなるべきのみ。()りて疑う。孔子泰山の歌、後人(こうじん)仮託(かたく)して之を為すかを。(だん)(きゅう)の信じがたきは、此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、而も(かぇ)って之が(るい)を為すなり。 

岫雲斎堯・舜・文王が書経に残した教訓は万世に渡る法則であり尊い遺命と云える。
周の成王の臨終の言葉や、曾子の善言は賢人のものであり聖人のそれではない。
それで疑うのだが、孔子の臨終の時に作った泰山の歌が檀弓上篇に掲載されているがそれは信じがたい。後世の人が孔子を尊ぶべきかこつけたもので、この類は他に多く禍を招くものである。

参考。檀弓上篇の孔子の話とは「泰山其れ(くず)れんか、梁木其れ壊せんか。哲人其れ()まんか」。 典謨(てんぼ)訓誥(くんこう) 古代帝王の治国の法則ある書経の篇名。
成王顧名   書経の顧名篇にあり顧名とは臨終の命のこと。

曾子善言  論語の泰伯篇「烏のまさに死なんとするや、その鳴くや哀し。人のまさに死なんとするや、その言や善し。
 

18日 135.  

       
常人(じょうじん)の臨終
常人は平素一善の称すべき無くして、(たまたま)(あつ)きに及び、自ら()たざるを知り遺嘱(いしょく)して乱れず、賢者の(しわざ)の如き者有り。(これ)は則ち死に臨みて一節の取るべきに似たり。然れども一種の死病の証候(しょうこう)、或は然るを致すこと有り。()れ亦知らざる()からず。 

岫雲斎

平生なんらの善行のない市井人が、死を自覚すると立派な遺言をして乱れないのは賢者の如しである。
臨終の場の一つの模範である。

ただ、これは死病の一つの容態としてこうなるのも有る事を知っておくべきである。

19日 136

死に安んずるのは誰か

気節の士、貞烈の婦、其の心激する所有り。敢て死を畏れざるは、死を分とする者の次なり。血気の勇の死を(かろ)んじ、狂惑の()の死を甘んずるは、則ち死を畏るる者より(さが)れり。又(しゃく)(ろう)の徒の如きは、死に処するに(すこぶ)る自得有り。然れども其の学畢竟(ひっきょう)亦死を畏るるよりして来る。独り極大の老人、生気全く尽き、(こう)(ぜん)として病無くして以て終る者は、則ち死に安んずる者と異なる無きのみ。 

岫雲斎
節操もあり気概ある人、強く貞操観念ある女性等が、何かに感激し発奮して死を畏れない、これは自己の死を責任の結果とし受け容れたもので賢者に次ぐ行為である。血気に(はや)り死を軽んじる狂気のように男が簡単に死ぬのは、これは死を畏れるより下劣である。仏教とか道教の信徒、死に対処して平然としているようであるが、それらの学問自体が元々、死を畏れる所から発生しているのだから本当にそうなのか不明である。ひとり、極めて長命の老人が、元気喪失後、無病で忽然と世を去るのは、真に死に安んじた者と異ならない。

20日 137
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死生と変易(へんえき)

生物は、皆な死を畏る。人は其の霊なり。当に死を畏るるの(うち)より、死を畏れざるの理を(えら)び出すべし。吾思う。我が身は天物なり。死生の権は天に在り。当に(したか)いて之を受くべし。我の生るるや、自然にして生る。生るる時未だ(かつ)て喜ぶを知らざるなり。則ち我の死するや、(まさ)に亦自然にして死し、死する時未だ嘗って悲しむを知らざるべきなり。天之れを生じて、天之れを死せしむ。一に天に(まか)すのみ。吾れ何ぞ畏れむ。我が性は則ち天なり。躯殻は則ち天を蔵するの室なり。精気の物と()るや、天此の室に寓せしめ、遊魂の変を為すや。天此の室より離れしむ。死の後は即ち生の前、生の前は即ち死の後にして、而して吾が性の性たる所以の者は、恒に死生の外に在り。吾れ何ぞ()れを畏れむ。()れ昼夜は一理、幽明も一理、始を(たず)ねて終に(かえ)り、死生の説を知る。何ぞ其の易簡(いかん)にして明白なるや。吾人当に此の理を以て自ら省みるべし。 

岫雲斎
生物はみな死を畏れる。人間は万物の霊長だ、死を畏れる中にも、畏れない理由を見出さねばならぬ。私は次ぎの如く思う。身体は天より授けられたものであるから死生の権利は天に在る。故に天の命に従順に従わねばならぬ。我々は自然に生まれておりその時の喜びを知らぬ。我々の死ぬのも自然であるから死ぬ時に悲しむ事を知らぬのが宜しい。天が我々を生み、そして死なせるのだから死生は天に任すべきもので、我々は畏れないでよいのである。我が本性は天から与えられたものである。身体は天が与えた本性を格納する部屋である。精気が形となると、天、則ち本性はこの部屋に住み込み、魂が遊離を始めると天はこの部屋から離れる。死ねば生まれ、生まれると死ぬものであり本性の本性たる所以のものは常に死生の外にあるのだから自分は少しも死を畏れぬ。昼夜には一つの理がある。死生にも一つの理がある。春を始原とすれば必ず冬がある。冬を終りとして始原を尋ねれば必ず春となるが如きが死生である。極めて分かり易いものだ。
我々はこの原理を踏まえて自省すべきである。

21日 138.  
躯殻と性

死を畏るるは、生後の情なり。躯殻有りて而る後に是の情有り。死を畏れざるは生前の性なり。躯殻を離れて而して始めて是の性を見る。
人須らく死を畏れざるの理を死を畏るるの中に自得すべし。
性に復るに(ちか)からむ。
 

岫雲斎
死を畏れるのは生まれた後に生じた感情である。身体があり、その後にこの感情があるわけだ。死を畏れないのは、生まれる前の本性である。身体を離れて始めてこの本性が分かる。人は死を畏れないという理を、死を畏れる中、則ち生後に自得しなくてはならぬ。このようにしてこそ、生前の本性に近づくと云えるのであろう。

22日 139
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亡霊観

亡霊の形を現わすは、往々にして之れ有り。蓋し其の人未だ死せざる時に於て、或は思慕の切に、或は遺恨を極め、気既に凝結して身に(あまね)く、身死すと雖も、而も気の凝結する者散ぜず、()りて或は(たたり)を為し(わざわい)を為す。然れども(あつま)る者は散ぜざるの理無し。(たと)えば、猶お(とう)(げつ)水を器に貯うれば、凍冱(とおご)して氷を成し、器は(こわれ)たると雖も、而も氷は尚存し、(つい)に亦()(じん)せざる能わざるがごとし。 

岫雲斎

幽霊が形を現すことは時にある。その人が生きている時、何か思い込み、強い憤慨があり気が凝縮して身体に広がっておると死んでもその気が散らない。

それが祟りとか災いを起す。
然し、集まったものは必ず散る。冬の凍結した氷は、器が破損しても溶けないが終には溶けるように幽霊もいつかは消える。

幽霊は信じがたいが、集まったものは必ず散るは真理だ。

23日 140
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活きた学問

経を読む時に(あた)りては、(すべか)らく我が遭う所の人情事変を()りて注脚と()すべし。事を処する時に臨みては則ち須らく(さかしま)に聖賢の言語を把りて注脚と做すべし。事理融会(ゆうえ)して、学問は日用を離れざる意思見得(けんとく)するに(ちか)からん。 

岫雲斎

経書を読む時は、自分が体験した人情や事件を参照にして解釈するがよい。
現実の事件処理には、反対に聖人や賢人の言葉を引用し活用するがよい。
このようにすれば実例と理屈が融合して学問は決して日常を離れないものだと納得できる。

24日 141.       

  
読史眼
一部の歴史は、皆形迹(けいせき)を伝うれも、而も情実は或は伝わらず。史を読む者は、須らく形迹に就きて以て情実を(たず)ね出すを要すべし。 

岫雲斎
歴史は、外に現れた跡形のみで、その内部の真相は伝わらないものだ。歴史を学ぶ者はその形跡の隠された真実を探求しなくてはならぬ。

25日 142
 
読書の感想

吾れ書を読むに(あた)り、一たび古昔(こせき)聖賢・豪傑の体魄(たいはく)皆死せるを想えば、則ち(かしら)を俯して感愴(かんそう)し、一たび聖賢・豪傑の精神尚お存するを想えば、則ち(まなこ)を開きて(ふん)(こう)す。 

岫雲斎
自分は書物を読むに際し昔の聖賢や豪傑の体も精神もみな死んでおるのだなと思うと、頭をうなだれ身にしみて悲しい。だが一たび、その聖賢・豪傑の精神はなお活き活きと生存しておると思うと、瞠目し発奮興奮して読書をする。

26日 143
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古往の歴史と今来の世界

古往の歴史は、是れ現世界にして、今来(こんらい)の世界は、是れ活歴史なり。 

岫雲斎
現在は過去の歴史から生まれたもの。これからの歴史は我々が直接に関わる活きた歴史である。

27日 144
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聡明の(おう)(じゅ)

博聞(はくぶん)強記(きょうき)は聡明の(おう)なり。(せい)()入神(にゅうしん)(じゅ)なり。 

岫雲斎
広く諸々の事情に詳しく記憶の強いのは聡明の横軸である。深く物事を詳細に研究して奥義を窮めるのは聡明の縦軸である。

28日 145.
 死に学問
()宿(しゅく)有り好みて書を読む。飲食を除く外、手に巻を()かずして以て老に至れり。人皆篤学(とくがく)と称す。余を以て之を視るに、恐らくは事を()さざらんと。()れは其の心常々(つねづね)()かれて書上に在り。収めて腔子(こうし)(うち)に在らず。人は五官の用、須らく均斉に之れを役すべし。而る渠れは精神をば専ら目に注ぎ、目のみ偏して其の労を受け、而して精神も亦従いてかいす。此くの如きは則ち能く書を視ると雖も、而て決して深造(しんぞう)自得(じとく)すること能わず。便(すなわ)()だ是れ放心のみ。且つ孔門の教えの如きは、終食より造次順沛(ぞうじてんぱい)に至るまで、敢て仁に(たが)わず。(こころみ)に思え、渠れは一生手に巻を()かざれども放心斯くの如し。
能く仁に違わずや否やと。
 

岫雲斎
()宿(しゅく)は老学者。老学者が食事以外は書物から手を放さないくらい読書して老人となる。みな、篤学だという。
自分はこう思う、かかる人は事を成していないと。彼は心(腔子(こうし)(うち))
を本の上に置いて、心の中に置いてない。
人間は五官を均等に使用すべきだ。彼は精神を目ばかりに置いて疲れ精神は曇っている。
こんな事では幾ら読書しても薀蓄を極めて深奥の把握はできない。
心を本の上に放置しているだけだ。孔子の教えは、食事の時間から突発時(
造次順沛(ぞうじてんぱい))まで仁を違えてはならないのだ。

考えてみよ、彼は生涯、本を手から離さないが、心は放ったままである。これは仁に非ず。

29日 146

学者今昔(こんじゃく)
孔門の諸子、或はァァ如(ぎんぎんじょ)たり。或は行行如(ぎょうぎょうじょ)たり。或は侃侃如(かんかんじょ)たり。気象何等(なんら)の剛直明快ぞ。今の学者、終歳(しゅうさい)故紙(こし)陳編(ちんぺん)()(えき)する所と()り、神気(しんき)奄奄(えんえん)として奮わず。一種衰颯(すいさつ)の気象を養成す。
孔門の諸子とは霄壌(しょうじょう)なり。
 

岫雲斎
孔子の門弟は(びん)子のように、温和に論じたり(ァァ(ぎんぎん))、或は()()の如く剛毅であったり(行行(ぎょうぎょう))、或は、(ぜん)(ゆう)()(こう)のように真っ正直(侃侃(かんかん))であったり、なんと気象が明快剛直であったことか。
現在の学者は、年中、古本やほご紙に振り回されて青息吐息、少しも奮わない。哀れな淋しい気分である。孔子の門弟たちとは天地の違いがある。

30日 147伯魚庭(はくぎょてい)に走る 伯魚庭(はくぎょてい)(はし)り、始めて詩礼を聞く。時に年(けだ)(すで)に二十を過ぎぬ。古者子(いにしえはこ)を易えて之を教うれば、則ち伯魚(はくぎょ)は必ず既に従学せり。而るに趨庭(すうてい)の前、未だ詩礼を聞かず。学ぶ所の者何事ぞや。
陳亢(ちんこう)も亦一を問いて三を得るを喜べば、則ち此より前に未だ詩礼を学ばざりしに似たり。
此等の処学者宜しく深く之を思うべし。
 

岫雲斎
孔子の子の伯魚(名は鯉)が庭を走った時、既に20才であったが父の孔子から詩と礼を学ばなければならぬ事を聞いた。昔は、親たちが子供を取り替えて教育したから伯魚は孔子から直接学んでいなかった。だから、詩や礼を学んだかと孔子が聞いたのである。詩や礼を学ばないと、まともな話も世に立つことも難しい時代であった。孔子と伯魚の会話を聞いていた陳亢(ちんこう)は一を聞いて三を得たことを喜んだのは、それ迄に詩や礼を学んでいなかったのである。これらの事は学問をする者は深く考えてみなければならない。(論語李氏篇参照)

31日 148.

「信」三則 その一

信を人に取ること(かた)し。
人は口を信ぜずして()を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。
(ここ)を以て難し。
 

岫雲斎
人の信用を得るのは難しい。
人は口先を信じないで行いを信じる。
否、行いを信じないで心を信じると云えよう。心は見えないから人の信を得るのは難しい。