吾、終に得たり 5.  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。
                         平成25年6月1日

平成25年10月

法句経 二十六品 423

1日 117句

たとえ 悪をなしたりとも ふたたびこれを なすことなかれ 悪のなかに たのしみをもつことなかれ 悪つもりなば 堪えがたき くるしみとならん

万一、悪をなしたとしても、決して二度と悪事をしてはならない。悪事の中に楽しみを見いだしてはならぬ。悪事の積み重ねは苦しみにほかならないからだ。

2日 118句

もしひと よきことをなさば これを また また なすべし よきことをなさず たのしみをもつべし 善根(よきこと)をつむは 幸いなればなり

もし人が善いことをしたら、再びこの善事をしなくてはならぬ。そして善事を続ける欲を起こさねばならぬ。なぜならば、善い行為は楽しみだから。

3日 119句

悪の果実(このみ)いまだ ()れざる(あいだ)は あしきをなせせる人も 幸福(さいわい)を見ることあるべし されで 悪の果実 熟するにいたらば その人ついに 不幸に逢わん 

悪人も自分のなした悪事がまだ熟さない間なら却って善福を見る場合もある。悪事が熟してしまえば禍いあるのみ。

4日 120句

善の果実(このみ)いまだ うれざる間は 善事をなせる人も わざわいを見ることあるべし されで 善の果実 熟するに至らば 善人は幸福(さいわい)を見ん

善人も自らの善事が熟さない間は禍悪に遭遇する。しかし、やがて熟するや彼は幸福に遭遇するであろう。

5日 121句

「その(むくい) よも われには来らざるべし」 かく思いて あしきを(かろ)んずるなかれ 水の(したたり) したたりて 水瓶(かめ)をみたすがごとく 愚かなる人は ついに悪をみたすなり

私にはどんなことがあろうとも悪の報いはないだろう。このように悪を考えてはいけない。一滴、また一滴と水が滴り落ちて終に水がめが満つるように愚かな人は少しづつ悪を満たしてしまう。

6日 122句

「その報 よも われには来らざるべし」 かく思いて 善きことを軽んずるなかれ 水の滴 水瓶をみたすごとく 心ある人は ついに善をみたすなり

私にはどんなことがあろうとも善の報いはないだろう。このように善を考えてはいけない。一滴、また一滴と水が滴り落ちて終に水がめが満つるように心ある人は少しづつ善を満たしてしまう。

7日 123句

財貨(たから)多くして 伴侶(なかま)すくなき(あき)(ゅうど) 危懼(おそれ)ある道を さくるがごとく 長寿(いのち)を望むひとの 毒物(どく)をさくるがごとく かくのごとく あしきことさくべし

多くの財貨を携帯し同伴者の少ない商人が盗難の多い道を避けるように、生命を大事にする人も毒を避ける。このように悪も避けねばならぬ。

 

8日 124句

手に()(きず)なくば その手に 毒を()るべし 瘡なきものを 毒はそこなわず かくのごとく 自己(おのれ)にさわりなきものには 悪もつてに起らず

手に傷がなければ手で毒を採ることが可能だ。毒は傷がなければ毒ではない。同様に悪も悪をしないものには存在しないものである。

9日 125句

(けが)れなきひと (きよ)くして執着(よごれ)なきひと かかるひとを()いなば まこと 風にさからいて 微塵(ちり)をちらすがごとく わざわいかえって おろか人の上にあらん

 

他人を害する心ない人、清らかな執着ない人に逆らうのは、それは逆風に飛ばされた塵のように愚かな自分に帰ってくる。

10日 126句

あらゆるものは()()に生れ あしきをなせる者は 悪処(あしき)にゆき 行いよきものは 福処(よき)にゆき 諸漏(まよい)のつきたるものは 涅槃(さとり)に入るなり

一部の人は母胎に生まれ帰り、悪業をした人は地獄に落ち、善行をした人は天に生まれ、欲望から目覚めた人は精神的自由の悟りを得る。

11日 127句

虚空(そら)にあるも 海にあるも はた 山間(やまはざ)の (あな)に入るも およそ この世に 死の力の およびえぬところはあらず

空にも海にも はたまた山の洞窟に逃げようとも悪事から離れられる場所はこの世には無い。

12日 128句

虚空にあるも 海にあるも はた 山間の 窟に入るも およそ この世に 死の力の およびえぬところはあらず

空にも海にも はたまた山の洞窟に逃げようとも死から離れられる場所はこの世には無い。

13日

第十品

(つる)()

129句

すべてのもの (つる)()を怖れ すべてのもの 死をおそる おのれを よきためしとなし ひとを(そこな)い はた そこなわしむるなかれ

誰でも剣や死を怖れる。だから他人を自分と同様に決して殺してはならぬ。決して傷つけてはならぬ。

14日 130句

刀杖をおそれ 生命ながらうこと これすべてのひとの のぞむところなり されば おのれを よきためしとなして ひとを害い はた そこなわしむるなかれ

どんな人も刀には恐れ生きることを喜び愛している。だから他人をわが身と同様に決して殺してはならぬ、傷つけてはならぬ。

15日 131句

すべてひとは 幸福(たのしみ)を好む されば おのれ自らの たのしみを求むる人 もし(つる)()もて 他人をそこなわば 後世(のち)にたのしみあるなし

幸福を願い求めている人々を杖棒で傷つけるような人は自分がいくら幸せを求めても未来には幸福を得ることは出来ない。

16日 132句

すべての人は 幸福をこのむ されば おのれ自らの たのしみを求むる人 他人を害うことなくば 後世にたのしみをえん

幸福を願い求めている人々を杖棒で傷つけるような事をしない人はやがて未来の幸福を得ることができるであろう。

17日 133句

(そあら)なる ことばをなすなかれ言われたるもの また なんじにかえさん いかりに出づることばは げに くるしみなり (しか)(えし)かならず 汝の身にいたらん

どんな人にも粗雑な言葉を使ってはならぬ そのような言葉を受けた人は荒々しい言葉を返すだろう。怒りの言葉は本当に苦しみだ、その言葉に対する反抗の杖は必ず汝にふりかかってくるだろう。

18日 134句

いかなることばをきくとも なんじ もし (こぼ)れたる鐘のごとく 黙しなば かくて汝に いかりは来らざるべし これすでに 涅槃に(いた)れるなり

どのような言葉を聴こうと、毀れた鐘のように、もし何も言わないでおるならば、既に悟りに到達していると言える。

19日 135句

牧牛者(うしかい)の杖をもちて 牧場に 牛をかりたつるごとく かく 老と死とは 生きとし生けるものの 生命(いのち)をかりたつ

牛飼いが杖で牛を牧場の中に追うように 老いと死とは我らの命をその終末まで追い立てる。

20日 136句

もろもろの あしき業をなすとも おろかの人は ふかくさとらず まこと 智すくなきものは 火にやかるるごとく おのれの業により 自らくるしむなり

愚かな人間は悪い行いをしてもそれを自覚しない。智慧のない人は火に焼かれるように自分の行為に悩まされる。

21日 137句

人もし つるぎなく 反抗(すむかい)せざる人を おのれ(つる)()もて きずつけんには まこと すみやかに つぎなる十種(とくさ)の一つに (おちい)らむ

杖を手にしない人々、他人を害せんとする心のない人々の中で、杖で他人を害するのは次の十種の生活状態の中のどれか一つに墜ちてゆくものだ。

22日 138句

はげしき痛み おとろえ 身のきずつき または 重き病い もしくは 心の狂乱

激しい痛み、痩せ衰える老い

 肉体の損耗や重い病い また精神の狂乱

23日 139句

または 王のわざわい おそるべき(しい)(ごと) 親族(はらから)のほろびと 家財(たから)喪失(うしない) (ひと)(そこな)う人は これらの不幸(わざわい)を受けん

王者からの迫害 厳しい判決 一族の滅亡、財産の喪失

24日 140句

かかる人は また 霹靂(いなずま)のために 家をやかる 智に乏しき人は 身やぶれてのち 悪処(あしき)に生れん

或いはまた火のために家が焼かれる、肉体が滅びても智に劣る人間は地獄に落ちる。

25日 141句

たとえ苦行者 裸行(らぎょう)するも (まげ)()うも はた 身に泥炭(つち)をぬるも 食物(かて)をたち 地に臥すとも 身に塵埃(けがれ)をぬるも (うずく)まりて動かずとも 欲を離れざる衆生(ひと)は きよめらるることなし

苦行に裸でいたとて、頭髪を編んだとて、汚いことをしていたとて、断食したとて、また路地に寝ていたとて、身体に塵埃がまみれていたとて、またうずくまっていたとて、盲目的な欲望から離脱していたい人々を清らかにすることはできない。

26日 142句

たとえその身に 美しき装なり(そう)をつくるとも 行うところ平等(たいらか)に 心しずかに調(ととの)い つつしみ深く 行い(きよ)く (いのち)あるものに 刀つる(かたな)()を加えざるもの 彼こそは()羅門(らもん) 沙門(みちのひと) 比丘(びく)なり

例え身に美しい衣装をまとっていても、平等な心で暮らし、静かであり、慎み深く、勤しみ励み清い生活と行為をしており、また生けるものを殺傷しない人は正に婆羅門でありも修行者であり比丘である。

27日 143句上

自ら(はじ)をもちて おのれを制し ひとのそしりを 意とせざること 良き馬の 鞭を意とせざるがごとき かくのごときのひと この世に多くあらんや

廉恥に富み、他人の批難をあの良馬が鞭を激励と取るように意に介しない人はこの世に少ない。

28日 143句下

まこと 鞭をうけたる 良き馬のごとく なんじら また 専心努力(ぬりき)せよ

この良馬のように、ひたすら努力して熱心になりなさい。

29日 144句

(まこと)により また (いましめい)(はげみ)により また 禅思(しずけき)と (よきこと)決断(とりきめ)により 智と(ぎょう)をかね こころにつつしみあり かかるひと この世の大なる くるしみに打ちかたん

自ら信ずること堅固、道徳を遵守し励み心静寂にし総てを正義により判断する。これらにより理智と行為を兼備して正しい思念を確保すれば人生の大いなる苦難の勝利者となれる。

30日 145句

(かわ)水師(づくり)は げに 水をみちびき ()(づくり)は ()をためなおし 木工(きづくり)は 木を曲げととのう 智あるひとも また おのれをととのうなり

疎水師は水を導き、箭匠は矢をととのえ、木師は木をととのえる。智ある人間は自己をととのえる。

31日 第十一品

老耄(おい)



  146句

この世はつねに 無常(うつりかわり)に支配される 何の笑い 何の歓喜(よろこび)ぞ おん身らはいま 暗黒(やみ)(おお)われたり 何故に (とも)(しび)を求めざる

この世に存在するものは総て焼かれつつある 一体、これを誰が笑い得ようか、どこに喜びなんてあるのか。みんな暗黒に取り囲まれておりながらどうして燈明を求めないのか。