安岡正篤先 「経世と人間学」 その八

平成21年10月度

10月 1日 解説

例え、先例古格によらなくとも、ぴたりと当った政策方法であれば、古人の心を現在用いるというのであるから、即ち先例格となって今日以後の役

に立ちましょう。
悪い旧習の一掃を図らないで金銀を大切にし、一時しのぎのごまかしだけを計ると後日どうにもならぬことが起きます。
10月 2日

大事を行うには悪を罰っして善をあげ、人民から苛酷な税金をとりあげるような政治をやめて、国民の喜ぶ善政を行うことであります。

なさけを施し人を愛するやり方は、上に立つ者の決断の如何によって、ほめられた人は迷ったり、罰せられた人は機会を伺ってその仕返しを図ったりします。
10月 3日

丁度、雨気を催しながら降りそうで降らず、晴れた日のない、梅雨の頃のようで、遂に一藩分裂の大勢になって治めようとしても、治めることが出来ず、政道が地に落ちましょう。

人を活かすのも仁であり、殺すのもまた仁である。どうして女や子供のように慈悲遠慮だけが仁といえましょうか。大政事の根本は決断の二字にあって、この二字が全てを解決します。
10月 4日

実に心憎い、卓見に富んだ文章であります。また実際にこれによって「上の山藩」の大改革に成功しました。昔から各藩の心ある実際家・改革者は皆争ってこれを写したり、回し読みしたりしたと伝えられております。しみじみと読んでみると、本当に見に迫るものを禁じ得ない。

教養と信念の躍動した堂々たる文章であります。会社の幹部として多くの部下をもち、また枢機に参画されている方々には恐らくこの文章は身に響くものがありましょう。また平素考えていたことに対する自信も自から生ずることでありましょう。
(昭和45年10月26日講)

第六講(もっ)(けい)(もく)(びょう)包丁(ほうてい)

10月 5日 変化と多様性 今度は少し趣を変えて、どちらかと申しますと、老荘思想系統に属するものの中から有名な文献を三題選びました。 大変面白い変化に富んだ、多様性のある作品でありますので、皆さんの参考になることが多いと存じます。本文にはいる前に少し解説致します。
10月 6日 単調と単純 日本人はよく英語を使いますが、今申し述べた多様性についても、バラェティとかダイバーシティという言葉をよく使います。これは単調ということの反対の言葉で、単調と単純は違います。 単純というものは、複雑なものを統一して、これを精錬した結果、出来上がるものでありますが、そういう内包性のないものを単調と言います。
10月 7日 複雑と雑駁 また複雑というものは、多様性とも違いまして、内容のない、或は内容があってもそれが雑駁である場合を言います。生命の理法も同じでありまして我々の身体も調和・統一に欠けて複雑・雑駁 になり、これが病的にひどくなると破滅つまり死にいたるわけであります。そこで統一のある多様性というものが大事でありまして、無内容で雑駁であるというのは一番忌むべきことであります。
10月 8日 性急で其の上一本調子の日本人

このころの政治を見ておりますと、非常に単調になってしまって、変化と多様性に乏しくなりました。例えば、中共問題などにしましても、議論が性急で其の上一本調子である為、見識のある思想家や学者が常に顰蹙(ひんしゅく)しておるところであります。

元来、日本人はそういう点がありまして、これは性格の弱点と申してもよろしい。処が、老荘思想には、巧妙にこれらの問題が取り扱われておりますので、その最もよい例として最初に(もっ)(けい)の原典を出しておきました。 

10月 9日

(もっ)(けい)

(もっ)(けい)の話は多分ご承知であろうと思います。これが普及しましたのは何と言っても横綱双葉山がこの(もっ)(けい)に非常に感ずるところがあって終始木鶏の工夫をして遂に空前絶後と云われる力士 になり、六十九連勝を達成いたしました。
最後の七十番目に安芸の海に破れましたが、肉体的に片方の目が見えないというハンディキャップに打ち克って熟達した境地は、この木鶏の修業から得たものであるというので木鶏が大変有名になりました。
10月10日

荘子(そうじ)

しかしその木鶏が何に出ているのかという典拠になりますと、世間の人々は余り知りません。これは荘子学外編の「達生」という章の中にありまして荘子はソウジと読む

読みぐせになっております。これは孔子の弟子の曾子、ソウシという人があって紛らわしい為に、漢学者の間で昔から区別して読んだわけであります。
木鶏 木鶏 木鶏
10月11日 客気(かっき)神気(しんき)

紀せい子(きせいし)が王の命によって、蹴合(しゅうごう)(とり)を飼育しておった。?子という人は闘鶏を養う名人であった。さて十日たって(しばらくあってというほどの意味)、王は彼に「もう、やらせていいか」と尋ねた。すると?子は「まだだめです。からいばりして、むやみにきばってばかりおります」と答えた。

この場合の気というのは発散的なエネルギーのことであって、反対に深い含蓄的なものが神であります。そこで気も客気(かっき)というものから段々練られていくと神気(しんき)になるのです。それがもう一つグロテスクになると、鬼という字をつけて鬼気人に迫るというような言葉を使います。従って、ここでは鶏の体力・気力が真実から程遠い浅いものということです。

10月12日 かさにかかる・・・ そこで暫くして王はまた問うた、「もういいか」。すると「まだです、相手にとらわれています」。また王は「どうかけと尋ねた。 「まだだめです。此奴め!という所があり、かさにかかる所があります。もうしばらくお待ち下さい。
10月13日 鶏に人間を風刺

王「もういいか」。「ぼつぼつよろしい。相手が挑戦しても少しも変わりません。ちょっと見ると木彫りの鶏のようで徳力が充実しております。こうなると他の鶏は恐らく相手になりますまい」。鶏に託して人間を風刺した面白い話であります。注意しておりますと、人間にもこれによく似た人がおります。

から威張りをして独り気負ったり、相手を意識して自分の実力内容よりも、相手のことばかり考えて、どうしたらよいかと策略をたてておる人もあります。また相手をむやみに軽蔑して何ほどのことがあろうかなどという気がまえの人間もあって、修養練達十分の上、相手を別に意識せず、馬鹿にもせず、その上自然で超脱という境地に達した人物は容易に得られるのではありません。
10月14日 できて(○○○)おる(○○)() 相撲は闘鶏のように闘技でありますから、双葉山関が、土俵の上でも、また私生活においても終始かわらず、この修行をしたということは、実に立派なものであります。彼が横綱になりました頃は、本当に人間として木鶏の風格がありました。 淡々とした中に何とも言えぬ落ち着きと充実があって、しかもそれが極めて自然でありました。話をしておりましても思わずできて(○○○)おる(○○)()、と思うことが度々ありました。やはり修行すれば人間もこうなるのだということを痛切に感じました。
10月15日 日本人と漢民族 民族的に申しますと、漢民族は世渡りの上でこういう練達・練熟、向こうの言葉で言うと「(らお)」、この字の通り老成したところがあります。 これに対して日本人は「()」、軽い意味においても悪い意味においても、純でなま(○○)であります。
10月16日 老酒(らおちゅう)」と「生一本(きいっぽん) これは両民族の好個の対照であって、漢民族は好い意味において老練、あるいは老熟ですが、悪くすると老獪(ろうかい)ということになって厄介です。名高い林語堂などは、やはり自分で自分の民族の悪い方の性格の中に、これを入れて英語でrogueと使っています。老獪と訳したら一番当たっておりましょう。 酒でも向うは「老酒(らおちゅう)」、日本は「生一本(きいっぽん)」という。まことに面白い相違であります。人の性格にも、あの人は「生一本(きいっぽん)」だとよく誉める言葉に使いますが、「なま」というと、まだ人間が出来ていないことでありますから、あらゆる点において対照的であります。
10月17日 (ろう)(なま)

文化の面から見ましても、中国の文化を表す文字に「(とう)」という字があります。これには三つの意味があって、その一つは「王道蕩々(おうどうとうとう)」というように非常にスケールが大きいということに使います。次ぎが老練・老熟というねれて(○○○)いる(○○)という意味。そして三番目がとろける(○○○○)という。

どちらかと言えば悪い意味に使います。この「蕩々」に対する言葉が「稜々(りょうりょう)」でありまして、これは「気骨(きこつ)稜々(りょうりょう)」等と言って日本では好んで使う言葉ですが、どちらかと言うと、人を刺激して、こわれやすく、もろい」。つまり、まだ練れてやらない(なま)だということであります。このへんにも中国文化と日本文化との相違が見られます。 

(もく)(びょう) (もく)(びょう) (もく)(びょう)
10月18日

(いつ)(ちょ)

木鶏に対して、これ又大変面白い長文の話でああります。
作者は関宿藩士、丹羽十郎左衛門であります。この人は享保頃の人で号を(いつ)(さい)、又は樗山(ちょざん)と称しました。
(いつ)の字は、安佚(あんいつ)の佚で、世間の人間のようにあくせくしない、のんびりしているという字であります。また樗の字は、明治の有名な高山樗牛の樗の字で、無用の大木、あるいは無用の用という意味があって、佚も樗も多分に老荘的でありますから、老熟趣味がうかがえます。
10月19日 田舎荘子(そうし) 彼は老子・荘子。烈子などを愛読して、日本流の構想にした「田舎荘子」という大変面白い寓話を書いております。 (もく)(びょう)はその田舎荘子の中にある文章ですが、この本は好事家に珍重され、殆ど本屋の店頭では見ることができなくなりました。亡くなられた吉川英治氏もこの本を愛読して自分で印刷して同好の士に配布したこともありました。
10月20日 本文 (しょう)(けん)という剣術者あり。
其家に大なる(ねずみ)出て白昼駈け廻りける。亭主其間を立て切り手飼の猫に執らしめんとす。
彼の鼠、猫のつらへ飛びかかり食付きければ猫声を立てて逃げ去りぬ。此の分にては叶ふまじと
、それより近辺にて逸物(いちぶつ)の名を得たる猫どもをあまた狩りよせ、彼の一間へ追い入れければ、彼は一間へ追い入れければ鼠は床のすみにすまひ居て、猫来れば飛びかかり、食い付き、其気色すさまじく見えければ、猫ども皆尻込みして進まず、亭主腹を立て、自ら木刀をさげ、打ち殺さんと追ひまはしたれど、手元より抜け出て木刀にあたらず。
10月21日

そこら戸障子からんみなどたたきやぶれども鼠は宙を飛んで其早きこと電光をうつるが如し。ややもすれば、亭主の面に飛懸り食付くべき勢いあり。(しょう)(けん)大汗を流し、僕を呼んでいふ、これより六七町先に無類逸物の猫ありと聞く。

かりて来たれとて、即ち人を遣はし、彼の猫をつれよせ見るに、形りかう()にもなく、さのみはきはきとも見えず、それとも先ず追い入れて見よとて、少し戸をあけ、彼の猫を入れければ鼠すくみて動かず。猫何の事もなくのろのろと行き、引きくはへて来りけり。 

10月22日 解説 (しょう)(けん)という剣客の家へ大きな鼠が出て、昼間でも駆け回るので鼠を逃がさないようにしておいて猫をその中へ入れた処、この大鼠・猫の面へととびかかって食いついたので、これではとてもかなわんと、猫が恐れて逃げてしまった。 今度は近所の猫で鼠捕りの上手な奴を数匹かりてきて鼠の入っている部屋の中に入れると鼠は床の隅にかまえて猫が向かっていくと、逆に飛びかかってきて喰いつき、その様が実に恐ろしいので猫どもは皆恐れて後退してしまつた。
10月23日

亭主は剣客ですから、木刀を振り上げて殺さそうと追い回したが鼠は勝軒の手許から逃げまわり、いたずらに戸、障子、唐紙等を破るけれども鼠を叩くことができず、逃げる鼠のすばやいことは電光のようである。その上勝軒の顔に飛びかかり食つきそうになったので、遂に召使を呼んで六七丁

先におる無類の(きょう)(びょう)を借りに行かせた。
召使いが借りてきた猫をみると、大して賢そうでなく、はきはきした処もないが、取り敢えず鼠の部屋の中へ入れてみようと猫を入れると鼠はじっとして動かなくなり猫は悠々と鼠のところへ近づいて簡単にくわえて引き返した。
10月24日 猫会議 「其夜、(くだん)の猫ども彼の家に集り、彼の古猫(こびょう)を座上に(しょう)じ、いづれも前に(ひざまず)き、我等逸物(いつぶつ)の名を呼ばれ、其道に修練し鼠とだに云はば(いたち)(かわうそ)なりとも取りひしがんと爪を()罷在候(こうむりありしそうろう)(ところ)、未だかかる(きょをう)()あること知らず。 御身何の術を以てて容易に是を(うち)(たま)ふ。
願はくば惜むことなく公の妙術を伝へ玉へとて謹んで申しける。
古猫(こびょう)笑って云う、何れもわかき猫達随分達者に働きたまへども、未だ正道の手筋を聞きたまはざること故に思ひの外のことに逢ひて不覚をとりたまふ。
然し乍ら先ず各々の修業の程を(うけたまわ)らんと云う。
10月25日 解説

その後、猫どもが集り、古猫を上に据えて神妙にひざまづき、「我々は平素よく出来たやちだと誉められ鼠をとる練習をして鼠ときくと、鼬・獺の類にいたるまで取ってしまおうと爪を磨いておったがこんなに強い鼠がおろうとは思いませんでした。

あなたはどうして、このように簡単に鼠を取られたのか、どうかその秘術を教えて下さい」と申し出ると、古猫は笑いながら「皆さんは若いから随分元気に働きますが、まだ本当の鼠を取る正しい筋道を存知ないため予想もしになかったことにぶつかって不覚をとるのです。そこで先に皆さんから鼠をとる修業の程を承りましょう」と言う。
10月26日

(うかが)ふ心

「其中に鋭き黒猫一匹進出(すすみい)で、我鼠を取るの家に生まれ、其道に心がけ。七尺の屏風を飛越え、ちひさき穴をくぐり猫子の時より早業(はやわざ)軽業(かるわざ)至らずといふ所なく或は眠りて表裏をくれ(表面にねたふりする意)或は不意に起って(けた)(はり)を走る 鼠と雖捕(いえどもとり)(そん)じたることなし。
然るに、今日思の外なる強鼠に出会ひ一生のおくれを取り心外の至りに侍る。古猫(いう)(ああ)汝の修むる所は所作のみ。故にいまだ(うかが)ふ心あることを免れず。
10月27日 所作 古人の所作を教ゆるは其道筋をしらしめんためなり。故に其所作簡易にして其中に()()を含めり。後世所作を専として()すれば(かく)すると色々の事をこしらへ、巧を極め、古人を不足とし、才覚を用い、はては所作くらべというものになり巧尽

きていかむとすることなし。人の巧を極め才覚を専とする者はみなかくのごとし。才は心の用なりといへども、道にもとづかず巧を専とする時は(いつわり)(たん)となり、(さき)の才覚却って害に在る事おほし。是を以てかへりみ、よくよく工夫すべし。 

10月28日 解説

すばしこそうな黒猫が進み出て「自分は鼠を取ることを仕事とする家に生まれてその練習をつみ、七尺もある高い屏風を飛び越えたり、小さな穴を潜って子猫の時からどんな早業も、どんな軽業もやりました。

また時には、寝た振りをして桁や梁を走る鼠を急に襲って捕らえましたが、失敗したことは一度もありません。
然るに今日は思わぬ強い鼠に出会い、一生の不覚をとり残念でなりません」。
10月29日

すると古猫が「あなたの学んだのは技術だけに過ぎない、だから鼠を取ることだけ考えておるが昔の人が技術を教えたのはその筋道を理解さすためであるから技術の修得は簡単であるが、その中に深い道理があります。処が近頃はその技術だけを取り上げてその技を競争

するようになったので、もう手の施しようがなくなりました」と答えた。人間も利口で気の利く者はちょうどこれと同じであります。才能は心の働きであると言っても筋道から離れて勝手な考えを働かす為、偽となって初めの計画も害になることが多いものですから、よく反省して方法を考えなければなりません。
10月30日 人物 人物の出来た人を見ると、その動作は大変おっとりとして、素直で、自然です。 口数の多い、雑駁で躁がしいというのは、まだ人物が出来ておらぬ証拠とみて宜しい。
10月31日 (よん)()」「四耐」 台湾の蒋介石総統の先輩に曽国藩という立派な政治家がありました。
この人が自分を戒める座右の銘として「(よん)()」をあげてこれを実行しました。

一つは「不激(げきせず)」、興奮しないということ。
二つは「不躁(さわがず)」、ばたばたしないこと。
 

三つは「不競(きそわず)」、くだらぬ人間とくだらぬ競争をしないこと。
四つは「不随(したがわず)」、人の後からのろのろとついていくというようなことをしない。

また、「四耐」、冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐う。と云って自分を戒めています。