鳥取木鶏研究会 10月例会 レジメ 徳永圀典
この卦は、上卦が火で下卦が地であります。晉の卦と言っても分かりませんので、上卦下卦を読んで、火地晉という。こういうふうに固有名詞で覚えますとすぐ卦が浮んできのすから、大変便利であります。
大壮によって始めて進歩がありますから、この晉
はすすむと読むわけであります。人の名前のときは大体すすむとよんでおります。その大象には、君子以自昭明徳―君子以って自ら明徳を昭かにす、とあります。遯から大壮になり晉に至るということは、みずから備えている明徳を発揮し、天下万民を安んずるように努めること、これが本当の晉であるということであります。
ところが、積極的に進歩、行動することは非常に大切なことであるが、同時に非常に警戒を必要とします。そこで易は明夷の卦をおいております。この卦は地が上、火が下、即ち火が地の下に入るということは暗くなるということであります。そこで大象は、用晦而明晦を用いて而して明なり、とうまく表現しております。
火地晉で非常に進みますが、どうかするとそれで失敗する。進むという動作は陽の働きでありますから、必ずそれの裏打ち陰の働きが必要であります。例えば、この卦の形から言ってもわかりますが、火が地の下に入るわけですから夕暮れ、夜になります。私達は、夜になると、昼間の仕事を終わって家に帰る。家に帰って寝てしまっては駄目で、そこで学問するとか、何か楽しむとかしなければなりません。これが明夷であります。
夷・狄・蛮・戎 1
夷は普通えびすと読みますが、つねという意味もあります。元来、大の字の中に弓の字を入れた文字であります。これは弓を張って仁王立ちになっておるという文字であります。中国人―中華人は、自分を中華と称して自尊心を持っております。
そして、北の方を北狄、?―けものへんに火という字を使い、南の方は南蛮、これは虫という字を使っております。又、西の方は、この二つより、ややよいとされる西戎、これはチベットとかトルコとかウイグルという地域です。この地方の住民は、馬に乗ること、弓を射ることが大変上手でありまして、中華人は歴史的にも随分これに悩まさされてきたわけです。又、この戎の字は、手に武器を持っておるという字でありますから、如何に西方の異民族から侵略を受けて苦しんだかということがこの文字でもわかります。
夷・狄・蛮・戎
2
処が、東の方には、一番尊敬する言葉を当てはめ、東夷と言いました。これは主として山東地方であります。現在もそうでありますが、中国の地理、歴史を学びますと、中華人は、北狄、南蛮、西戎よりも東夷を一番怖がり、又従って尊敬しておりました。
山東人は非常に武勇にすぐれ、斉魯という言葉があるように、斉がその代表でありまして、桓公とか名宰相の管仲などが出ました。
夷の真意
我が国の荻生徂徠が東夷徂徠と称したというので、漢学者はみな中国を崇拝して日本を軽蔑している、と文句を言いますが、これは間違いで、徂徠は自慢で東夷と言っておるのであります。中国人は文の民で武に弱い。処が山東人は皆武勇であり、立派である。日本も中国から東に位置して武勇の国民である。そこで徂徠は自ら東夷と称して、文弱の民に非ず、東方武勇の民であるという自慢の言葉であります。
それをよく説明しないものだから誤解され、攻撃されておりますが、徂徠にとつては甚だ迷惑なことであります。一寸、皮肉な人ですから、そう言われると恐らく「こいつ、無学だなあ」と思って笑うだろうと思います。夷という字は、このように武勇を表す文字で敵を平らげるという意味があります。従って平和という意味もあります。昼働いて、夜になるとあかりをつけて勉強をする、これが本当の明夷の意味であります。
昼働き、夜明かりをつけて勉強をすると、そその熱意に始めて人が敬服します。これが家人の卦であります。そこで家人の卦の大象によりますと、君子以言有物、而行有恒−君子以って言に物有り、行に恒有り、とありまして、晉から明夷、即ち昼夜を通じて正しい生活をしたので、家人が敬服するのであります。大象のー言に物有り、というこの物の解釈に随分昔から学者が苦しみました。処が音を調べて始めてわかったのですが、同音の場合には色々の文字を仮借と言って仮に使っております。
そこで物をさかのぼって調べてみますと、音も意味も法と同じであります。つまり物有りは、言に法有り、ということだと考古学的研究、説文学的研究によってはっきり認識することができました。晉から明夷と、このように修行、修養してまいりますと、でたらめなことは言えない。何故かというと、それにはちゃんと法がある。そして行動も、行きあたりばったりと欲望や感覚のままに動くのではなく、そこに一つの恒、即ち不変のものをもつ、これが家庭生活の原則であるということであります。従って家人の卦を玩味しますと、私達の家庭生活と、それから応用する集団生活、つまり一つの会社、一つの役所の中の共同生活も皆家人の卦でありまして、大変よい卦であります。
家人は、親しい集まりでありますから、そこには厳とした法則がなければなりません。そうでないと融和も欠き、永続もしません。処が家人の次に?の卦をおいております。?という字は、目くじら立てる、にらみ合うという文字であります。従って背くという意味になります。兎角、人間は家庭でもそうですが、まして組織や団体となりますとも仲が悪くなり易く、睨み合い、いがみ合います。これが?であります。
この卦は上下とも女性の卦でありまして、女というものは兎角一つの家に入って数人おると睨み合う、嫁と姑のように目に角立てやすい、それではいけませんので大象には、君子以同而異―君子同を以て而して異なる、とありまして、これは、あらわれる所は異なるが、その根本、或いは本態において同和しなければならない、ということであります。つまり、家庭とか親戚、朋友の交わりに、よくありがちな仲違はよくない、仲良くしなければならないと、実によく教えている卦であります。
一度睨み合いをすると、仲なおりするのに、なかなか時間がかかり、うまくいかないというのが蹇の卦であります。上が水、水は坎と言って悩みを表します。家人の卦から蹇の卦となると兎角スムースにいきません。そこで蹇の字には、いざりという意味があり歩行困難であります。つまりうまくいかないからそれをどうすればよいかという事をこの卦は教えております。
そこで大象を見ますと、君子反身修徳−君子身に反って徳を修む、とありまして、睨み合いから始まって、ことごとにうまくいかないような時には、腹を立てていてもどうにもならない。その解決法は、我が身に反って徳を修めることだと教えます。うまく足並みが揃わない、ということは、家庭ばかりでなく、会社でも役所でも同じであります。社員、重役が夫々歩調が揃わず、びっこになり、人間同志の悩みが起こるというのがこの蹇であります。これは反身修徳より他に解決方法がありません。