徳永圀典の隔日「論語」平成19年10月
公冶長第五
古今人物の賢愚得失を語るの章。
1日 | 子貢曰く、孔文子は何を以て之を文と謂うや。子曰く、敏にして学を好み、下問を恥じず、是を以て之を文と謂うなり。 |
子貢問曰。孔文子何以謂之文也。子曰。敏而好学不恥下問。是以謂之文也。 |
孔文子の名は孔、行いは良くないが人の善や言葉を公平に見た人。 知らぬ事は知らぬと学を好んだ、故に没道義人であったが文子と言われた |
3日 | 子、子産を謂う。君子の道四有り。其の己を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義。 |
子謂子産。有君子之道四焉。其行已也恭。其事上也敬。其養民也恵。其使民也義。 |
子産、名は公孫、君子の四道に合格していた即ち、自分の行いはあくまで恭謙、上には尊敬と礼、人民には恩恵と公平である。 |
5日 | 子曰く、晏平仲善く人と交わる。久しくして之を敬す。 |
子曰。晏平仲善與人交。久而敬之。 |
晏平仲は交友上、狎れることなし、常に恭謙で人に接した。交際が長くなっても愈々敬意で接した。 |
7日 | 子曰く、臧文仲、蔡を居く、節を山にし、?を藻にす。何如ぞ其れ知ならん。 |
子曰。臧文仲居蔡。山節藻?。何如其知也。 |
臧文仲は天子の宗廟に使うものを自分の家に使用した、これは礼を犯すものだ。 |
9日 | 子張問うて曰く、令尹子文三たび仕えて令尹と為れども喜ぶ色無し。 | 子問曰。令尹子文三仕為令尹。無喜色。三已之無喜色。 | 令尹は官名、子張は問う、子文子は三度も令尹をされたが喜ばれない。 |
11日 | 旧令尹の政必ず以て新令尹に告ぐ。何如。子曰く、忠なり。曰く仁なりや。曰く、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。 | 三己之無チ色。旧令尹之政必以告新令尹。何如。子曰。忠矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。 | 子文は忠、文子は清の善あり、だが未だ仁の徳を備えていない。忠と清をよくしても仁の徳を備えていない |
13日 | 崔子、斉の君を殺す。陳文子、馬十乗有り、棄てて之を違る。他邦に至りて則ち曰く、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。 | 崔子殺斉君。陳文子有馬十乗。棄而違之。至於邦。則曰。猶吾大夫崔子也。違之。 | 崔子は君主を殺害、その家が富み田地あるも悪人と同列するを恥じ、これを棄て斉の国を去った。 |
15日 | 一邦に至りて則ち又曰く、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。何如。子曰く、清なり。曰く、仁なりや。曰く、未だ知らず、焉ぞ仁なるを得ん |
之一邦。則又曰。猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰。清矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。 |
他国に行くがその国の太夫も権力を恣にし君主を侮蔑している、またその国を去る。孔子は、身を清く去るは可なり、だが、この一善事だけではまだ仁とは言えぬ。 |
17日 | 季文子、三たび思いて而る後に行う。子、之を聞きて曰く、再びせば斯れ可なり。 |
季文子三思而後行。子聞之曰。再斯可矣。 |
季文子はしばしば考えて事を行った。孔子は之を聞かれて、よき程でよかろうと言われた。 |
19日 | 子曰く、寧武子、邦に道有るときは則ち知なり。邦に道無きときは則ち愚なり。其の知は及ぶべきなり。其の愚は及ぶべからざるなり。 |
子曰。寧武子。邦有道則知。邦無道則愚。其知可及也。其愚不可及也。 |
国に道が行われておれば知が働き、逆なる時は愚かしきこととなる。無道の世に才知を持ちながら愚人のように振舞うことは出来ないと孔子は言われた。 |
21日 | 子、陳に在りて曰く、帰らんか、帰らんか。吾が党の小子、狂簡斐然として章を成す。之を裁する所以を知らざるなり。 |
子在陳曰。帰與與。吾党之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之也。 |
孔子が道の現世に行わんとし諸国を周遊されたが、到底道の行われぬを見て断念。織物も程よい裁断で美しい衣服を得るように、善導教育すればわが道を後世にて伝えられると故国に帰ると言われた。 |
23日 | 子曰く、伯夷、叔斎は旧悪を念わず。怨是を以て希なり。 |
子曰。伯夷、叔斎不念旧悪。怨是用希。 |
伯夷、叔斎は悪人を断罪されず、汚されたと感じて黙って去られた。これは聖の清だといわれた。 |
25日 | 子曰く、敦か微生高を直なりと謂うや。或ひと醯を乞う。諸を其の隣に乞うて之を與う。 |
子曰。敦謂微生高直。或乞醯焉。乞諸而與之。 |
微生高を直とは言わぬ、自分の家に酢がなく隣家で借りて与えた、これは直とは言わぬ。無いなら無いというべしと。 |
27日 | 子曰く、巧言令色、足恭なるは左丘明之を恥ず、丘も亦之を恥ず。怨を匿して其の人を友とするは、左丘明之を恥ず、丘も亦之を恥ず。 |
子曰。巧言令色、足恭。左丘明恥之。丘亦恥之。匿怨而友其人左丘明恥之。丘亦恥之。 |
巧言令色も足恭、則ち体全体で媚びるのは心あるものの恥ずべきもの。 怨みがあるのに隠して友人とするのは左丘明のような識者も恥じた。私もそうであると孔子は云われた。 |
29日 | 顔淵、季路侍す。子曰く、盍ぞ各々爾の志を言わざる。子路曰く、願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を弊りても憾むこと無からん。顔淵曰く、善に伐ること無く、労を施すこと無からん。子路曰く、願わくは子の志を聞かん。子曰く、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。 |
顔淵季路侍。子曰。盍各言爾志。子路曰。願車馬衣軽裘。與朋友共。弊之而無憾。顔淵曰。願無伐善。無於労。子路曰。願聞子之志。子曰。老者安之。朋友信之。少者懐之。 |
孔子が二人に向かい各々自己の志を述べよといわれた。 子路「善き友は一つの車に二人乗り一匹の馬に二人跨り絹布や毛皮の美服一枚を二枚に裂いて着、それを少しも愛惜しないようなものだ」、顔淵は「自分は他人に善をしても誇らず、自分の労を厭わず他人に押し付けない」と。 孔子は「老人に対しては安心を与え楽にこの世を過させたい、朋友は信じて交際を全うしたい、少年はこれを愛して懐け善導したい」と。 |
31日 | 子曰く、已んぬるかな。吾未だ能く其の過を見て内に自ら訟むる見ざるなり。 |
子曰。已矣乎。吾未見能見其過而内訟者也。 |
自分を省みて恥じない人を嘆き、やんぬるかな、と云われた。やんぬるかなとは絶望の嘆息詞である。 |
追加 | 子曰く、十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり。 |
子曰。十室之邑。必有忠信如丘者焉。不如丘之好学也。 |
学問の貴ぶべきことを言い勉励された。僅か十戸ばかりの小村でも忠に信なる者はいる。だが自分に絶えざる向上心がないから偉大な人物ができぬ。人はいかに信義を守り忠良でも消極的に守るだけでは進歩発展はない、常に修養を怠らぬ者が大人物となる。 |