運命は「食べ物」に在り

1日

江戸時代の大人相見・水野南北は、百発百中の人相見であった。万人に1人の誤りも無かったという。 江戸時代の碩学・佐藤一斎も、「大薬、小薬」を説いており、人間は日常の飲食次第だという。この水野南北は、それを実証的に観察して結論を得ている

2日

水野南北は江戸時代の中頃、京都に住みも聖徳太子を教祖として学びさらに神道、儒教、仏教の三道を深く研究した。

3日

尚、三年間、散髪屋の小僧となり、頭の相を研究、次の三年間、風呂屋の三助をして、体の相を研究した。次ぎは、火葬場の(おん)(ぼう)をして、死者の骨相を徹底的に窮めるなど、東西の相法を研究するのみでなく、実地に就いても深く研究し、百発百中当らざる無しと云われた人物である。古今東西、類を見ない人相の権威であり、門弟600余人と称せられた。

4日

著書に、南北相法全十巻、神相全編理解燕山相法理解、相法対易弁論麒麟の巻、鳳凰の巻、草木の伝、南北相法修身録、君臣諸侯伝などの極意書がある。

5日

さて、「水野南北 開運極意」、万人に1人も誤りもなし、を披露する。
私は長年、ずっと人の人相を占ってきたが、ただ人相のみで判断すると、金ができ出世し長生きをする相の人で、貧乏で若死にをする人があり、貧乏で若死にをする相の人が、実際では金ができ、出世をし長生きをする人があって、中々当らぬことが多く残念に思っていた。

6日

処が、或る時、ふと、食べ物が大事では、と気づき、人の運、不運、寿命は、みな、食べ物、飲み物を、慎むか、慎まないかによって決まるのではあるまいかと、試して見た処、一年前には大難が来るようになっていた人が、断然飲み食いを慎んだため、大難を免れただけでなく、却って良いことがあり、生涯貧乏である相の人が、飲食を慎んだ為、相応の富貴を得て、今は大変出世している人があり、前々から病弱短命と判断していた人が、毎日飲食を慎んだ為、心身共健康で、長生きしている人が少なくなく、こんな例を挙げると数え切れない程である。

7日

それからは、人を占うのに、先ず、その人の飲食の様子を聞いて、それによって、一生涯の運、不運を判断した処、万人に一人の失敗も無いことが分かり、人の運命は全く飲食一つであると確信し、これを私の相法の極意と定めた

8日

そして、これを人に勧めるだけでなく、私自身が率先して実行し、一生涯、少しも米を食べず、唯、麦を一日、一合五勺だけとし、酒は大好物だが、これも一日一合と定めた。これは唯、自分のためばかりではなく、みんなが一日も早く飲食を慎しんで、開運幸福長寿を得られるように切望してやまないからであった。

9日 人間一生の吉凶は、みな只その人の飲食による。
恐ろべきは飲食である。慎むべきは飲食である。
10日 飲食が分限(もちまえ)より少ない人は、人相が悪くても吉であり、相応の福分(しあわせ)を得、長生きし晩年幸福である
11日 飲食が分限より多い人は、 例え、人相が良くても何事も順調に行かず、手遅ればかりで、生涯気苦労が絶えず、晩年不仕合(ふしあわせ)である。
12日 小食で、厳しく定めている人は、例え貧乏して、悪い人相であっても、相応の幸せがあり、長生きして何事も大抵不自由することなく、晩年幸せであり、ひ弱そうに見えても病気をすることがない。
13日 大食であって、その上、量も時間も決まっていない人は問題外で、一生涯、運は良くならず、遂に家庭を壊し、病気になる。
14日 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり、少なかったりすると、収入もまた多かったり、少なかったりする。飲食が一定していて変化がないと、収入も一定して変化がなく、ただ食事を一定して厳重に守るのが良い。
15日 寿命の長い短いは、ただ人相だけでは定めにくく、平常の食事の量を調べて占うと、万人に一人の失敗もない。
16日 病気のない吉相の人であっても、若い時から毎日、贅沢な食事の人は、年をとって胃腸の病気になる。
17日 毎日、仕事に精を出すだけでは、立身出世するものではなく、一所懸命、倹約して、大食を慎み、少しでも天から頂いている食物を延し、これを基礎として立身出世を計るより他はない。飲食に贅沢三昧をし、したい放題をして、立身出世を望むのは大馬鹿者だ。返す返すも飲食を慎しむことが第一です。
18日 厄年に大難の相があっても、いつも奢った食事をせず、厳重に定めている人は厄を免れる。
19日 酒や肉を多く食して肥え太った人は、一生涯、出世発展することがなく、慎しまないと晩年不仕合である。
20日 自分が後々、立身出世しようと思うならば、先ず第一に食を減らして厳重に定めること。これが出来る人は必ず立身出世をし、出来ない人は生涯立身出世の見込みがない。
21日 繁盛している家の運が尽きて潰れようとしておっても、もし後継ぎの主人がその食を減らして厳重に守ると、収入が自然に延び、家運は栄える。
22日 例え貧乏で苦労の多い人相でも、自分自身で、貧乏人らしく粗末な物を食べ、これを厳重に守り抜く時は、自然に貧しさから抜け出して相応の財産が出来る。これを自福自得という。
23日 普通、「気が強い」というのは、ただ強気一方で、がむしゃらに非道を押し切ってするのを言う。酒や肉をたらふく飲み、たらふく食べて、いかにも元気そうにみえを張るのは本来、天理に背くもので長くは続かない。慎しみがあって、そうして身を立てる人であってこそ始めて、いついつまでも長続きする。
24日 例え千日千夜祈ったとしても、そこに誠が無かったならば、決して神明には通じない。もし誠を以て祈ろうと思うならば自分の命を神に捧げよ。飲食は、わが命を養う本であり飲食を捧げることは、自分の命を捧げるのと同じである。神は正直な人の(こうべ)に宿られる。濁ったものは受けられない。ふだん三(わん)であれば毎日お膳に向かって自分の信ずる神仏を心に思い祈るならば、どんな願いでも叶えられないことはない。
25日 一つの道に秀れているものは、たとえ慎しみが堅固であったとしても、天は更に困窮を与えられることがある。これは更に一層道に励まそうとされる天の()心である。大人は、こんなことに心を煩わされず、益々その道に励むので、遂に天下に名を成す。小人は心がすぐに乱れて慎しみを捨て、天を恨むので、一生ふらふらしている。
26日 目的を達成することが出来ない。例え、小人であっても飲食を慎しんで、厳しく決めると心は乱れない。心が乱れなかったなら、そのうちにきっと目的を達すること疑い無し。だから先ず飲食を慎しみ、そのほか、どんな事でも善いということを実行して天運を待っておるがよい。
運はめぐるである。善いことも、悪いことも、みんな自分の実行に従って廻ってくる。
27日 運は報いるである。自分で一度善いことをすれば、その報いは必ず自分に廻ってくる。吉凶ともその報いが回ってくることは天地の法則である。運は運こぶである。自分の行う善事が小さくても、これを段々積み重ねて行くときは、(しま)いには天下の大きな善事を成し遂げる。
28日 命のある間は、どんな人にも運がある。朝早くから起きて毎日の仕事に精を出し、その上、飲食をつつしんで怠らなければ自然に天理に適って運は段々と開けてくる。これを開運という。
29日 飲食を慎しんでおると心も体も健康で、気が自然に開けてくる。気が開けると、運もそれにつれて開けてくる。決して誤りではない。先ず、三年つつしんで見なさい。それで、もし運が開けなかったならば、世界に神様はおられない。水野南北氏は天地の大敵だ。
30日 人相の善い悪いをはっきり知ろうと思えば、先ず自分で飲み食いをつつしみ、一切の無駄を無くし、そうして三年続けたならば、人相の善し悪しは自然にはっきりする。
31日 私はいつもこれを実行して自然の善し悪しを、自分で納得してから、みんなの人相の判断をした。これが占いの大道だ。自分でこれをしなくて、どうして人の善し悪しを占う事ができよう。人を占うことは、要は自分の慎しみだ。
私は相法(そうほう)皆伝(かいでん)極意(ごくい)は、決してこのほかには何もない。完